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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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過去に関係ない,突如としての変革はありえない

 柴野宛の手紙の下書きが残っているため,その一節を引用する。

 何事に於ても過去に関係ない,突如としての変革はありえない。文学に於ても同じで,やはり過去ー現在につながる流れの上に未来の変革も築かれる。ピカソの絵も若い頃の正確なデッサンの上にできたものであり,呉清源が新布石で大さわぎをまき起したのも正確な旧定石の研究の上に築かれたものである。あまり突拍子もないことは大衆に受け入れられない。たとえそれが正しくても,正しいとの判断を誰もつけてくれないのなら正しいものではない。また面白いとも思ってくれない。非ユークリッドキカが存在し,面白いと思われるのは,ユークリッドキカが存在するからである。
 故にSFに於ても,大衆をひきつけるものになるからには,既成のものの長所と短所をみきわめ,長所を残し,既成のもので満たされないものをSFの形で補うことをしなくてはならない。松本(清張・引用者注,以下同),有馬(頼義)が探小(探偵小説)で探小専門作家を圧倒したのは,この点をのみ込んでいたからだろう。探小の枠にとじこもっていた探小専門作家はこの圧力に抗し切れない。トリックが甘いとか言ってみたところで一方には大衆の支持があるので,お話にならない。いづれSFもこの問題にぶつかる時がくるかもしれない。その時になってアイデアがイミテーションだとか言ってもどうにもならない。そして自己満足のためにますます自分と大衆を遊離させてしまってはつまらない。折角ブームが来ても自分をす通りしている。哀れな探小専門作家の二の舞を避けるように今から考えておかなくてはならない。(中略)瀬川式意見の「科学をわきまえて,それをのりこえなくてはならない」の意見が尤もである如く,「文学をわきまえ,それを乗りこえなくてはならない」のである。

 作家は論争など早々に切り上げ,自身の創作に専念するのみ。読者を獲得しなければ意味はない。新一はそう考えていた。

最相葉月 (2007). 星新一 一〇〇一話をつくった人 新潮社 pp.326-327.


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