危険だという認識が見当はずれになるのには,本質主義の直観のほかにも理由がある。リスク分析家は,人びとの恐怖心がしばしば客観的な危険性とずれていることを発見して当惑する。大勢の人が飛行機を避けるが,実際は車で移動する方が11倍も危険性が高い。サメに食べられるのを恐れるが,浴室で溺死する率のほうが400倍も高い。飲用水からクロロフォルムやトリクロロエチレンを除去するために高額な費用のかかる対策を要求するが,ピーナッツバターのサンドイッチを常食する方がガンになる見込みが何百倍も高い(ピーナッツには発癌性の高いカビがつくことがある)。こうしたリスク評価の誤りの中には,高所や閉所や捕食や毒に対する生得的な恐怖が関係しているものもあるかもしれない。しかし人は,心が確率を見積もる方法のために,たとえ危険性についての客観的な情報を提示されてもそれを十分に理解できないのかもしれない。
スティーブン・ピンカー 山下篤子(訳) (2004). 人間の本性を考える[中] 心は「空白の石版」か 日本放送出版協会 p.178
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