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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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選択的中絶と優生学

出生前診断にもとづく選択的中絶は優生学ではない,なぜなら,それはかつての優生学と違って,個人の自己決定にもとづくものであり,強制ではないからだ,という主張がある。しかし,出生前に淘汰を完了するというプレッツの夢は,妊娠女性の自己決定による出生前診断と選択的中絶を通じて,結果的に十分,達成されうるものなのである。今世紀初頭の優生学者たちからしてすでに,啓蒙や教育を通じて「低価値者」とされた人びとがその自己決定によって結婚や子づくりを断念するよう積極的に働きかけたし,またスウェーデンのケースのように,本人同意(自己決定)の原則は,優生政策の射程を広げる(狭める,ではない)方向で機能した。さらに今日,イギリスでは,すべての妊婦に対して各種の出生前診断について情報を与え,希望者には無料(公費負担)で検査を実施することになっているが,それは圧倒的に多くの場合,選択的中絶に結びつくことで,障害者のケアにかかる福祉コストを削減するという行政側の意図を,見事なまでに実現する結果となっている(坂井律子『ルポタージュ出生前診断』)。
 確かに,出生前診断は現在,ドイツや北欧諸国ばかりでなく,日本を含め多くの国々ですでに実施されており,また,こうした診断技術を切実に望む人々がいることも事実だ。しかし,「自己決定だから優生学ではない」の一言によって,人びとが出生前診断と選択的中絶に対して同時に抱く戸惑いや逡巡,あるいは疑問や批判といったものを,杞憂として一蹴することは,それ自体,歴史的に見れば何の根拠も,裏付けもない主張であり,また,この一世紀あまりの優生学の歴史を手前勝手に歪曲するものでしかない。

米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 139-140
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