I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

映画の見方

 なんの話だったかな。そうそう,映画の話だ。にわかには信じられないと思うが,私の両親の世代は,適当な時刻に映画館に入っていくのがふつうだった。どんな映画がかかっているかまるで気にしない。それどころか,映画が始まったばかりなのか,中ほどまで進んでいるのか,最後の追跡シーンの最中なのかすら気にしない。お菓子や煙草をお供に機嫌よく座席に腰をすえ,どんな話なのか,だれが悪役で,なぜみんなハンブルクに来ているのか解読しようとしはじめる。そして映画が終わると,辛抱強く予告編とニュース映画を観,アイスクリームを食べ,やがてまた映画が始まると,ようやくだれがだれで,なぜハンブルクに行ったのかわかってくる。そしていったいなにが起こっていたのか,やっとわかって,今度こそ大団円を楽しめるというときになって,「ああ,ここから観たんだった!」と言う――そして映画館を出ていくのである。こんな観客を相手に,いったいどんな脚本を書けばいいというのか。名高い喜劇作家ベン・トラヴァーズから聞いたのだが,1930年代には「田舎」の上流人士は例外なく,劇場の一階奥の席にだいたい20分遅れでやってきていたという(労働者階級のつまらない規則には縛られないことを見せつけるために)。それで彼はいつも,そのころに物語の簡単なあらすじを付け加えて,そんなハイソなかたがたが話についていけるようにしていたそうだ。しかし,ベンは少なくとも,そういう客がだいたいいつごろ入ってくるかはわかっていたわけだ。それに対して,「ああ,ここから観たんだった!」集団は,そもそもなぜ好んで間違った順序で映画を観ていたのか,その理由を考えたことがあっただろうか。少なくとも私の両親は考えていなかった。



ジョン・クリーズ 安原和見(訳) (2016). モンティ・パイソンができるまで―ジョン・クリーズ自伝― 早川書房 pp.356


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