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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「認知・脳」の記事一覧

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イヌイットの場合

イヌイットがナビゲーションにすぐれているのは,物体や景色の視覚的特徴を見きわめる卓越した能力を持っているからだ。よく引き合いに出されるのが,1996年に心理学者のジョン・ベリーが行なった研究だ。彼はイヌイットと現代のスコットランド都市部の住民,そしてアフリカの農耕社会テムネの人々の視覚能力を比較した。視覚機能を調べる一連の標準的な心理テストを実施したところ,イヌイットはあらゆる尺度において,テムネ人とスコットランド人のグループと同等か,彼らよりすぐれているという結果が出た。

コリン・エラード 渡会圭子(訳) (2010). イマココ:渡り鳥からグーグル・アースまで,空間認知の科学 早川書房 pp.41
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手を伸ばす

私たちはとくに考えることもなく,1日に何百回も物に手を伸ばしている。実はこの動作を正確に行なうためには,想像以上に多くのハードルを越えなければならない。目に見えているターゲットの位置を把握して,それをもとに一連の筋肉の収縮を起こすためには,網膜に映る物体の位置だけでなく,頭に対する目の位置,体に対する頭の位置,肩に対する腕の位置,さらに胴体の向き(かがんで地面に落ちた物を拾う動作を考えてみよう)までが関わってくることを考えてみてほしい。適切な筋肉収縮を計算するためには,体の各部位の相対的な位置だけでなく,目の前に見える光景を,頭の中で追い続けなければならないのだ。

コリン・エラード 渡会圭子(訳) (2010). イマココ:渡り鳥からグーグル・アースまで,空間認知の科学 早川書房 pp.29

サッカード

動き回っているとき,私たちはあるものに一瞬,視線を固定すること(これは「注視」(フィクゼーション)と呼ばれる)を何度も繰り返しているが,そのあいだに跳躍眼球運動(サッカード)という動きがはさまる。注視の時間は平均およそ0.5秒。多少の幅はあるが,サッカードの時間はつねにほぼ一定で,0.1秒未満だ。これは注視するもののあいだの距離で変わることはない。距離が長ければ目も速く動く(サッカードは人体の器官が行なう動きの中でもっとも速い)。
 一見ささいなこのことが重要なのは,サッカードはその動きが始まる前から計画されていることを示しているからだ。言いかえると目が動き始める前に,それがどこへ行くのかを目そのものが知っているということだ。こうした性質を持つ動きは眼球運動から核を積んだ弾道ミサイルまで,一般的に「弾道運動」と呼ばれる。

コリン・エラード 渡会圭子(訳) (2010). イマココ:渡り鳥からグーグル・アースまで,空間認知の科学 早川書房 pp.27-28

ホイットマンのケース

1966年のことだが,テキサス大学オースティン校で発生した,時計塔からの狙撃事件のニュースに全米の市民が騒然とした。狙撃したのは,チャールズ・ホイットマンという名の25歳の元海兵隊員だった。この事件で15人が殺害され,32人が負傷した。犯人のホイットマンは,警察の手で射殺された。また,ホイットマンはその前夜に母親と妻を殺害していたことがのちになって判明している。
 この事件は,41年後にバージニア工科大学で乱射事件が起こるまで,アメリカ史上最悪のキャンパス乱射事件として知られていた。ホイットマンは,自らの遺体の解剖をするよう書き記した手紙を残しているが,ますますひどくなっていた頭痛と,「異常で不合理な思考」の原因が解剖によって解明されることをの望んでいた。「最近は,自分のことがまったくわからない」と記していたホイットマンは,自分のしようとしていることをなぜ止められないのかを自問していたようだ。また生命保険が有効なら,それによる入金を「この種の悲劇の再発を防止するための」医学研究に役立ててほしいと書いている。検死解剖の結果,担当医師は情動を調節する組織の1つである扁桃体が脳腫瘍によって圧迫されているのを発見した。
 この発見は,ホイットマンの罪に対する私たちの見方に影響を与えるだろうか?確かに彼は,自分が何をしているのかを,そしてそれがまちがっていることを理解していたにもかかわらず,用意周到に残虐な行為を計画していた。まさに悪の権化といえよう。
 しかし彼の脳は脳腫瘍にひどく侵されていたために,自分の行動に対して何の情動的なつながりをももっておらず,犠牲者の立場に身を置くことも,自分の将来について関心を抱くこともできなかったのかもしれない。健康な人間なら,そのような残虐行為の実行を阻止していたはずの脳の部位が,正常に機能していなかったともみなせる。
 脳腫瘍がなければ暴力もなかったのだとすると,彼は本当に邪悪だったのだろうか?それとも,その日死んだ人々と同様,彼も脳腫瘍の犠牲者とみなされるべきか?

ケント・グリーンフィールド 高橋洋(訳) (2012). <選択>の神話:自由の国アメリカの不自由 紀伊國屋書店 pp.94-95

刺激への反応

 ケーガンはこんな仮説を立てた——生まれつき扁桃体が興奮しやすい乳児は外界からの刺激に対して大きく反応し,成長すると,初対面の人間に対して用心深く接するようになる。そして,この仮説は立証された。つまり,生後4ヵ月の乳児が刺激に対してまるでパンクロッカーのように大きく手足を振って反応したのは,外向型に生まれついたせいではなく,彼らが「高反応」であり,視覚や聴覚や嗅覚への刺激に強く反応したせいだったのだ。刺激にあまり反応しなかった乳児は内向型だからではなく,まったく逆に,刺激に動じない神経系を備えているからなのだ。

スーザン・ケイン 古草秀子(訳) (2013). 内向型人間の時代:社会を変える静かな人の力 講談社 pp.130-131
(Cain, S. (2012). Quiet: The power of introversion in a world that can’t stop talking. Broadway Books: St. Portlamd, OR.)

味覚嫌悪学習

 広食性動物にとって,樹木からぶら下がっているもの,土から生えているもの,野山を駆け回っているもの,水のなかで身をくねられるものすべてが,いざとなったら食料にできる。ところが,ものによっては,食すると命とりになりかねないものもある。およそ有機物だったら何であれ,自分たちの食料バスケットに蓄えても構わない環境で,何は大丈夫で,何は大丈夫でないかの目星をつけるのは難しい。たとえば,ある地方では「毒キノコ」のにおいが,別の土地では「栄養たっぷりの食べ物」のにおいと同じかもしれない。したがって広食性動物は,自分たちが生きている特定の環境では何がよくて何が悪いのかを学習しなければならない。幸いなことに,人間の嗅覚システムはどの食べ物に毒性があり,どの食べ物が栄養に富んでいるのかを,きわめて迅速に学ぶようにできている。このことは,多少誤解のある名前のつけられた現象「味覚嫌悪学習」で示されている。
 たとえば,こうだ。香り豊かな食べ物を呑み込んだ後に吐いたら——私の場合,ペペロニ ピッツァがそうだったが——それを再び食べたくはなくなる。ところが,その後その食べ物を警戒するように作用しているのは,実はその味ではなくてにおいのほうなのである。シアトルにあるワシントン大学の行動神経科学者イレーヌ・バーンスタインは,(ひどい吐き気を催させる)化学療法を受けている子供たちを対象に行った実験で,味覚の嫌悪というのは実は嗅覚の嫌悪であることを示している。子供たちには,化学療法の診療が始まる前に「メイプルオフ」という珍しいフレーバーのアイスクリームを食べさせた。化学療法のセッション後,子供たちは2種類のアイスクリームを薦められた。先ほどの「メイプルオフ」か「ハワイアン デライト(ハワイの楽しみ)」という新しいフレーバーだった。子供たち全員が「メイプルオフ」を食べるのを嫌がり「ハワイアン デライト」を,喜んで食べた。どちらのアイスクリームも同じくらい甘くてクリーミーだったが,フレーバーが違っていた。「メイプルオフ」はひどい吐き気を催す化学療法と結び付けられてしまったため避けられたが,一方の「ハワイアン デライト」は病気との連想が何もないため,受け入れられたのだ。私たちが食べ物を拒否するシステムがこれほどすぐに影響するのは,こうした反応があるおかげで,生存適応性が大いに高まるからである。もし何か毒性のあるものを食べて気持ちが悪くなったことがあるならば,死ぬまで同じ間違いを繰り返したくはないだろう。

レイチェル・ハーツ 綾部早穂(監修) 安納令奈(訳) (2012). あなたはなぜ「嫌悪感」を抱くのか 原書房 pp.102-103

変動スケジュール

 心理学者のB.F.スキナーとC.B.フェスターの1957年の古典的な著作『強化スケジュール』以来,行動を後押し(強化)する刺激が不規則なタイミングで与えられると——行動心理学の分野では「変動スケジュール」と呼ばれる——中毒性がきわめて強いことがわかっている。スキナーの研究によれば,鳩に始まり霊長類にいたるまで,動物はことごとく,ご褒美が不規則なタイミングで与えられて,しかもご褒美が与えられた瞬間にその恩恵を味わえる場合,そのご褒美を得るための行動にものめり込む。
 「変動スケジュール」の威力は,ギャンブルの世界ではっきり見て取れる。たとえばカジノのスロットマシンは,プレーヤーを中毒状態にさせるべく,このメカニズムを意識的に織り込んでいる。スロットマシンで「当たり」が出るタイミングは不規則だし,「当たり」が出れば即座にコインを手にできる。おじいちゃんやおばあちゃんがスロットマシンにのめり込んで,かわいい孫に残せたはずの財産をなくす姿を見れば,モチベーションの心理学の説得力が理解できるだろう。

ピアーズ・スティール 池村千秋(訳) (2012). 人はなぜ先延ばしをしてしまうのか 阪急コミュニケーションズ pp.96-97

システム1の動作特性

 エイモスと私は,その時点では脳の2つのシステムというモデルを採用していなかったけれども,プロスペクト理論が次の3つの認知的な特徴を備えていることははっきりしていた。この3つの特徴は,金銭的結果を評価するときに重要な役割を果たす。そして知覚,判断,感情の多くの自動処理プロセスに共通して見られることから,システム1の動作特性とみなすべきだと考えられる。
・第1の特徴は,評価が中立の参照点に対して行われることである。なお参照点は,順応レベル(AL)と呼ばれることもある。このことは,簡単な実験で実感できる。3つのボウルを用意し,左のボウルには氷水を,右のボウルには湯を,真ん中のボウルには室温の水を入れる。1分間,左手を氷水,右手を湯に浸してから,両方の手を真ん中のボウルに入れてほしい。すると,同じ水を左手はあたたかく,右手は冷たく感じるだろう。金銭的結果の場合には,通常の参照点は現状すなわち手持ちの財産だが,期待する結果でもありうるし,自分に権利があると感じる結果でもありうる。たとえば,同僚が受け取ったボーナスの額が参照点になることは,大いにありうるだろう。参照点を上回る結果は利得,下回る結果は損失になる。
・第2の特徴は,感応度逓減性(diminishing sensitivity)である。この法則は,純粋な感覚だけでなく富の変化の評価にも当てはまる。暗い部屋ならかすかなランプをともしただけでも大きな効果があるが,煌々と照明の輝く部屋ではランプが1つ増えたくらいでは感知できない。同様に,100ドルが200ドルに増えればありがたみは大きいが,900ドルが1000ドルに増えてもそこまでのありがたみは感じない。
・第3の特徴は,損失回避性(loss aversion)である。損失と利得を直接比較した場合でも,確率で重みをつけた場合でも,損失は利得より強く感じられる。プラスの期待や経験とマイナスのそれとの間のこうした非対称性は,進化の歴史に由来するものと考えられる。好機よりも脅威に対してすばやく対応する生命体のほうが,生存や再生産の可能性が高まるからだ。

ダニエル・カーネマン 村井章子(訳) (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるのか(下) pp.75-76

後知恵バイアス

 過去の自分の意見を忠実に再現できないとなれば,あなたは必然的に,過去の事象に対して感じた驚きを後になって過小評価することになる。この効果を初めて取り上げたのはバルーク・フィッシュホフで,エルサレムの大学生だったときのことである。彼はこれを「私はずっと知っていた」効果と呼んだ。すなわち「後知恵バイアス(hindsight bias)」である。フィッシュホフはルース・ベイス(やはり私たちの教え子である)と共同で,リチャード・ニクソン大統領の1972年の中国・ソ連訪問前に調査を実施した。ニクソン外交に関して起こりうる結果を15項目挙げ,参加者にそれぞれの確率を推定してもらう,というものである。15項目の中には「毛沢東はニクソンとの会談に応じる」「アメリカは中国を承認する」「数十年にわたり反目しあっていた米ソが何らかの重要事項で合意に達する」などが含まれていた。
 この調査には続きがあり,ニクソン帰国後に再び同じ参加者に対し,自分たちが15項目でそれぞれに推定した確率を思い出してもらった。結果は明快だった。実際に起きたことについては自分がつけた確率を多めに見積もり,起きなかったことについては「そんなことは起こりそうもないと思っていた」と都合よく思いちがいをしたのである。その後に行った実験では,自分の当初の推定だけでなく,他人の推定まで,実際より精度を過大評価する傾向が認められた。また,O.J.シンプソンの殺人公判やクリントン大統領の弾劾など世間の注目を集めた出来事でも,同様の傾向が確認された。実際にことが起きてから,それに合わせて過去の自分の考えを修正する傾向は,強力な認知的錯覚を生む。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.295-296

最初から知っていた

 私は,「2008年の金融危機は避けられないことを事前に知っていた」とのたまう御仁をたくさん知っている。この文章には,きわめて主観的な単語が含まれている。この単語は,重要な事象を論じるときには語彙から削除すべきだ。この単語とは,言うまでもなく,知るという動詞である。危機があるかもしれない,と事前に考えた人はたしかにいるだろう。だがこの人たちは,あると知っていたわけではない。いまになって「知っていた」と言うのは,実際に危機が起きたからだ。これは,重要な概念の誤用と言わざるを得ない。知るという言葉は,ふつうは,知っていたことがらが真実であって,かつ真実だと示せるときにだけ使う。つまり何かを知っていると言えるのは,それが真実であり,そうと知り得るときだけだ。だが危機が起きそうだと考えた人たち(しかもその数は,後からそう言い出した人より少なかった)は,当時それを決定的に示すことはできなかった。事情に通じた多くの知識人が経済の未来に強い関心を示してはいたが,災厄が差し迫っているとは考えていなかった。これらの点から推論すると,危機を知り得たとはいえない。このような文脈で知るという言葉を使うのは,重大な誤りである。私は,ありもしない予知能力に不相応な賞賛を獲得する連中がいることを,憂えているわけではない。世界が実際以上に知り得るとの印象を与え,有害な幻想の定着を助長しかねないことを,危惧するのである。
 この幻想の中心にあるのは,私たちは過去を理解していて,だから未来も知り得るという思い込みである。だが実際には,私たちは自分が思うほど過去を理解していない。このような幻想を膨らませる言葉は,知るだけではない。よく使われる言葉の中では,直観や予感も,正しかったと判明した過去の推論についてだけ使われている。「この結婚な長続きしないだろうという予感がしていたが,結局私はまちがっていた」というような文章にはめったにお目にかからない。直感がまちがっていた,という文章もそうだ。白紙の気持ちで未来について考えるためには,過去の考えに使ってきたこの手の言葉を一掃するのがよろしかろう。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.293-294

見たものがすべて

 「自分の見たものがすべてだ」となれば,つじつまは合わせやすく,認知も容易になる。そうなれば,私たちはそのストーリーを真実と受け止めやすい。速い思考ができるのも,複雑な世界の中で部分的な情報に意味づけできるのも,このためである。たいていは,私たちがこしらえる整合的なストーリーは現実にかなり近く,これに頼ってもまずまず妥当な行動をとることができる。だがその一方で,判断と選択に影響をおよぼすバイアスはきわめて多種多様であり,「見たものがすべて」という習性がその要因となっていることは,言っておかなかればならない。以下に,主なものを挙げておこう。
・自信過剰——「自分の見たものがすべてだ」という態度うかがわれる通り,手持ちの情報の量や質は主観的な自信とは無関係である。自信を裏付けるのは,筋の通った説明がつくかどうかであり,ほとんど何も見ていなくても,もっともらしい説明ができれば人々は自信たっぷりになる。こうしたわけで,判断に必須の情報が欠けていても,それに気づかない例があとを経たない。まさしく「自分の見たものがすべてだ」と考えてしまう。そのうえ私たちの連想マシンは,一貫性のある活性化パターンをよしとし,疑いや両義性を排除しようとする。
・フレーミング効果——同じ情報も,提示の仕方がちがうだけで,ちがう感情をかき立てることが多い。同じことを言っているにもかかわらず,「手術1カ月後の生存率は90%です」のほうが「手術1カ月後の死亡率は10%です」より心強く感じる。同様に,冷凍肉に「90%無脂肪」と表示してあったら,「脂肪含有率10%」よりダイエットによさそうに感じる。両者が同じ意味であることはすぐにわかるはずだが,たいていの人は表示されている通りにしか見ない。「見たものがすべて」なのである。
・基準率の無視——「図書館司書のスティーブ」問題を思い出してほしい。几帳面でもの静かでこまかいことにこだわり,よく図書館司書と見なされる,あのスティーブである。際立って特徴的な人物描写に接すると,こういうことが起きやすい。図書館司書より農業従事者のほうがはるかに数が多いことを知っているにもかかわらず,この文章を初めて読んだときには統計的な事実など考えもしない。「見たものがすべて」になってしまう。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.130-132

認知的容易性

 人間は,意識があるときはいつでも,いや,おそらくないときでさえ,脳の中でたくさんの情報処理を同時に行っており,いくつもの重要な質問に対する答を常時アップデートしている。たとえば,何か目新しいことが起きていないか,何か危険な徴候はないか,万事うまくいっているか,新たに注意を向けるべきものはあるか,この仕事にはもっと努力が必要か,といった質問である。重要な変数の現在値を示す計器がずらりと並んだコックピットを考えるとよいだろう。数値の評価はシステム1が自動的に行う。システム2の応援が必要かどうかを決めるのも,システム1の役割である。
 コックピットには,「認知的容易性(cognitive ease)」を示す計器がある。針が「容易」のほうに寄っていれば,ものごとはうまくいっていると考えてよい。何も危険な徴候はなく,重大なニュースもなく,新たに注意を向けたり努力を投入したりする必要はない。一方,「負担」のほうに寄っていれば問題が発生しており,システム2の応援が必要になる。認知的負担は,その時点での努力の度合いや満たされていない要求の度合いに影響される。驚くのは,認知的容易性を計測するこのたった1つの計器が,さまざまなインプットとアウトプットを結ぶ大規模なネットワークに接続していることである。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.89

フロリダ効果

 記憶に関する理解でもう1つ大きな進歩は,プライミングは概念や言葉に限られるわけではない,と判明したことである。意識的な経験からこれを確かめることは,もちろんできない。だが,自分では意識してもいなかった出来事がプライムとなって,行動や感情に影響を与えるという驚くべき事実は,受け入れなければならない。
 これについては,ジョン・バルフらが行った,早くも古典と言うべき実験がある。この実験では,ニューヨーク大学の学生(18〜22歳)に5つの単語のセットから4単語の短文をつくるよう指示する(たとえば,彼/見つける/それ/黄色/すぐに)。このとき1つのグループには,文章の半分に,高齢者を連想させるような単語(フロリダ,忘れっぽい,はげ,ごましお,しわなど)を混ぜておいた。この文章作成問題を終えると,学生グループは他の実験に臨むため,廊下の突き当たりにある別の教室に移動する。この短い移動こそが,実験の眼目である。実験者は学生たちの移動速度をこっそり計測する。するとバルフが予想したとおり,高齢者関連の単語をたくさん扱ったグループは,他のグループより明らかに歩く速度が遅かったのである。
 この「フロリダ効果」には,2段階のプライミングが働いている。第1に,一連の単語は,「高齢」といった言葉が1度も出てこないにもかかわらず,老人という観念のプライムとなった。第2に,老人という観念が,高齢者から連想される行動や歩く速度のプライムになった。これらは,まったく意識せずに起きたことである。
 実験後の調査で,出された単語に共通性があると気づいた学生は1人もいないことが判明した。彼らは,最初のタスクで接した単語から影響を受けたはずはない,と主張したものである。つまり老人という観念は,彼らの意識には上らなかった。それでも,学生たちの行動は変化した。観念によって行動が変わるというこの驚くべきプライミング現象は,イデオモーター効果として知られる。あなたが何も意識していなくても,このパラグラフを読んだことはプライムとなる。もしあなたが水を飲もうと立ち上がっていたとしたら,おそらくいつもより動作がゆっくりになっていただろう。ただし,たまたまあなたが老人嫌いなら,話は別である。調査によれば,その場合にはあなたの動作は通常より速くなるはずだ。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.79-80

プライミング

 1980年代になると,ある単語に接したときには,その関連語が想起されやすくなるという明らかな変化が認められることがわかった。たとえば,「食べる」という単語を見たり聞いたりした後は,単語の穴埋め問題で“SO( )P”と出されたときに,SOAP(石けん)よりSOUP(スープ)と答える確率が高まる。言うまでもなく,この逆も起こりうる。たちえば「洗う」という単語を見た後は,SOAPと答える確率が高まる。これを「プライミング効果(priming effect)」と呼び,「食べる」はSOUPのプライム(先行刺激),「洗う」はSOAPのプライムであると言う。
 プライミング効果は,さまざまな形をとる。たとえば,「食べる」という観念が頭の中にあるときは(それを意識するしないにかかわらず),「スープ」という単語が囁かれたり,かすれた字で書かれたりしていても,あなたはいつもより早くそれを認識する。もちろんスープだけでなく,食べ物に関連するさまざまなもの,たとえばフォーク,空腹,肥満,ダイエット,クッキーなども。最後に食事をしたときのレストランで椅子がぐらぐらしていたら,きっと「ぐらぐら」という言葉にも反応しやすくなるだろう。さらに,プライムで想起された観念は,効果は弱まるものの,別の観念のプライムになることもある。池に拡がるさざ波のように,連想活性化は広大な連想観念ネットワークの一カ所から始まって,拡がっていく。こうしたさざ波の分析は,今日の心理学研究において非常に興味深い分野と言えよう。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.78-79

我慢はエネルギーが必要

 心理学者のロイ・バウマイスターのチームは一連の驚くべき実験を行い,認知的,感情的,身体的のいずれかを問わず,あらゆる自発的な努力は,少なくとも部分的にはメンタルエネルギーの共有プールを利用していることを決定的に証明した。バウマイスターらの実験は,同時並行的なタスクではなく連続的なタスクを使って行われている。
 彼らの実験で繰り返し確認されたのは,強い意志やセルフコントロールの努力を続けるのは疲れるということである。何かを無理矢理がんばってこなした後で,次の難題が降りかかってきたとき,あなたはセルフコントロールをしたくなくなるか,うまくできなくなる。この現象は,「自我消耗(ego depletion)」と名づけられている。代表的な実験では,感情的な反応を抑えるよう指示したうえで被験者に感動的な映画を見せると,その後は身体的耐久力のテスト(握力計を握り続けるテスト)で成績が悪くなった。実験の前半で感情を抑える努力をしたために,筋収縮を保つ苦痛に耐える力が減ってしまったわけだ。
 このように自我消耗を起こした人は,「もうギブアップしたい」という衝動にいつもより早く駆り立てられる。別の実験では,被験者はチョコレートや甘いクッキーの誘惑に抵抗しながら,ラディッシュやセロリなど清く正しい野菜を食べさせられる。これで自我消耗した被験者は,この後で難しい認知的タスクを課されると,いつもより早く降参してしまう。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.62-63

システムの働き

 認知的錯覚は克服できますか,とよく質問される。いま挙げた例から考えるに,あまり期待はできそうにない。システム1は自動運転していてスイッチを切ることはできないため,直感的思考のエラーを防ぐのは難しいからだ。システム2がエラーの兆候を察知できないことも多々あるので,バイアスをつねに回避できるとは限らない。エラーが起きそうだという兆候があったときでさえ,エラーを何とか防げるのは,システム2による監視が強化され,精力的な介入が行われた場合に限られる。ところが日常生活を送るうえでは,つねにシステム2が監視するのは必ずしも望ましくはないし,まちがいなく非現実的である。
 のべつ自分の直感にけちをつけるのは,うんざりしてやっていられない。そもそもシステム2はのろくて効率が悪いので,システム1が定型的に行っている決定を肩代わりすることはできないのである。私たちにできる最善のことは妥協にすぎない。失敗しやすい状況を見分ける方法を学習し,懸かっているものが大きいときに,せめて重大な失敗を防ぐべく努力することだ。そして他人の失敗のほうが,自分の失敗より容易に認識できるものである。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.44

システム1,2

 私は脳の中の2つのシステムをシステム1,システム2と呼ぶことにしたい。この名称を最初に提案したのは,心理学者のキース・スタノビッチとリチャード・ウェストである。

・「システム1」は自動的に高速で働き,努力はまったく不要か,必要であってもわずかである。また,自分のほうからコントロールしている感覚は一切ない。
・「システム2」は,複雑な計算など頭を使わなければできない困難な知的活動にしかるべき注意を割り当てる。システム2の働きは,代理,選択,集中などの主観的経験と関連づけられることが多い。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.32

分離脳患者の実験

 なかでも不気味な実験の1つとして,ガザニガは2つの画像——ハンマーとのこぎり——をジョーの異なる視野で見せた。つまり,ハンマーの画像は左半球で,のこぎりの画像は右半球で見えるようにしたのだ。そのあとで「なにが見えた?」とガザニガはジョーに尋ねる。
 「ハンマーが見えた」とジョーが答える。
 ガザニガは少し間を置いて,「では,目を閉じて左手で描いてごらん」と言う。ジョーは左手でマジックを拾い上げるが,その行動をつかさどっているのは彼の右半球である。「やってごらん」とガザニガが言うと,ジョーは左手でのこぎりを描く。
 「上手に描けたね。それはなんだい?」とガザニガが尋ねる。
 「のこぎりかな?」ジョーは少し戸惑いながら答える。
 「そうだね。君が見たのはなに?」
 「ハンマーだ」
 「どういうつもりでその絵を描いた?」
 「わからねえ」とジョーは,というよりも彼の左半球は答える。
 別の実験では,ガザニガは分離脳患者の「言語を発する」左半球にニワトリの足を見せて,「言語を発しない」右半球に積もった雪を見せる。この患者は雪かき用のシャベルを描き,ガザニガがなぜシャベルを描いたのかと患者に尋ねても,彼は気後れした様子をまったく見せず,動揺することもなかった。「ああ,単純な話さ。ニワトリの足といえばニワトリだし,ニワトリ小屋を掃除するにはシャベルが必要だろ」と何ごともないように答えたのだ。言うまでもなく,これはまるで説明になっていない。
 左半球は常に経験に基づいて因果関係を推測し,常に事象の意味を理解しようとしているようだ。ガザニガはこのモジュール(と呼ぶのが正確かどうかはわからないが)を「解釈者」と呼んでいる。分離能患者の例からわかるように,この解釈者はためらうことなく間違った原因や間違った理由を作り出して口にする。実際のところ,これを「嘘]と言っては言い過ぎになる——むしろ「自身を持って最善の推量をしている」のだ。この例からもわかるように,右半球でなにが起こっているのか知ることができなければ,その推量は単なる憶測になりかねない。だが非常に興味深いことに,健常な脳であっても常に正しく推測できるとは限らないのだ。

ブライアン・クリスチャン 吉田晋治(訳) (2012). 機械より人間らしくなれるか:AIとの対話が,人間でいることの意味を教えてくれる 草思社 pp.78-80

GABA

 1977年,ベンゾジアゼピンは脳内のガンマアミノ酪酸(gamma-aminobutyric acid; GABA)という神経伝達物質に影響を及ぼすことが発見された。「興奮性」神経伝達を行うドーパミンやセロトニンと異なり,GABAはニューロンの活動を抑制する。GABAが分泌されると,ニューロンは活動測度を落とすか,一定期間活動を停止する。脳内のニューロンの大部分がGABA受容体を持つため,この神経伝達物質GABAが脳内の神経活動にブレーキをかける役割を果たす。ベンゾジアゼピンはこのGABA受容体と結合することで,GABAの抑制作用を増幅する。いわばベンゾジアゼピンによってGABAという脳内のブレーキが踏まれ,その結果として中枢神経系の活動が抑制されるのだ。
 脳の側は,これに対応してGABAの分泌量を減らしGABA受容体の密度を減らす。イギリスの研究者らが1982年に説明したように,「GABAによる正常な神経伝達を回復」しようとするわけだ。だがこの適応的変化によって,脳内のブレーキが生理的に壊れた状態になる。ブレーキオイル(GABA分泌量)は少なく,ブレーキパッド(GABA受容体)は摩耗している。そのためベンゾジアゼピンを中止すると,脳はもはや神経活動を十分に抑制できなくなり,ニューロンが常軌を逸したペースで活動しはじめる。ヘザー・アシュトンは,この過活動によって「離脱作用の多くを説明」できる,と結論づけている。不安や不眠,皮膚の上を虫が這う感覚,妄想,非現実感,けいれん——こうした厄介な症状全てが,神経の過剰活動によって生じている可能性がある。
 少しずつベンゾジアゼピンを減量すれば,GABA伝達系は徐々に正常に復帰するため離脱症状は軽いかもしれない。その一方,一部の長期服用者に「長期的な症状」が現れるという事実はおそらく,「[GABA]受容体が正常な状態に戻れないため」生じているのではないか,とアシュトンは述べる。ベンゾジアゼピンの長期使用は,「中枢神経系に緩慢に回復する機能的変化をもたらすだけでなく,時としてニューロンに構造的損傷を引き起こすおそれがある」と彼女は説明する。こうした場合,GABA伝達系というブレーキが本来の機能を取り戻すことは決してない。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.197-198

セロトニン作動経路

 セロトニン作動性経路は,進化の歴史とともに古い。セロトニン作動性ニューロンは,すべての脊椎動物と大半の無脊椎動物の神経系に存在し,人間の場合は,脳幹の縫線核という部位にこのニューロンの細胞体がある。セロトニン作動性ニューロンの一部は,呼吸・循環・消化活動をコントロールする脊髄に長い軸索を下ろしている。その他は小脳・視床下部・基底核・側頭葉・辺縁系・大脳皮質・前頭葉などの脳のあらゆる領域に向かって軸索を伸ばしている。この経路は,記憶・学習・睡眠・食欲・気分や行動の調整に関与している。ニューヨーク大学生物学教授,エフライン・アズミチアの言葉によれば,「脳のセロトニン系は随一の脳システムであり,いわばニューロン系の『巨人』である」。
 また脳には主に3つのドーパミン作動性経路がある。3つのシステムの細胞体は全て,脳幹の頂部の黒質または腹側被蓋野にある。ニューロンの軸索は,基底核(黒質線条体)・辺縁領域(中脳辺縁系)・前頭葉(中脳系皮質)に延びている。基底核は運動の開始と調節に関与し,辺縁系——とくに嗅結節・側坐核・扁桃体——は前頭葉の後ろにあって,感情を調整する。私達はこの部分によって世界を感じるのだが,それは自己感覚と現実概念に欠くことのできないプロセスである。前頭葉は人間の脳の最も特徴的な部位で,自分自身を監督するという神のような能力を私たちに与えている。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.105-106

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