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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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シリル・バートの言葉

 イングランドでは,IQテストはさらに重大で中心的な役割を演じた。すなわち,第二次世界大戦後に導入された能力別選択方式の教育制度の基礎となったのである。任意の児童に対して11歳の段階で知能テストを行えば,その子の「先天的知能」を測定することができるとするシリル・バートの熱烈な主張の勢いにおされ,11歳全体を対象としたテストの結果によって児童たちを----平等とはほど遠い----3つの別個の教育課程のどれかひとつの枠組のなかへ,「流しこむ」ことが決定された。
 以下は1947年に述べられたバートの言葉である。「在校中であれ卒業後であれ,知能というものは,その子の話し方,考え方,ものごとをなすなし方,試み方など,あらゆる面を構成する要素になるであろう。……知能とは生まれながらに与えられたものである以上,子どもの知能の発達の範囲には限界があり,その限界の線は動かし得ない。教育にどれほど時と力を注ぎこんだとしても,知能のどの面でも明らかに正真正銘の欠陥の持ち主である生徒を,正常な生徒に変えることはできないであろう。」実に悲観的な意見である。ビネーの考え方とは正反対の立場に立つものである。のちにバートは,知能と「教育可能な範囲内の能力」とを同一視するにいたり,この悲観的な意見は,さらにいっそう単純で平明な言葉で表現されることになる。1961年に,バートはこう書き記している。「能力という器がその内容量を限定することは明白である。容量1パイントのジョッキに,1パイント以上のミルクを入れることは不可能である。同様に,ひとりの生徒が,その子の受容能力を上まわって教育的成果を達成することもあり得ない。」これを言い換えれば,IQ測定検査は,ある児童の教育され得る範囲の限界を知ることができるから,検査の結果が示す受容能力を超えた教育をその児童にむりやりに押しつけることは明らかにばかげたことだということになる。

H・J・アイゼンク,L・ケイミン 齊藤和明(訳) (1985). 知能は測れるのか--IQ討論 筑摩書房 pp.167-168
(Eysenck, H. J. versus Kamin, L. (1981). Intelligence: The Battle for the Mind. London, Pan Mcmillan.)
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