それでは,生物学の発見は人種差別や性差別を正当化できるのだろうか?とんでもない!偏狭な差別を告発するのは,人間は生物学的に区別がつかないという,事実についての主張ではない。個人を,その個人が属する集団の平均的特性にしたがって判断することを糾弾する道徳的姿勢である。開かれた社会は,雇用や昇進や給与や入学や刑事裁判に際して,人種や性や民族を無視することを選択しているが,それはそれ以外のやり方が道徳的に不快だからである。人種や性や民族にもとづいて人を差別するのは不当であり,本人にはどうにもできない特性にペナルティを課すことになる。アフリカ系アメリカ人や女性やその他の集団が奴隷にされたり虐げられたりしていた過去の不正義を存続させることになる。社会を敵対する派に分裂させ,恐ろしい迫害にまでエスカレートさせかねない。しかし差別に反対するこれらの議論はどれも,人間の集団は遺伝的に区別が可能か不可能かという問題に依拠してはいない。
スティーブン・ピンカー 山下篤子(訳) (2004). 人間の本性を考える[中] 心は「空白の石版」か 日本放送出版協会 p.20
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