論文や著書の発表を強調する結果,研究能力を中心とした評価に傾き,教育活動を省みない状況が生まれた。研究者は,学術世界での成功を目指し,昇進やよりよいポスト,助成金の獲得のために,できるだけ多くの論文を生産しようとする。その結果,バレットも指摘したように,業績至上主義がはびこり,誰にも読まれないような論文が大量に出版される。重複発表が編集者の悩みとなり,一流誌さえも論説記事で注意を促す必要が生じた。学術機関が教員の採用や昇進にあたり発表論文数に重きを置く結果,不適切な出版が広まる。ひとつの論文で済むにもかかわらず,小さな断片的な論文に分割する最小出版単位症候群(Least Publishable Units Syndrome),まるでサラミソーセージのように,同じような論文をいくつも発表する(サラミ論文)などが,情報洪水を助長してしまう。また,研究テーマも,長期的に追跡する研究よりも,短期的に決着するような研究や,流行のトピックスを追うことになりやすい。オーサーシップの視点からみると,実際的な寄与のない人を著者に含める結果,多数著者による論文が増大することになる。こうして,1970年代になると,数多く出版するのを優先することからくる,負の側面が目立つようになった。
山崎茂明 (2007). パブリッシュ・オア・ペリッシュ:科学者の発表倫理 みすず書房 Pp.9-10
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