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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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奴隷制度と高血圧説とその批判

 最近,チャールズ・R・ドルー大学(ロサンジェルス)高血圧症研究センターに所属する2人の研究者----トーマス・ウィルソンとクラレンス・グリム----が,『高血圧』(Hypertention)という学術専門誌に「奴隷制度と現代の黒人たちに見られる血圧の較差の生物史----ひとつの仮説」と題する興味ぶかい論文を発表した。これは「アフリカ系アメリカ人」が生粋の「アフリカ人」や「ヨーロッパ系アメリカ人」よりも高血圧症に罹りやすい“理由”を遺伝学的に説明した珍奇な“理論”だ。この説によれば,そもそもアフリカから奴隷としてアメリカ大陸に輸送された人たちの中に「塩類を体内に蓄積させる特殊な体質」の人々が混ざっていたという。つまりこの「特殊体質」を発現させる“遺伝子”を備えた者たちが奴隷たちのなかに含まれていた。彼らは“奴隷船”に押しこまれてアフリカから何か月もかけて米国に送りこまれた。船の中は炎熱地獄。それに船酔いによる嘔吐や,感染症とか栄養失調による下痢で,水分の喪失は著しい。水分とともに体内の塩分やミネラルなども容赦なく奪われてしまう。こうした過酷な環境の中で,奴隷たちは衰弱し次々と死んでいった。米国に“荷揚げ”されたのちも,売られた先の奴隷農場で酷使され,使い捨てにされたのだった。こうした過酷な環境では「塩を体内に溜めこんでおける特異体質」の奴隷のほうが,そうした能力をもたない“正常”な者たちよりも有利であったにちがいない。つまり“奴隷の境遇”という過酷な環境が「淘汰圧」として働き,「塩を体内に溜めこむ傾向」を遺伝的に備えた奴隷の子孫たちが,より多く生き残った。しかし塩っからい食事を存分にとることができ,反面,汗をかくような労働をする機会が減った現在では,こうした“奴隷の子孫”であるアメリカの黒人たちが「塩を溜めこむ特異体質」をもてあまして,高血圧症やこれに関連した各種の病気で苦しむようになった……。ウィルソンとグリムの遺伝学風“おとぎばなし”の骨子は,おおむねこのようなシナリオだった。
 これはイカガワしい理論だと言わざるをえない。ウィルソンとグリムは,高血圧症などの罹患率が「アフリカ現地人」と「アフリカ系アメリカ人」で顕著に違っている実態を説明するために進化論をもちだしてきた。つまり奴隷船輸送と奴隷労働によって“淘汰”が進み,その結果として「アフリカ現地人」から派生した亜種が「アフリカ系アメリカ人」だという解釈である。しかし仮りに「淘汰圧」が働いたとしても,奴隷制度がじまったのは始まったのはほんの300年前ぐらいのものである。“病気”として広範かつ顕著に認められるような遺伝的形質が定着するには,それよりはるかに長い歴史の中で,代々にわたって「淘汰圧」を受け続けていなければ理屈に合わない。形質人類学者のファティマー・ジャクソンは,ウィルソンとグリムが珍説を唱えたのと同じ号に「塩分・高血圧症・ヒトの遺伝的変異性についての進化論的考察」と題する論文を載せ,アメリカで行なわれた奴隷制はさまざまなストレスを通じて奴隷集団を“淘汰”したばかりでなく人種間結婚によってそれまで地理的に隔離されていた人口集団どうしの“交雑”を促すことになったのだから,「アフリカ系アメリカ人」集団の遺伝的多様性を広げることに貢献したのであって(高血圧症に罹りやすい形質ばかりが残っていくような)遺伝的画一化が起きたとは考えにくい,と主張して批判的な論陣を張った。これらを総合して考えると,米国で黒人の高血圧症の罹患率が白人よりも高い現実は,次のように解釈するのが理にかなっているだろう。----つまり依然として続いている人種差別主義とそれによって生じた社会経済的な逆境が,黒人に慢性的なストレスを与えて血圧を上げる心理的な原因を作っており,しかも現代アメリカに特徴的な塩っからいジャンクフードを日常的に食べているせいで,結果的に高血圧症やそれに関連する病気の罹患率を押し上げている,と。

ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.221-223
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