数学者はいわば証明にとりつかれていて,推論を支える証拠が実験で得られたくらいでは満足しない。このような姿勢に対して,科学の他の分野から驚嘆の声が上がることも多いが,時にはあざけりの声も聞こえてくる。ゴールドバッハの予想は,2001年現在400,000,000,000,000(400兆)までのすべての数について成り立つことが確認されているが,それでも定理としては認められていない。これが数学以外の分野なら,これほど圧倒的な数値データが得られれば,納得できる主張として喜んで受け入れ,ほかのことに関心を移すはずだ。後になって新たな証拠が見つかり,数学の規範を再評価しなければならなくなったとしても,それはそれでかまわないではないか。科学の他の分野にとって十分なことが,なぜ数学にとっては不十分なのか。
たいがいの数学者は,このような反論を考えただけで震え上がるはずだ。フランスの数学者アンドレ・ヴェイユがいうように,「人間にモラルが不可欠であるように,数学には厳格さが必要不可欠」なのだ。なぜ厳格さが不可欠かというと,ひとつには,数学では証拠の評価がしばしば非常に難しいからだ。数学の中でもとりわけ素数は,なかなかその真の姿をはっきりさせようとはしない。ガウスは素数に関してある予測を行い,それを裏付ける圧倒的なデータが得られたことから,この予測が正しいと考えた。ところが後に理論的に分析したところ,実は間違っていたのである。あのガウスですら騙された。第一印象が正しいとは限らないから,証明が必要なのだ。科学の他の分野では,ほんとうに信頼できるのは実験で得られた証拠だ,という態度が支配的だが,数学の場合は,いかなる数値データも証明なしには信用すべからず,という姿勢が染みついている。
マーカス・デュ・ソートイ 冨永星(訳) 素数の音楽 新潮社 pp.53-54.
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