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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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直視したくない難題に直面する

このなかで彼らはこう主張している。過去に起こったことと未来に起こるであろうことは決定的に違う。ある集団の遺伝的改善を構想すれば,必ず個人とは別の権威が存在し強制力が伴うことになる。しかし個々人の生殖の自決権として考えれば,事態はまったく違ってくる。親は,それぞれの宗教的信念や職業や習慣に従って,教育を介して,子供を自身の理想に合致させてきた。また,これまでアメリカ社会では,美容外科や心理分析やスポーツ医学の専門家がさまざまに肉体に手を加えてきた。ならば,なぜ親が自身の理想像に従って子どもの遺伝的質を求めることをしてはならないのか。個人的な優生学的追求を非難する倫理原則は見当たらないようにみえる……。
 優生学の悪を強制的であるか否かで区分するのは,歴史的にも意味がない。むしろここでは,アメリカ流の個人主義や自由主義が技術使用の場で貫徹されれば,必然的にこのような結論になってしまうという,単純な事実を認めるべきであろう。
 この点をはっきりさせるためには,欧州社会の対応をみるとよい。個人の自己決定権とプライバシー権を至上とするアメリカの人権概念と違って,ヨーロッパの人権概念は,個人の自己決定に重きをおきながらも,人権や人間の尊厳そのものを維持するため,それに一定の制限を加えてもいる。例えば,アメリカのいくつかの州では商業的な代理母が認められているが,フランスやドイツでは,公共の秩序や,生まれてくる子どもの幸福という観点から,商業的か否かにかかわらず代理母を禁止している。遺伝情報の扱いに直結する技術の使用についても,これを個人の自己決定にのみ委ねることには大きな抵抗があり,その使用を規制している。また,これらの理念を国際的に確認するため,ヨーロッパ規模で「人権と生物医学条約」を発効させている。この条約では,例えば,遺伝病の発症前の遺伝子診断は,保健もしくは保健研究の目的以外では行わない(第11条)として,技術の使用をあらかじめ限定している。
 しかし,これらの優生学の是非はなお,問題の核心を直視していないきらいがある。それは,かつて優生政策として断種の対象にされた大半が精神疾患の患者であったという事実である。精神疾患は子育てや通常の社会生活が不可能という「社会的・優生的」理由から精神病院の退院の条件として断種が行われる例が実際には多く,この場合,個々のケースが本当に遺伝性であるかどうかは重要ではなかったのである。今後ヒトゲノム研究が進めば,中枢神経系の分子生物学的な解明が進むことが確実で,われわれは早晩,いちばん直視したくない難題に直面することになる。

米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 265-267
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