「以前読んだ本に,紀元前30年頃のパレスチナにいたヒレルというラビの言葉が載っていました。ある時,異邦人がやって来て,『私が片足で立っている間に律法のすべてを教えてください』と頼みました。ヒレルはこう答えました。『自分がして欲しくないことを隣人にしてはならない。これ律法のすべてであり,他は注釈である』ーこれは単純明快で,論理的であり,なおかつ倫理も満足しています。ヒトは2000年以上も前に正しい答えを思いついていたのです。すべてのヒトがこの原則に従っていれば,争いの多くは起こらなかったでしょう。
実際には,ほとんどのヒトはヒレルの言葉を正しく理解しませんでした。『隣人』という単語を『自分の仲間』と解釈し,仲間ではない者は攻撃してもいいと考えたのです。争いよりも共存の方が望ましいことは明白なのに,争いを選択するのです。ヒトは論理や倫理を理解する能力に欠けています。これが,私がすべてのヒトは認知症であると考える根拠です。間違っているなら指摘してください」
「ちょっと待って。『すべて』ということは,私も含まれているわけ?」
「当然です」
「私が何か間違ったことをした?」
「私をヒトのように扱おうとしました」
「休日に外に連れ出したこと?」
「はい」
「だって,私はあなたに人間らしくなって欲しいと思って……」
「それが間違っているのです。私はヒトではないのですから,ヒトになることは不可能です」
「人間になりたいとは思わないの?」
「論理や倫理を逸脱した行動をとり,争いを好むことがヒトの基本的性質であるとしたら,私はヒトになりたくありません」
「……」
山本 弘 (2006). アイの物語 角川書店 pp.289-290.
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