科学者といえども,まずは世間一般の人々なのである。あるものは聖職者であり,たまには山師もいるが,大多数の者は,立派に科学の業務に従事するという不文律を守るべく努めているのである。そこには,少数の指導者とそれを取り巻く多数の信奉者がおり,たまには反逆者もいるだろう。ある者は知的恐竜のように振る舞い,またある者は執念深い懐疑論者である。さらに,数は少ないが専門分野の定まらない,漠然とした神秘論者もいるが,しかし大多数の者は既存の学説に従って過ごしている。ダイヤモンドのように永遠に光り輝く見解を商う科学者もおれば,吹けば飛ぶ羽毛のような見解を売ろうとする科学者もいる。もちろん,まっとうに科学者としての生計を立てるべく悪戦苦闘している者もいる。そして科学者各個人を考えてみても,人生のある時期には,これらのカテゴリーのどれか1つに入ることもあるであろう。科学者個人個人の気質と人柄とのこのような側面がすべてみな,その人の知的風景の景観を彩るものなのである。
アービング・M・クロッツ 四釜慶治(訳) (1989). 幻の大発見 科学者たちはなぜ間違ったか 朝日新聞社 pp.5-6.
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