あるいは,より深刻な問題として,現代日本の刑事事件の被害者救済・被害者保護の問題に立ちはだかる「壁」についても,喧嘩両成敗法や中世以来の衡平感覚との関連が指摘できるかもしれない。というのも,現在,まったくいわれのない事件に巻き込まれて心身に傷を負った被害者に対して,マスコミや無関係者によって「被害者側の落ち度」が穿鑿され,しばしばそれが被害者を二重に苦しめ,また公的機関による被害者救済を遅らせているという悲劇がある。これには直接にはマスコミ倫理の問題になるのだろうが,そうした情報を渇望する国民の側に,なんらかの事件になる以上,被害者側にも相応の「落ち度」があるはずだ,という無根拠な思い込みがないとは言いきれない。それ自体,喧嘩両成敗法や折衷の法を成り立たせた中世人の心性の重要な一要素でもあるが,もし,それが数百年を経た現在まで無責任に信奉されているのだとすれば,私たちの社会が荷った“負の遺産”はあまりに大きいものであったといわざるをえない。
清水克行 (2006). 喧嘩両成敗の誕生 講談社 pp.203
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