I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「認知・脳」の記事一覧

脳マッピング

骨相学は,人格特性と脳の解剖学的特徴を結びつけるための体系としては,ものの見事に破綻したが,特定の種類の心的現象は脳の中で局在化しているという,その根底を成す概念はおおむね正しく,今日の重要な臨床慣行には,この概念に基づくものもいくつかある。手術前の計画立案のときに,脳外科医がfMRIを使って脳のマッピングをし,言語領域と運動領域の位置を突き止め,そうした機能的に重要な領域に与える損傷を最小限に食い止めつつ,腫瘍や血栓,癲癇性の組織を取り除くようにするのが,しだいに一般的になってきている。脳のマッピングは,深刻な慢性の鬱や強迫性障害の患者の脳で,異常な活動の中心箇所を正確に突き止め,治療用電極を最も望ましい位置に挿入して,その箇所を刺激する,「脳深部刺激」と呼ばれる技術を使ううえでも重宝している。さらに,脳卒中による損傷を確認したり,アルツハイマー病や癲癇の経過を追ったり,脳の成熟度を測定したりするのにも使われる。科学者は,fMRIによって医師が意識のレベルを直接測定できるようになり,昏睡状態の患者の治療が進歩することを期待している。

サリー・サテル スコット・O・リリエンフェルド 柴田裕之(訳) (2015). その<脳科学>にご用心:脳画像で心はわかるのか 紀伊國屋書店 pp.42-43

酸素消費量や血流量

感じる,考える,知覚する,行動するなど,脳のおかげで私たちのできることはすべて,脳内の酸素消費量と局所的な血流量の変化と結びついている(相関している)という事実を,fMRIは裏づけてくれる。写真を見たり,計算問題を解いたりといった課題に取り組むと,たいてい脳の特定領域が使われ,酸素を豊富に含む血液がより多く流れ込む。血流量が増え,それに伴って酸素の量が急増すれば,ニューロンの活動が増加していると解釈できる。なぜ「増加」なのかといえば,それは,生きている脳全体がいつも活動しているからだ。常に血液が循環し,常に酸素が消費されている。本当に沈黙した脳というのは,死んだ脳にほかならない。

サリー・サテル スコット・O・リリエンフェルド 柴田裕之(訳) (2015). その<脳科学>にご用心:脳画像で心はわかるのか 紀伊國屋書店 pp.35

実社会の問題の場合

だが,実社会の問題の帰趨がかかっているときに脳スキャン画像を深読みすると,由々しき事態を招きかねない。法律を考えてほしい。人が罪を犯したときの責任の所在は?咎めるべきは加害者か,それとも加害者の脳か?これは無論,選択しの設定を誤っている。もし私たちが生物学から学んだことがあるとすれば,それは,「私の脳」と「私」という区別が虚偽であるということだ。それでもなお,行動の生物学的な根源が特定できれば(そして,目を奪う色鮮やかな斑点として脳スキャン画像で捉えられれば,なおさら好都合なのだが),吟味の対象となっている行動は「生物学的」なものに違いなく,したがって「生まれつき組み込まれて」いる,故意ではなかった,あるいは制御できなかったと,素人があっさり思い込むのも無理はない。刑事訴訟で弁護士が,依頼人に殺人を犯すように「仕向けた」生物学的欠陥を示しているという触れ込みの脳画像に頼る例がしだいに増えているのは,少しも意外ではない。

サリー・サテル スコット・O・リリエンフェルド 柴田裕之(訳) (2015). その<脳科学>にご用心:脳画像で心はわかるのか 紀伊國屋書店 pp.17

道徳的直観と推論

道徳的直観はより古いシステムで,おそらく推論能力か言語能力よりまえに人類に備わった。そして言語が進化したあと,自分の行動を他者に説明し,正当化するために,道徳的推論が発達したのだろう。しかし進化のなかでは,人類社会を長く守ってきた道徳的直観を犠牲にしてまで,個々の行動の支配権をこの新しい能力にゆだねる必然性が見つからなかった。そこで結局どちらのシステムも存続することになった。道徳的直観のシステムは意識化で働きつづけ,迅速な判断を意識に送る。道徳的推論のシステムがそれを引き継いで,弁護士や広報担当者のように働き,受け入れた道徳を論理的に説明したり,自分や社会に対する行動を正当化したりするのだ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.30

プロスペクト理論

プロスペクト理論によれば,人はすぐに利益を確定し,損失はずるずると膨らませてしまう。市場が完全にランダムに働くという効率的市場仮説が成り立っているとしたら,どんなに洗練された投資スタイルであっても,あるいはどんなに下手なやり方であっても,投資の期待リターンはゼロのままでまったく変化しない。うまくいくかどうかは時の運次第ということだ。だが,人間のさまざまな心理的バイアスのせいで,相場の変動には非ランダムな要素が持ち込まれる。上がるから上がる,下がるから下がるという相場の自己増幅的な動きもその1つだ。すでに見てきたように,この自己増幅機能が最大限に働くとファットテールが生じる。実は,プロスペクト理論とこの相場の自己増幅機能が組み合わさると,投資家にとっては実に残念な結果を招くことになるのだ。
 利益をすぐに確定したがる人は,自己増幅機能によって作り出される相場の大きな動きから十分な利益を得ることができない。また,損失を塩漬けにしたがる人は,そうした大きな動きに飲み込まれて致命的な大損失を被って,市場からの退場を余儀なくされる。自己増幅機能という非ランダムな要素が加わることによって,プロスペクト理論に支配される人の期待リターンはマイナスに落ち込んでしまうのである。
 だから,投資の大原則を1つだけあげるとすれば,こうした傾向をいかに抑えることができるかということになる。大きな動きをうまく捉えることができたときは,すぐに利益を確定したいという心理的欲求を抑えて存分に利益をあげる。大きな動きを読み違えた場合には,損失を塩漬けにしたがるという心理的欲求を抑えて,損失をすぐに確定する。
 予測が当たるか外れるかよりも,そうしたことが決定的に重要なことであり,本当のプロフェッショナルとそうではない人を分ける差はそこにこそ存在する。

田渕直也 (2015). だからあなたは損をする 投資と金融にまつわる12の致命的な誤解について ダイヤモンド社 pp.256-257

実行機能

計画立案,問題解決,柔軟な思考を可能にしてくれる実行機能は,言語を使った論理的思考や学業での成功に欠かせない。実行機能がよく発達している子どもは,目標を追求するときに,衝動的な反応を抑え込み,指示を念頭にとどめ,注意をコントロールできる。こういう子どもが,実行機能が未熟な同輩よりも,未就学段階で算数や言語,識字のテストで良い成績を収めるのは,驚くまでもない。
 実行機能が発達するのに歩調を合わせるように,こうしたスキルを可能にする脳の領域(おもに前頭皮質にある)も発達する。マイケル・ポズナーとメアリー・ロスバートが2006年に示したように,実行機能にかかわる神経回路は,発育中の子どものホットシステムにおいて,ストレスや脅威への反応を調整する,より原始的な脳構造と密接に相互接続している。これらの緊密な神経の相互接続があるため,脅威やストレスに長期的にさらされると,しっかりした実行機能が発達する妨げとなる。ホットシステムが主導権を握ると,クールシステムに支障が出て,子どももうまく機能できない。だが逆に,実行機能が順調に発達すると,ネガティブな情動を調整したり,ストレスを和らげたりしやすくなる。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.121-122

ホットシステム

まず,ホットシステムは,もっと評価されてしかるべきだ。私たちはほっとシステムに耳を傾け,それから学ばなければいけない。ほっとシステムは,人生を送り甲斐のあるものにする情動や熱意を与えてくれるし,いつもではないものの,役に立つ自動的な判断や意思決定を可能にしてくれる。だが,このシステムにも難点はある。ホットシステムは,直観的には正しく思える判断を苦もなくたちまち下すのだが,その判断は完全に間違っていることが多い。衝突を避けるのに間に合うようにブレーキを踏んだり,知覚で銃声がしたときに身を守るために屈み込んだりさせて,あなたの命を救うこともありうるとはいえ,あなたを厄介な状況に陥れる場合もある。暗い路地で,本当は無実でありながら怪しげに見える人物に向かって,警察官に早まって銃の引き金を引かせたり,愛し合っているカップルを,嫉妬と不信で引き裂いたり,自信過剰の成功者を,衝動的な欲求や,恐れに駆り立てられた意思決定で破綻させたりしうるのだ。ホットシステムは,抗い難い誘惑を本人の目の前にぶら下げたり,あまりに生々しい恐れを生み出したり,ほんのわずかな情報から固定観念を抱かせたり,あわてて結論や判断を下させたりといった,度を越す働きによって,健康や富や幸せの敵となりかねない。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.110

クールに考える

半世紀以上前,カナダの認知心理学者ダニエル・バーラインは,あらゆる刺激が持っている,相反する2つの面を指摘した。まず,魅力的で欲求をそそる刺激には,人を夢中にさせ,興奮させ,動機づける特質がある。だからあなたはマシュマロが食べたくなり,食べれば快感が得られる。一方,刺激からは認知的に捉えられる,非情動的な特徴についての情報を与える,叙述的な手掛かりも得られる——マシュマロは白くて丸く,ずんぐりしていて柔らかく,食べられる,というような。だから刺激が私たちに与える影響は,その刺激を私たちが頭のなかでどのように表象する(思い描く)か次第で違ってくる。人を興奮させるような表象は,動機づけを与えるホットな刺激の特性に焦点を当てる。マシュマロの,もっちりした食感や甘さという特性や,喫煙中毒者にとっては,吸い込んだタバコの煙の味わいといった特性だ。このホットなフォーカスは,マシュマロを食べる,タバコを吸うといった,衝動的な反応を自動的に引き起こす。それとは対照的に,クールな表象は,刺激のもっと抽象的で,認知にかかわる,情報提供元としての側面に焦点を当て(マシュマロは白くて丸く,小さくて柔らかい),刺激の魅力を強めたりすることなく,それがどのようなものかを教えてくれる。あなたはそのおかげで,その刺激に飛びつく代わりに,「クールに考える」ことができる。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.43-44

満足遅延と脳

これらの卒園生の脳スキャン画像からは,保育園でマシュマロの誘惑にうまく抗い,その後の年月も一貫して自制が得意だった人とそうでなかった人とで,前頭葉と線条体を結ぶ脳の神経回路網(動機づけと制御のプロセスを統合する回路網)の活動がはっきり異なることがわかった。先延ばしにする能力の高い人では,効果的な問題解決や創造的思考,衝動的な行動のコントロールに使われる前頭前皮質領域の活動が,より盛んだった。それとは対照的に,先延ばしにする能力の低い人では,腹側線条体の活動がより盛んで,情動的にホットで抗いがたい刺激に対する反応をコントロールしようとしているときには,とくにそうだった。脳の深くの,より原始的な部分にあるこの領域は,欲求や快楽,中毒と結びついている。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.35-36

心を読む

他人の心を読む能力は,人間の脳が持つもっとも偉大な道具であり,複雑な人間社会を渡っていく上で必須といえるものだ。この能力を扱う上で,私たちがよく犯す過ちは2種類ある。1つめは,自分以外の他人など,実際には心を持っている存在なのに,そうと認識しないこと。2つめは,ハリケーンやコンピューターや不定期に起こる自然災害など,実際には心がないものに,心があると認識してしまうことだ。これらの間違いは,私たちが時と場合によって第六感を発揮したり発揮しなかったりするために起こるものである。

ニコラス・エプリー 波多野理彩子(訳) (2015). 人の心は読めるか? 早川書房 pp.136-137

類似性の原則

ここで述べた知覚の基本原理は単純で,ほとんどが類似性の原則に基づいている。「アヒルのように歩いてアヒルのように話しているなら,それはアヒルに違いない」という類似性の原則は,アヒルを見わけるときならほぼ完璧に当てはまるが,より複雑な状況では間違いのもとだ。軍隊では,こうした知覚的手がかりを利用して,目や顔があり,人間のような肌をした精巧な手を持つ戦争ロボットをつくり,見た人すべてが恐怖心を抱くようにしている。また,1990年代に,マイクロソフト・ワードのユーザーが,プログラムについている仮想アシスタント<クリッピー>に本気で腹を立てたのは,<クリッピー>があまりにも擬人化されていて,その振る舞いが,まるで勝手にオフィスに押しかけてくる,社交性のかけらもないおせっかいな同僚のように思えたからだ。さらに,外見だけを見れば,ほぼ人間と変わらないように思えるチンパンジーをペットにしている人は,人間にもっとも近いこの動物が,遊びに来た友人の顔を引き裂いたり性器を引きちぎったりして始めて,彼らが人間と違う心の持ち主であることを思い知った。つまるところ,外見は当てにならないのである。

ニコラス・エプリー 波多野理彩子(訳) (2015). 人の心は読めるか? 早川書房 pp.119-120

SPS値

さまざまな動物や,人間の脳スキャンによる最近の研究は,行動する前によく考えるかどうかという点で,わたしたちはいくつかのタイプに分かれることを示唆している。この特質はSPS(感覚処理感度)と呼ばれ,人格のあらゆる特質と同じく,遺伝の影響を受ける。
 SPS値の高い人は,早い段階から,自分の行動について熟考するが,同じ状況下でも,SPS値の低い人は,事態を楽観し,真っ先に行動する。先の章で,幼少時の虐待に対する反応の違いをもたらすとした可塑性遺伝子が絡んでいるのかもしれない。ルイーズとニッキーの行動が異なるのは,どちらかの,SPSに影響する重要な遺伝子がエピジェネティックに変更されて,ニッキーがより敏感で気難しくなった結果と見ることができる。

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.296

認知プロセスの格闘

自分たちは重要な存在であるという肥大した感覚だけが,平和主義者のジレンマから逃れたいという人間の願望を,宇宙の大いなる目的に転化してしまう。しかし,その願望は,必ずしも物理的でないこの世の不慮の事態を引き出しているようなものであり,ゆえにいわゆる発明の母,つまり白砂糖やセントラルヒーティングのようなものを発明させるもとになった願望とは別物だ。平和主義者のジレンマも気も狂わんばかりの構造は,現実の抽象的な特徴である。その最も包括的な解決策である視点の互換性も同様で,これはキリスト教の黄金律だけでなく,他の多くの倫理体系にもあった同じような道徳律——「他人にしてもらいたいと思うことをせよ」——のすべての背後にある原理なのである。私たちの認知プロセスは,歴史を通じて,ちょうど論理の法則や幾何学の法則と格闘してきたように,現実のこれらの側面と格闘してきたのだ。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 下巻 青土社 pp.577

肯定的幻想

なぜ人はそんな妄想にとらわれるのか?肯定的幻想は人を幸せな気分にし,自信を深めさせ,精神的に健康にしてくれる。しかしそれだけでは,なぜこれが存在するのかの説明にはならない。というのも,問題はそれ以前にあるからで,なぜ私たちの脳はそのように設計されているのか——つまり,なぜ私たちは現実に照らして正しく満足の度合いを調整せずに,そんな非現実的な評価だけで幸せになったり自信を深めたりできるのか,という疑問が残るのである。最もそれらしい説明は,肯定的幻想が一種の交渉戦術で,信用の置けるはったりだというものだ。リスキーな投機的事業を支援してもらうために協力者を募るときや,自分にとって最良の取引となるように交渉するとき,あるいは敵を威嚇して退却させるときに,自分の強みをもっともらしく誇張すれば,その人は得をすることになる。このときにシニカルに嘘をつくのではなく,自分のしている誇張を自分で信じていれば,なおさらよい。すでに嘘つきと嘘発見器との軍拡競争で,話の聞き手には白々しい嘘を見破る手段が身についているからだ。誇張が笑ってしまうほど見え透いたものでないかぎり,聞き手はこちらの自己評価を完全に無視するほどの余裕はもてない。なんといっても,自分のことを誰よりもよくわかっているのは自分なのであり,そのうえでの評価をあまり歪めすぎないようにしようとする内在的なインセンティブもある。この抑制がなかったら,つねに最後には大失敗をやらかすことになるからだ。もし誇張する人が誰もいなければ,種にとってはそのほうがいいだろう。しかし私たちの脳は,種の利益のために選択されてはこなかった。自分を大きく見せようとする者ばかりの社会のなかで,唯一の正直者でいられる余裕など誰にもない。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 下巻 青土社 pp.247-248

信念の起源

神経科学は脳の特定の状態と宗教的体験を含む特定の精神的体験との相関性を見事に示してくれたが,一部の者はこれを神秘体験や魂の不死に関する伝統的信念を文字どおり覆すものと考えてきた。こうした懐疑主義的立場によれば,一個の体験は脳によって引き起こされるか,非物質的存在(神あるいは魂)によって引き起こされるかのどちらかであり,その両方の関与によるものではない。体験の神経科学的説明は,超自然的あるいは宗教的説明を排除する。科学は超自然的なものの一切を説明し切ったというのである。
 これは理に適った,十分にシンプルな説明であるように見えるかもしれない。しかしながら,これを否定する哲学者,科学者,神学者は大勢いる。人間の宗教的・道徳的信念の出所について,神経学的な,さらには進化論的な説明を行うのは,興味深い科学的試みである。それは「認知科学」と呼ばれる野心的な科学研究の一部として広く行われている。だが,この仮説によれば,宗教的,科学的,その他あらゆる信念のすべてが,まったく同じ,進化した神経科学的器官の産物ということになる。だから,こうした事実に注目しても,真実の信念と偽りの信念とを区別しようという我々の哲学的努力が前進を見ることはない。

トマス・ディクソン 中村圭志(訳) (2013). 科学と宗教 丸善株式会社 pp.165-166

自己中心的偏見

このような自己中心的な偏見によって,私たちは実際以上に物事が自分の思い通りになると考えてしまいます。そしてそれによって,問題や,ときとして悲劇を招いてしまうのです。少しばかり乱暴に言えば,私たちは世界が自分を中心にして回っていると考えています。そのため,人前でのスピーチを前にして緊張している人は,自分の服装やしゃべり方などを実際以上に注目されると勘違いし,飛行機恐怖症の人は,1秒間でもエンジン音が聞こえなくなったら飛行機が墜落してしまうのではないかと思い込みます。
 仕事探しに不安を覚えている人は,間違った判断をすることで最悪の結果が生じるのではないかという考えにとりつかれています。
 どのケースでも,私たちは恐怖によって現実の正しい姿が見えにくくなり,自分自身の狭い世界だけを見てしまうようになるのです。このように,恐怖には,私たちを自己中心的にさせてしまう性質があります。

ロバート・ビスワス=ディーナー 児島 修(訳) 2014). 「勇気」の科学:一歩踏み出すための集中講義 大和書房 pp.104

H.Mの海馬

だいぶ話がそれてしまったが,H.Mは海馬の大部分を手術で取り出したため,新しいことが覚えられなくなった,というのが心理学,脳科学などの分野では定説になっていた。1990年代にCTスキャン,MRIによってH.Mの脳を画像診断した結果,どうも海馬を除去したようだという点が繰り返し報告された。そのため,この症例を出してきて記憶には海馬が重要な役割を果たしているという論を展開するというのが,この20年の心理学,脳科学,認知科学界の常套的手法であった。
 2014年,『ネイチャー・コミュニケーション』という科学界最高峰の学術誌において,このH.Mを巡るストーリーに疑問が投げかけられた。2008年12月にH.Mは死去する。その後,彼の脳は大切に保管されていた。この保管された脳の切片から,アネセ(UCサンディエゴの放射線学の助教)らが脳の全体像を詳細に復元した。3Dコンピュータグラフィックスの技術を用いて,詳細に脳のどの部分が切除されていたかを明らかにした。すると,なんと海馬の大半は切除されずにH.Mの頭の中に残っていたことが明らかになったのである。1990年代のCTやMRIの精度はまだ粗く,解像度や位置情報の正確さに問題もあった。そのため,1990年代には海馬の消失程度が過分に見積もられていたようなのである。

妹尾武治 (2014). ココロと脳はどこまでわかったか?脳がシビれる心理学 実業之日本社 pp.178

万能から自由に

万能という理想から離れて自由になることで,研究者としての適応度が逆に上がるということがある,という話がとにかくしたい。益川さんのように英語が苦手なら,英語が得意な人と共同で研究をすれば良いし,いまの時代,英語はお金さえ払えば書いてくる業者もある。これは,プログラムであっても同じである。プログラムを外部の会社に外注している研究者は結構な数いる。研究者を目指す上で,最初は誰しもが万能研究者を目指すべきだろう。だが,それで数年やってみて,それでも限界を感じることがあれば,そこですべてをあきらめるのではなく,できないことは捨てるという選択肢を取ると,研究者としてやっていける道が逆に開けるのだと個人的に強く信じている。

妹尾武治 (2014). ココロと脳はどこまでわかったか?脳がシビれる心理学 実業之日本社 pp.173

誰得?

知覚の基礎研究には,実は誰得?が多々ある。知覚の基礎研究の大切さは,すぐに人類の役に立つことのみではなく,とにかく人類全体としての知識の獲得,蓄積にもある。この研究は,いますぐに社会に利益を還元しろと言われても,正直むずかしいだろう。だが,どういった研究がどのタイミングで将来的に人類の役に立つかは,誰にもわからない。われわれ知覚の研究者はもちろん,社会に知見を還元して社会に役立つことをするべきだ。しかしそれだけでは駄目で,すぐには社会に還元できなくても人類全体にとっての知識の獲得,新しい知識の累積になるようなことを地道に研究する必要も同時にある。

妹尾武治 (2014). ココロと脳はどこまでわかったか?脳がシビれる心理学 実業之日本社 pp.87

スナーク効果

いま,1から9までの数列を頭に浮かべてみてほしい。1は左端,9が右端になるような数列を浮かべる人が多いのではないだろうか。私たちは,数字の表象を脳の中,心の中に持っている。脳の中の数字は,空間の右に行くほど大きい数字(左に行くほど小さい数字)というものになっていると言われており,この数字の表象の特徴のことを指して,メンタルナンバーラインと呼ぶ。
 脳内にそういった数字の表象があるために,大きい数字に反応する際には右手,小さい数字に反応する際には左手で反応すると,その逆の組み合わせで数字に反応する場合よりも,ずっと早く反応ができる。このことを心理学の専門用語で「スナーク」効果と呼ぶ。これには文化がかなり貢献しているようで,数字にあまり触れていないアメリカ人の9歳以下の子どもではスナーク効果は起こらないとされているし,数列が欧米と逆で,右から左に数字を書いていくイラン人では反対方向のスナーク効果が起こるらしい。

妹尾武治 (2014). ココロと脳はどこまでわかったか?脳がシビれる心理学 実業之日本社 pp.70

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