同じ考えが教育の世界にどう応用できるか考えてみよう。わたしは最近,公教育における意欲刺激と説明責任に関する連邦委員会に参加した。社会規範と市場規範のこの側面は,今後わたしが探究したいと考えている課題のひとつである。委員会の任務は,「落ちこぼれゼロ」政策の見なおしと,生徒,教師,学校管理者,親の意欲を高める方法を見つける手助けをすることだ。
これまでの感触では,共通試験や能力給によって教育が社会規範から市場規範へ押しやられてしまう可能性が高いように思う。すでにアメリカでは,生徒ひとりにつき,どの西洋社会より多くのお金を注ぎこんでいる。ここへきて金額をさらに増やすのは賢明だろうか。試験についても同じような検討が必要だ。すでに頻繁に試験をおこなっているのだから,これ以上増やしても教育の質が向上する見込みは少ない。
わたしは,社会規範の領域に答えがあるのではないかと考えている。これまでの実験から学んだように,現金ではある程度のことしかできない。社会規範こそ長い目で見たときにちがいを生む力だ。教師や親や子どもの関心を試験の点数や給料や競争に向けさせるかわりに,教育の目的や任務や誇りの感覚を吹きこむほうがいいかもしれない。そのためには市場規範の道を進むわけにはいかない。しばらく前にビートルズが「キャント・バイ・ミー・ラブ(お金じゃ愛は買えない)」と高らかに歌ったが,これは学問への愛にもあてはまる。向学心はお金では買えない。ためせば消してしまうかもしれない。
ダン・アリエリー 熊谷淳子(訳) (2008). 予想どおりに不合理:行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 Pp.126-127
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