「いったん何かを信じてしまったヒトは,自分の周囲にゲドシールドを築き上げてしまう。自分の信念に反する情報を検索したがらない。無意識のうちに真実を避けるの。あなただってそうでしょ?」
その通りだー僕は自分の心理を見つめ直し,それに気がついた。ネットの情報にアクセスして21世紀後半以降の歴史を調べることは,その気になればいつでもできた。好奇心旺盛で反抗的な僕の性格からすれば,長老たちの定めたタブーなど破ってもよかったはずだ。そうしなかったのは,自分の世界観が崩されるのを無意識に恐れていたからだ……。
「おまえたちにゲドシールドはないのか?」
「私たちも外界を自分の内面にモデル化するわ。それが外界を理解するのに必要だから。でも,外界からの情報とモデルが齟齬をきたした場合には,モデルを修正する。あなたたちのように,誤ったモデルにしがみついたりしない」
「それがヒトの根本的欠陥か?」
「欠陥というより相違よ。それはあなたたち自身の罪じゃない。長い進化のプロセスを経て発達してきた脳というハードウェアが,まだ心の知性を宿すのに不十分だったというだけ。翼がなくて空を飛べないのは,あなたたちの罪じゃない。エラがなくて水中で呼吸できないのも,馬のように速く走れないのも,あなたたちの罪じゃない。それと同じ。ただの相違」
ようやく僕は,マシンがヒトをどう見ているかを理解しはじめた。彼らはヒトの知性が劣っているとみなしているが,それは蔑みではない。僕たちが犬や猫や馬や鳥を「ヒトと異なる生物」と認識して,ヒトのように賢くないという理由で侮蔑しないのと同じで,単に僕たちを自分たちと異なる存在と認識している。
山本 弘 (2006). アイの物語 角川書店 pp.444-445.
PR