古典的区分として,帰納推理と演繹推理の区分がある。演繹推理は,真とされる命題から結論を推論することにかかわるが,その過程で意味的情報を増加させることはない。すなわち,結論は前提の中にすでに内在している情報を単に明示的に言明するものでしかない。哲学の下位分野である論理学は,必然性の原理に基づいて演繹推理の正しい手続きを規定することに関心をもっている。要するに,これは,妥当であると推論される結論は論証の前提に一致しているだけでなく,一つの反例も存在しないことが必要であることを意味する。例えば,“ジェーンは図書館にある多くの本を読む。図書館にあるすべての本はハードカバーである”と読者に告げるとしよう。読者は,ジェーンは多くのハードカバー本を読むと推論するのは許されるが,彼女はたいていの場合ハードカバー本を読むと推論するのは許されない。なぜなら,おそらく彼女はもっと多くのペーパーバックを購入して読むからである。
帰納推理は,所与の情報を超えて意味的情報の量を増加させることを含む推論で,現代哲学では論理学の領域でなく,現象の説明や科学的推理に関連するものと考えられている。帰納の一形態として,観察された結果に対してありそうな原因を求めることが含まれる----例えば,道路脇にある損傷した車をみて,この場所で交通事故が最近起こったのだと仮定する場合のように。必然性の原理に違反するので,このような推論は論理学的に妥当ではない----その車はだいぶ以前に事故を起こし,無頓着な所有者によってこの場所まで運転されてきて放置されているのかもしれないのである。しかしながら,このような理にかなっており,かつありそうな推理を行なう能力は,われわれを取り巻く世界を理解する上で明らかに重要である。
エバンズ, J. St. B. T. 中島 実(訳) (1995). 思考情報処理のバイアス 信山社 Pp.3-4
(Evans, J. St. B. T. (1989). Bias in Human Reasoning: Causes and Consequences. Hove, UK: Lawrence Erlbaum Associates.)
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