悲劇的ヴィジョンにおいては,人間は生まれつき知識や知恵や美徳に制約があり,社会機構はすべてそれらの制約を認識しなくてはならない。「はかない人間には,はかないことが似つかわしい」とピンダロスは書き,「人間性という曲がった木材から,真にまっすぐなものは作れない」とカントは書いた。悲劇的ヴィジョンとつながりがあるのは,ホッブズ,バーク,スミス,アレグザンダー・ハミルトン,ジェイムズ・マディソン,法曹家のオリヴァー・ウェンデル,ホームズ・ジュニア,経済学者のフリードリッヒ・ハイエクおよびミルトン・フリードマン,哲学者のアイザイア・バーリンおよびカール・ポパー,法学者のリチャード・ポズナーである。
一方のユートピア的ヴィジョンによれば,心理的制約は社会機構から生じる人為的所産であるから,よりよい世界で何が可能かと考える観点が,それによって制約されるべきではない。ひょっとすると「ある人たちは,ものごとをあるがままに見て『なぜ?』と問う。私はこれまでになかったものごとを夢見て『なぜそうであってはいけないのか?』と問う」を信条にしているのかもしれない。これは1960年代のリベラリズムの偶像だったロバート・F・ケネディの言葉としてしばしば引用されるが,もともとはファビアン協会の斬新的社会主義者だったジョージ・バーナード・ショーが書いた言葉である(ショーは「早期に着手されるなら,人間の本性ほど完全に変えられるものはない」とも書いている)。ユートピア的なヴィジョンは,ルソー,ゴドウィン,コンドルセ,トマス・ペイン,法律家のアール・ウォレン,経済学者のジョン・ケネス・ガルブレイス,それに少し遠くなるが政治哲学者のロナルド・ドゥオーキンともつながりがある。
スティーブン・ピンカー 山下篤子(訳) (2004). 人間の本性を考える[下] 心は「空白の石版」か 日本放送出版協会 p.18-19.
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