このときの体験を考察してみると,著名なケンブリッジ大学の哲学者C・D・ブロード博士の意見に賛同することになるようだー「ベルクソンが記憶と感覚知覚に関して提唱したような理論をわれわれは今までの傾向を放れてもっと真剣に考慮した方がよいのではなかろうか。ベルクソンの示唆は脳や神経系それに感覚器官の機能は主として除去作用的であって生産作用的ではないということである。人間は誰でもまたどの瞬間においても自分のみに生じたことをすべて記憶することができるし,宇宙のすべてのところで生じることすべてを知覚することができる。脳および神経系の機能は,ほとんどが無益で無関係なこの巨大な量の知識のためにわれわれが押し潰され混乱を生まないように守ることであり,放っておくとわれわれが時々刻々に知覚したり記憶したりしてしまうものの大部分を閉め出し,僅かな量の,日常的に有効そうなものだけを特別に選び取って残しておくのである。」このような理論によると,われわれは誰もが潜在的には<遍在精神 Mind at Large>なのである。しかし,われわれが動物である以上は,われわれの仕事は何としてでも生き残ることである。生物としての生存を可能にするために,この<遍在精神>は脳および神経系という減量バルブを通さなければならない。このバルブを通って出てくるものはこの特定の惑星の表面にわれわれが生き残るのに役立つようなほんの一滴の意識なのである。
オルダス・ハクスリー (1995). 知覚の扉 平凡社 p.25-26.
PR