退職教員だったヴィルヘルム・フォン・オステンは,1891年,自分の種馬(「利口なハンス」と呼んでいた)が時事問題や数学などさまざまな質問に,前脚で地面をたたいて答えられると言い出した。たとえば,オステンが3+5はなんだときくと,利口なハンスはご主人が質問し終えるまで待ってから,地面を8回叩いて動きを止める。ときには,口頭で聞くかわりに厚紙に質問を書いてそれを読ませた。利口なハンスは,話し言葉を理解できるのと同じように書き言葉も全て理解しているようだった。もちろん,すべての質問に正解するわけではなかったが,ひづめのある動物としては抜きんでいていた。利口なハンスの講演は鮮烈で,たちまちベルリンの人気者になった。
1904年にベルリン心理学研究所の所長が学生のオスカル・プングストを派遣して,この件をじっくり調べさせた。プングストは,オステンが利口なハンスの目の前ではなく背後にいるときや,オステンが答えを知らない質問のときは誤答が多いことに気づいた。ひととおり実験した結果,利口なプングストは,利口なハンスがたしかに読めることを証明した。ただし,馬が読んでいたのはオステンの身体言語だった。オステンがわずかに体をかがめると利口なハンスは地面を叩き始め,オステンが体を起こしたり,少し首を傾けたり,かすかに眉をあげたりすると叩くのを止める。つまり,オステンが利口なハンスにちょうどいいタイミングで叩き始めと叩き終わりを合図していたために,馬鹿にならない錯覚が生まれたわけだ。
利口なハンスは天才ではなかったが,オステンも詐欺師だったわけではない。それどころか,オステンは何年にもわたって自分の馬に辛抱強く数学や世界情勢のことを話してやっていたほどで,自分が,他人ばかりでなく自分自身をも欺いていたと知って純粋にショックを受け落胆した。このごまかしは巧妙かつ効果的だったが,無意識におこなわれていた。この点,オステンだけが特別なわけではない。われわれは,好ましい事実を選んで身をさらし,好ましい事実の存在に気づき,それを記憶し,そこに低めの証明基準を当てはめるが,オステンがそうだったように,自分がこんなふうにごまかしていることは自覚していない。
ダニエル・ギルバート 熊谷淳子(訳) (2007). 幸せはいつもちょっと先にある-期待と妄想の心理学- 早川書房 p.232-234.
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