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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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ファクトリー・システム

彼らとは対照的に,ハドソン湾会社は湾に流れこむ主要河川の河口に恒久的な交易所を建設して交易者を常駐させ,インディアンがカヌーや犬橇で毛皮を運びこむのを待つことに徹しようとした。未知の内陸へ進出するために必要な知識や技能を,イギリス人はまだ持ちあわせていなかった。彼らはビーヴァーの捕獲や皮剥ぎもできず,冬場の壊血病予防策も知らなかった。内陸で不可欠の輸送手段であるカヌーを製作・操縦したり,モカシン靴,ミトン,カンジキなどを作る技術もなく,すべてを現地のインディアンに依存しなくてはならなかった。だとすれば危険を犯して内陸に乗りだすより,常設の交易所を設けて年中いつでもインディアンから毛皮を受け入れられるようにするほうが,危険もコストもずっと小さいと考えられたのである。1682年までにハドソン湾会社は,ルパーツ・ハウス(ルパート川河口)に続いて,ムース・ファクトリー(ムース川河口),オルバニー・ファクトリー(オルバニー川河口),そしてフォート・ネルソン(後にヨーク・ファクトリーと改称,ネルソン川とヘイズ川の合流点)と,4つの交易所を建設し,それぞれに20人から数十人を常駐させてインディアンの来訪を待った。この体制が「ファクトリー・システム」と呼ばれ,同社が本格的に内陸に進出し始める1770年代までほぼ100年間続けられることになる。

木村和男 (2004). 毛皮交易が創る世界:ハドソン湾からユーラシアへ 岩波書店 pp.24-25
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