先史時代のチャーチルの推測も裏づけされている。現代の狩猟採集民は先史時代の社会をかいま見せてくれる存在であるが,かつては,彼らの戦闘は儀式的でだれか一人が倒れるとすぐに停止されると考えられていた。しかしいまでは,世界大戦の死傷者がかすんで見えるほどの率で殺し合いをすることが知られている。考古学的な記録もこれよりましとは言えない。何十万年にもさかのぼる血なまぐさい先史時代の無言の目撃証言が,地中や洞窟にひっそりと横たわっているのだ。頭皮をはがれた跡や,斧の傷跡のある頭蓋骨。矢尻の刺さった頭蓋骨。人を殺すために特殊化した,狩猟には適さないトマホークや槌矛に似た武器。先端のとがった棒でできた柵など,要塞のような防御設備。それに複数の大陸で見られる,人間がたがいに矢や槍やブーメランを投げ合っている場面や,それらの武器で倒された場面を描いた絵。「平和の人類学者」たちは何十年間も,カニバリズム(食人)の習慣はどんな人間集団にもなかったと主張していたが,それと矛盾する証拠がどんどん集まっており,なかには決定的な証拠もある。アメリカ南部の850年前の考古学発掘現場から,食用にする動物の骨のようにぶつ切りにされた,人間の骨が発見された。そしてヒトのミオグロビン(筋肉たんぱく質の一つ)が,土器の破片からも,化石化した人糞からも(動かぬ証拠として)発見されたのである。ネアンデルタール人と現生人類の共通祖先の近縁であるホモ・アンテセソール(Homo antecessor)も,たがいを殴ったり解体したりしており,暴力とカニバリズムが少なくとも80万年前にさかのぼることを示している。
スティーブン・ピンカー 山下篤子(訳) (2004). 人間の本性を考える[下] 心は「空白の石版」か 日本放送出版協会 p.52.
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