親と子を人間ドラマの主役にしたのはルソーだった。子どもは高貴な野蛮人で,育児や教育はその本質的な性質を開花させるか,あるいは堕落した文明の荷物を背負わせる。20世紀版の高貴な野蛮人とブランク・スレートは,親と子を中央舞台に置きつづけた。行動主義者は,子どもの人格は強化刺激の随伴によって形成されると主張し,親が子どもの泣き声に反応すると泣き叫ぶ行動に対して報酬を与えることになり,泣き叫ぶ行動の頻度が増えるだけだから,親は子どものSOSに反応すべきではないと助言した。フロイト派は,子どもの人格形成は離乳や,トイレット・トレーニングや,同性の親との同一化がどれくらいうまくいくかによって左右されるという学説を立て,赤ちゃんを親のベッドに入れると有害な性的欲求を喚起させることになるので,入れないようにと親に助言した。まただれもが,精神障害を母親の責任にする理論を立てた。自閉症は母親の冷たさのせいにされ,統合失調症は母親による「ダブルバインド」のせい,拒食症は娘に完璧さを求める母親の押しつけのせいにされた。自己評価の低さは「毒のある親」のせいで,そのほかの問題はすべて「機能不全家庭」のせいだった。いろいろなタイプの心理療法で,50分間のセッションが患者の子ども時代の葛藤をよみがえらせることに費やされ,たいていの伝記はその人の悲劇や大きな業績のルーツを求めて子ども時代を詮索しまわった。
そしていまでは,高い教育を受けた親のほとんどが,子どもの運命は自分の掌中にあると信じている。
スティーブン・ピンカー 山下篤子(訳) (2004). 人間の本性を考える[下] 心は「空白の石版」か 日本放送出版協会 p.192.
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