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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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きき手を変えること

 もっとも組織的にきき手の変更に取り組んだのは19世紀末,ヴィクトリア時代のイギリスでの「両手きき運動」であろう。この運動は,左ききの排斥というよりも右ききも左ききも両手ききにしようとするもので,「これからの人間は両手ききでなければならない」という主張のもとで起きた。現在の南アフリカで1899年に始まった第二次ボーア戦争で,いったんは勝利しかけたイギリス軍がオランダ農民に負け始めたころ,簡単に兵隊を補充できないイギリス軍が片手を負傷した場合でも別の手で銃を撃てればよいと考えたことに端を発するらしい。そのほかには「左ききが右手を訓練し,右ききが左手を訓練すれば左右の脳が調和的に機能し,性格も調和のとれたものになる」「左手でピアノを弾き,右手でスケッチをすれば人生は2倍楽しめる」などという理由も唱えられた形跡がある。
 しかし,この運動はすぐに廃れてしまうこととなった。「両手ききが左ききや右ききよりも能力的に優れることはない」という解剖学者の報告や,「左右の手を同じ頻度で使っても両手ききになるわけではない」「左右手を交互に使って動作するという愚劣な訓練よりも自然に任せたほうが,気分的にずっと楽である」などの主張に負けたのである。
 つまり,少しくらい片方の手を使ったところできき手が変わるものではないことが明らかとなり,1920年代には「両手きき運動」は消滅したのである。20世紀の初頭では,むしろきき手の変更は悪いことであるという主張が強まり,アーリットが指摘するように「強制的なきき手の変更は発語だけでなく,読書能力などにも悪影響を及ぼす」といわれるまでになった。
 このような歴史があるにもかかわらず,現在でもなお,大人になってからきき手を変えることを推奨するような報道がなされたり,幼児での左ききの矯正の可否が取り上げられたりする。科学が発展するために必要な条件の1つが知識の蓄積だとすると,こうした現状は少なからず問題であり,学術論文の作成に目を奪われて,知見を社会に伝えることを怠ってきた研究者の怠慢といわれても仕方がない。
 少しくらい左手を使う訓練をしたところできき手が変更できない事実は,左手を使うようにすれば右脳が活性化し,初期のラテラリティ研究が指摘した右脳タイプの情報処理様式の増進や,創造性の発揮につながることなどあり得ないことを証明している。左手が腱鞘炎になる前にそのような試みは考え直したほうが賢明であろう。

八田武志 (2008). 左対右:きき手大研究 化学同人 pp.183-184
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