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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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ランセット

ハッサルの顕微鏡が物議を醸す頃までには,トマス・ワクリー(1795〜1862)は数十年間,英国の食品を改良する道を探っていた。「生涯にわたる急進論者」だった彼は,医者としての前途洋洋たる人生が,ある奇妙な身辺の噂で絶たれたあと,医学週刊誌『ランセット』を創刊した。1821年8月,当時若くして結婚早々の外科医だったワクリーは,自宅で何者かに襲われ,家は焼失した。保険会社は彼が放火したと言い立てた。なぜなら,家に高額の保険がかけられていたからだ。一方,その年の8月以前に絞首刑に処された5人の政治的過激主義者の死体の首を切断した外科医はワクリーだという,もう1つの噂が流れた。現在わかっている限り,どちらの噂にも根拠はない。1821年,ワクリーは自分を放火犯にした保険会社を訴えて裁判に勝ち,保証金の全額を受け取った。しかし彼は,妻同様,その経験で動揺し,新しい方向に進むことにした。
 「ランセット」という言葉は,ワクリーも知っていたように複数の意味を持っていた。最も知られていたのは,それが医療器具であるということだ。一種の外科用メスだが両刃で,切開をするのに使われた——ちょうど,『ランセット』が理不尽と病気の両方を摘出しようとしていたように。さほど知られていなかったのは,それが建築用語としての意味も持っているということだ。ランセットはゴシック建築のアーチ形の窓で,光を採り入れるように設計されていた。そもそもの初めから,『ランセット』は批判と同時に啓蒙を目的にしていた。ワクリーは,ある事実を正しい形で公表することは良い結果を産むと固く信じ,自分の週刊誌を狭い医学界の読者向けではなく,一般大衆向けのものにしようとした。健康に対する彼の考えは社会的なもので,単に個人的なものではなかった。『ランセット』は,病院が自らの統計を公表し,医学団体がもっと開かれた,もっと専門職の民主的なものになるよう運動した。そして,健康のあらゆる敵——偽医者,無能な医者,不十分な貧民救済制度,軍隊における残酷な体罰制度——を攻撃した。ワクリーは最も広い意味での公衆の健康のために論陣を張った——そして,それは必然的に,混ぜ物工作が施された食品に対する正面攻撃になっていった。

ビー・ウィルソン 高儀 進(訳) (2009). 食品偽装の歴史 白水社 pp.161-162
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