どんな時代にも,大学生に人気の職業進路がある。わたしが卒業した1972年には,間違いなく法曹界に進むのが社会的地位の高い職業だった。わたしが卒業したイェール大学では,クラスの卒業生の半数以上が法科大学院に進んだそうだ。そのころは法曹家が,名声とやりがいと収入と,そしてたぶん,けっして確かとは言えないが,感激を一番兼ね備えた職業だとみなされていた。
わたしは15回目の同窓会に出た。すると弁護士でいっぱいだった。会社の顧問弁護士やら,訴訟弁護士,遺言の認証弁護士,さらに公益弁護士[公共利益のための集団訴訟等をあつかう]までいた。だが驚いたのは,弁護士の数ではなく,その多くが自分の職業に満足していないことだった。満足していない人がその職業を選んだのはたいてい,職業が自分のスタイルや能力に適合していたからではなく,その職業が当時金持ちへの道だったからである。よく考えずに選んだ結果,一生職業に不満を抱き続けることになった。
たしかに,もっと悪い状況になった可能性だってある。ほとんど例外なく,たくさんお金を儲けていた。しかしお金があって豊かな暮らしができるがゆえに,本当は興味のない職業から抜け出せなくなってしまったのである。もはや自分のライフスタイルを維持するためにお金が必要になってしまった。別のもっと面白そうな職業に変わったとしても,給料は大幅に減ることになり,それでは誰も楽しめそうではない。
R.J.スターンバーグ 松村暢隆・比留間太白(訳) (2000). 思考スタイル:能力を生かすもの 新曜社 p.109
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