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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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セマイ

 日本人は自分の国について尋ねられると,たいてい「セマイ」という言葉を使う。「窮屈」「狭い」「混みあっている」というような意味である。この表現を用いるのは,カリフォルニア州ほどの面積の起伏の激しい列島に,1億2600万人が暮らしているので,ひじょうに過密な状態だ,ということをいうためである。なにしろ険しい山岳部が多いので,住宅地や農耕地の面積は限られているのだ。しかし,「セマイ」という言葉は,物理的な狭さ以上の意味を含んでいる。たとえば韓国やオランダも面積は小さく,日本よりも人口過密な国だが,外国に対しては日本よりもはるかに開かれていて,外国人との接触を日本人のようには恐れない。韓国やオランダは,日本と違って,他の国と物理的に分離されていないからであろう(オランダ人はなぜ,オープンな国際感覚を備えたコスモポリタンなのか,その理由を,アムステルダムの友人ハンに訊いてみたところ,こんな答えが返ってきた。「オランダでは電車で居眠りをしたら,外国で目覚めることになるからさ」)
 じっさい,「セマイ」という言葉は,たんに地理的なことを意味するだけではなく,辺境で旧弊な思考と閉鎖的・排他的な人間関係から生じる心理的な圧迫感も意味しているのである。密接な人間関係と窮屈な社会的ネットワークが,私的な空間と個人の自由を制限しているのだが,そのような狭苦しさは,日本人の精神の産物だと考えると,よりよく理解できる。「日本の硬直したシステムは,個人を束縛し,海外の新しい考え方という新鮮な空気を締めだしている。それがいまの日本人の精神に深刻な影響をおよぼしている」と作家のアレックス・カーは述べている。また,現代の核家族家庭もいろいろな意味で狭い。ことに,かつて数世代が同居していた時代と比べれば,どうしようもなく狭い。

マイケル・ジーレンジガー 河野純治(訳) (2007). ひきこもりの国:なぜ日本は「失われた世代」を生んだのか 光文社 pp.372-373
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