また,魂は肉体よりも長く生きるという教義は,正当さにはほど遠い。この地球上に住む私たちの生活の価値を必然的に下げるからである。スーザン・スミスは幼い二人の息子を湖の底に沈め,「私の子どもたちは最善のものにふさわしい子たちです。そしてこれから,それを得るのです」という合理化で,良心をぬぐいさった。幸福な死後の生活への言及は,子どもを殺して自殺した親の遺書に典型的であり,また私たちは,そのような信念が自爆者や自爆ハイジャック犯を鼓舞することをあらためて感じたばかりでもある。だからこそ私たちは,神の裁きを信じなくなったら人は大手を振って悪を実行するようになるという議論を否定すべきなのである。たしかに神の裁きを信じない人が,法制度やコミュニティの非難や自分の良心からうまく逃れることができると考えたとしたら,永久に地獄で暮らさなくてはならないという脅しで悪事を思いとどまることはないだろう。しかしそういう人は,永久に天国で暮らせるという約束に誘惑されて,何千人という人びとを殺すこともないのである。
スティーブン・ピンカー 山下篤子(訳) (2004). 人間の本性を考える[中] 心は「空白の石版」か 日本放送出版協会 p.103-104.
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