子どもたちは学校に行かなくても歩いたり,しゃべったり,物を認知したり,友だちの性格を覚えたりすることを学ぶが,これらの課題は読んだり,足し算をしたり,歴史上の日付を覚えたりすることよりもはるかに難しい。書き言葉や算数や科学を学ぶには学校が必要だが,それはこれらの知識やスキルが発明されたのがあまりにも最近のことで,まだ種全体が要領を進化させるに至っていないからである。
したがって子どもは,空っぽの容器や万能の学習者であるどころか,特定の方法で推論や学習をするための仕掛けの入ったツールボックスを備えており,それらの仕掛けをうまく使って,本来の目的とはちがった問題を克服しなくてはならない。それには子どもの精神に新しい事実やスキルを入れ込むだけではなく,古いものを除去したり無効にしたりする必要がある。学生がニュートン物理学を学ぶには,まずインペトゥスにもとづいた直観物理学を捨てなくてはならないのである。現代生物学を学ぶには,その前に,生命のエッセンスという立場から考える直観生物学を捨てる必要がある。そして進化論を学ぶためには,その前に,デザインを設計者の意図に帰する直観工学を捨てる必要がある。
スティーブン・ピンカー 山下篤子(訳) (2004). 人間の本性を考える[中] 心は「空白の石版」か 日本放送出版協会 p.162-163.
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