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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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たどり着けない

 情報をプールする相互につながった知性と処理能力がこれからどうなるか,しっかり考えなければならなくなるのは,知識を処理する人間の能力がどんどん拡大することについて,また別の心配が突きつけられているためでもある。我々が知識を獲得する今の速さを単純に延長すれば,人間の能力は危機に向かうことになるらしい。現時点では,中等教育には6年ほどかかり,理系の学生が数理科学の先端がどうなっているかがわかりはじめるだけのものを身につけるまでには,さらに3年の大学教育が必要になる。自力で知識への貢献ができるようになるには,ふつうさらに2,3年はかかる。この教育の道筋は,もちろん,科学研究用に最適化されているわけではない。それは万人に合うようになっていなければならない。当然,人間の理解のいろいろな最先端の1つに達するまでには相当の時間と努力が必要だ。たいていの学生はとてもそこまでは達しない。知識が深まり,広がれば広がる分,先端に達するために必要な時間も長くなる。この状況は,専門化を進めることによって対処して,先端として目指される部分をどんどん狭くするか,教育訓練の時間を長くするか,いずれかによってのみ対処できる。いずれの選択肢も完全にそれで満足できるというものではない。専門化が進めば,この<宇宙>についての理解が分断される。予備訓練の期間が長くなれば,創造力があっても,成果のはっきりしない長い道のりに踏み出すのが遅れる人が多くなる。何と言っても,自分が研究者としてやっていけないということがわかる頃には,他の職業に移るには遅すぎるということもあるだろう。さらに深刻なのは,科学者として生きる最初の創造的な期間を,わかっていることを消化し,研究の先端にたどりつくために費やすことになるという可能性ではないか。

ジョン・D・バロウ 松浦俊輔(訳) (2000). 科学にわからないことがある理由 青土社 pp.182-183
(Barrow, J. D. (1998). Impossibility: The limits of science and the science of limits. Oxford: Oxford University Press.)
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