子供の一日,一年は濃密だ。点と点の隙間には,さらに無数の点がぎっちりと詰まり,密度の高い,正常な時間が正しい速さで進んでいる。それは,子供は順応性が高く,後悔を知らない生活を送っているからである。
過ぎたるは残酷なまでに切り捨て,日々訪れる輝きや変化に,節操がないほど勇気を持って進み,変わってゆく。
「なんとなく」時が過ぎることは彼らにはない。
大人の一日,一年は淡泊である。単線の線路のように前後しながら,突き出されるように流されて進む。前進なのか,後退なのかも不明瞭なまま,スローモーションを早送りするような時間が,ダリの描く時計のように動く。
順応性は低く,振り返りながら,過去を捨てきれず,輝きを見いだす瞳は曇り,変化は好まず,立ち止まり,変わり映えがない。
ただ,「なんとなく」時が過ぎてゆく。
リリー・フランキー (2005). 東京タワー オカンとボクと,時々,オトン 扶桑社 p.83
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