頭蓋骨の中にしまいこまれている脳は,16世紀に初期の解剖がおこなわれるようになるまで知りえないものであった。長い間,魅惑の対象として想像上の特質をまとわされてきた。古代から現代に至るまで,時代ごとにそのときのヴィジョンがそこに投影された。灌漑装置や光学器械,最近になるとコンピュータというふうに,脳はその時代の機械になぞらえられてきた。紀元前4世紀頃には哲学者アリストテレスが,「水で満たされている脳は,血液を冷やす役目しかなく,心臓が魂の座である」と主張していた。2世紀になると,ギリシャの医者ガレノスは羊と子牛で実験をおこない,脳につながった脊髄が「感覚と動作に不可欠」だと記した。アラビアの哲学者であり医者だったアビセンナは西暦1000年,この奇妙な脳みその塊が腸を連想させるとして,「上にある腹」と言い切っている。1540年にベルギーの解剖学者ヴェサリウスが始めて以降,レオナルド・ダ・ヴィンチが言うところの「ゼラチン質のカリフラワー」は解剖して調べられるようになったが,試行する器官は謎に包まれたままだ。19世紀になると,脳の形状や構造が研究され,脳の重さが測定され,事故の犠牲者の場合は脳損傷部分が探し当てられ,精神病患者の場合は機能を見きわめるための手がかりだけが得られた。そのころから,なぜ能力が人によって違うのかを説明する学説がこしらえられるようになる。骨相学や頭骨計測法が,明白なイデオロギー上の偏見を支えるようになった。脳の大きさによって,黒人と白人,労働者と経営者,男と女の違いの正当さが説明された。そうなると,女性の地位は覆しようのない生物学的解釈にぶつかってしまう。<か弱い性>とも呼ばれる女性の小さな脳は,知的に劣っていることの証明だという解釈だ。
カトリーヌ・ヴィダル/ドロテ・ブノワ=ブロウェズ 大谷和之(訳) (2007). 脳と性と能力 集英社 pp.19-20
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