生物倫理学者にして思想家で,医学博士号ももつカール・エリオットは,小さな贈り物が受け取った側を絡めとっていく様子をさまざまな角度から書き記している。彼の弟で精神科医のハルが,大きな製薬会社の講演者に名前を連ねそうになった顛末を話してくれたという。会社からの最初の依頼は,地元のグループにうつ病について話すことだった。お安いご用,一種の公益事業だ,と弟氏は考えた。次は同じテーマで,話す場所は病院だそうだ。そのうち,会社は彼が話す内容にいろいろ注文をつけ,テーマもうつ病ではなく抗うつ剤にしてほしいと言ってきた。それから,全国の講演旅行にご招待しましょう,「金になりますよ」ときた。そして彼らの会社が新しく開発した抗うつ剤について講演してほしいという。彼は当時を次のようにふりかえった。
兄貴が女性で,パーティに出席していると思ってみてくれ。上司もその場にいて,「ねえ,ちょっと頼みごとをいいかい。あそこにいる男性のお相手をしてやってくれないか」と言う。見るとちょっといい男で,自分には特定の恋人もいないから「ええ,かまわないわ」と答える。そして気がついてみると,何のマークもない飛行機の貨物室に乗せられて,バンコックの売春宿に売られていくところなんだ。「なに,これ?こんなことをオーケーした覚えはないわ」と兄貴は言うだろうさ。でもほんとうはこう自分に訊くべきなんだ。「体を売るなんて話,どこが始まりだったのかしら。ひょっとしてあのパーティ?」
キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン 戸根由紀恵(訳) (2009). なぜあの人はあやまちを認めないのか:言い訳と自己正当化の心理学 河出書房新社 pp.72-73
(Tavris, C. & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (but not by me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Houghton Mifflin Harcourt.)
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