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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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ユートピア思考からジェノサイドへ

ユートピア・イデオロギーがジェノサイドを招く理由は2つある。1つは,功利計算が致命的な結果をもたらすことだ。ユートピアとはすべての人が永遠に幸せになれる社会であり,その道徳的価値は無限大である。5人を轢き殺す恐れのある暴走路面電車を,1人の命を犠牲にするだけですむ側線に迂回させることが倫理的に許容されるのかと問われれば,大方の人は首を縦に振るだろう。だが,迂回させることで1億人,10億人,あるいは不確かな未来のことまで考えれば,無数の人を救えるとしたら?この無限の善と引き換えに,何人までなら犠牲にすることが許されるのか?数百万人なら許容範囲だと考えられる可能性はある。
 それだけではない。完璧な世界が約束することについて知りながらも,それに反対する人たちもいる。彼らは,無限の善を実現するための計画の前に立ちはだかる,唯一の邪魔者である。どのくらい悪者か?ちょっと考えればわかるだろう。
 ユートピアがジェノサイドを引き起こす2つ目の理由は,ユートピアとは整然とした青写真に従うべきものだからだ。ユートピアでは,あらゆるものに存在する理由がある。人間の場合を考えてみると,1つの集団は多種多様な人間で構成されている。なかには完璧な世界には合致しない価値観に,断固として——おそらくは本質的な意味で——固執する人もいる。共有所有を基本とする社会で起業家的な考え方に立つ人もいれば,肉体労働を柱とする社会で本ばかり読みたがる人もいる。敬虔であることに価値を置く社会で図々しく生意気であったり,調和を重視する社会で排他的だったり,自然回帰的な社会で都会的で商業主義的であったりする人もいるかもしれない。まっさらな紙に完璧な社会を設計しようというとき,こうした目障りな存在は最初から消してしまった方がいいではないか?

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.571-572
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