われわれは人間の常として,自分が起こりそうだと考えていることだけに注意を集中する。こうした了見は,文字通りわれわれのものの見方そのものにも影響を与えがちだ。1981年のこと,わたしは,ある記事の取材でテキサスA&M大学の教授と面談していた。わたしは,机越しに教授と向き合う椅子に座って,メモを取っていた。インタビューをはじめて15分ほどした時,教授の背後で私の席からは見えない位置にあったくずかごが,とつぜん炎を噴き上げた。炎は少なくとも1メートル以上あった。われわれ二人はとびあがった。教授がくずかごをおおったので,炎はすぐに消えた。客の誰かが煙草の吸い殻を入れたので火事になったのだろう,と教授は言った。
教授が消化につとめているとき,私は彼の椅子の後ろでちらっと炎があがったのを見たことを思い出した。われわれ二人がびっくりする30秒ほど前だっただろう。一種のフラッシュバックである。メモを取っているとき,わたしは意識の境界ぎりぎりのところで,教授の背後がちらっと光ったのを目撃していたのだ。閃光はほんの一瞬で,すぐに視界から消えた。どう見えたにせよ,私の大脳の「最新出来事中枢」はその事件を確認したのだが,あまりにも起こりそうにない出来事だったので,正気であつかう必要はないと判断して,ただちに無視したのだった。
ジェームズ・R・チャールズ(著) 高橋健次(訳) (2006). 最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか 草思社 pp.196-197.
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