デューク大学の実験の衝撃はあまりに大きく,それが発表されてからというもの,エピジェネティクス研究は爆発的に増えた。その衝撃がどんなものかを紹介しよう。
まず,遺伝子設計は消えないインクで書かれているとされていた常識を,エピジェネティクスは消してしまった。それ以降の科学は,遺伝子は不変でも指示は変わりうるという概念を考慮しなければならなくなった。まったくおなじ遺伝子セットであっても,ここの遺伝子がメチル化されるかされないかで異なる結果を生み出す。遺伝子コードという土台だけでなく,その上にかぶさる別の層の条件が出現したのだ(エピジェネティクスの「エピ」はギリシャ語の接頭語で,まさに「上にある,あとから,別の」という意味である)。もっとも,この実験の結果に全員が全員,驚いたというわけではない。一部の研究者は50年も前から,遺伝子が同じでも,それで出てくる結果はかならずしもおなじでないことを指摘してきていた。一卵性双生児の指紋は似ているけれど一致するわけではないことがいい例だ。
つぎに,このデューク大学の実験はラマルクの亡霊を思い起こさせる。母親が生きているときの環境要因が子どもの形質遺伝に影響することが示されたのだから,環境要因はベビー・マウスが受けついたDNAを変えてはいないが,DNAの発現のしかたを変えている以上,やはり遺伝を変えていることになる。
デューク大学では最初のマウス実験のあと,別の研究チームが別の発見をした。妊娠したマウスの食事にコリンという物質を少量混ぜてやると,子マウスの脳が異常に活性化することがわかったのだ。コリンはメチル化を引き起こし,その結果,通常なら脳の記憶中枢で細胞分裂を制限する遺伝子のスイッチを切った。細胞分裂抑制器の電源をオフにされたマウスは,記憶細胞を遠慮なく作った。そのマウスの記憶力は増強された。がんがん送られてくる情報を,どんどん受け取り,ためていった。超「脳」力をもったマウスは成長すると,これまでの迷路レースの記録をつぎつぎと塗り替えた。
シャロン・モアレム,ジョナサン・プリンス 矢野真千子(訳) (2007). 迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来るのか 日本放送出版協会 p.192-193
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