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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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集団の思考の病理

集団は,思考の病理をいろいろと生むことがある。その1つ目が分極化だ。おおむね同じような考えをもった人々を1つの集団にして,そのなかで徹底的に議論をさせてみると,各人の意見はさらに似てくるようになり,しかもさらに極端になってくる。リベラルな集団はよりリベラルになり,保守的な集団はより保守的になる。2つ目の集団の病理は,鈍化だ。この力を心理学者のアーヴィング・ジャニスは「集団思考(グループシンク)」と呼んでいる。集団はそのリーダーに,彼の聞きたがっていることを言う傾向があり,異議は抑えこまれ,ひそかな疑念は検閲され,固まってきたコンセンサスに矛盾する証拠は取り除かれることになりやすい。そして3つ目が,集団間の敵意である。もし自分が数時間,自分の好まない意見を持つ誰かと1室に閉じ込められたとしたら——と想像してみよう。たとえばあなたはリベラルで,相手は保守派,またはその逆とか,あるいはあなたが親イスラエルで,相手が親パレスチナ,またはその逆,といった具合である。このときに,そこで対話するのがあなたと相手の2人だけだったら,おそらくその対話は礼儀正しく,ほのぼのとしたものにさえなるだろう。しかし,もしあなたの側に6人がいて,相手の側にも6人がいたとしたら,どうなるか。おそらく多くの人が大声でわめき,顔を真っ赤にし,ひょっとしたら小さな暴動さえ起こるかもしれない。要するに問題は,集団というものが各人の思っている自らのアイデンティティを一手に引き受けてしまうということであり,各人の集団内で認められたいという思いと,別集団の考えより自分たちの考えを優勢にしたいという思いとが,各人の分別ある判断を上回ってしまえるということなのだ。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 下巻 青土社 pp.331
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