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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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女性の権利の制限

まず制限面をみておこう。イスラム社会一般の特徴として,ここでも,社会生活上の男女の住み分けは明確だった。これは公からの女性の排除とみることもできるし,彼女らが男性中心の社会とは異なる「別の世界」に住んでいたともいえる。オスマン史上,表の政治に登場する女性としては,わずかにスルタンのハレムの女性群が挙げられるのみである。政治の場に宮廷関係者以外の女性の名が登場することは,19世紀後半に至るまでほとんどなかった。
 法的な制限は,父親等からの遺産の相続権が男性兄弟の半分であること,各種の契約や裁判において男性の後見人を必要としたこと,伴侶となる男性が複数の妻や奴隷女性を所有する権利をもち,妻・母としての権利が男性に対し1対1には保障されていなかったことなどが挙げられる。結婚における女性の不利な状況は,男性に対し,先払い婚資金(結納金にあたる)と,後払い婚資金(離婚慰謝料にあたる)が義務づけられていることによって一定程度補われたが,今日の感覚でいえば,不公平な条件下に置かれていたことには疑いがない。離婚の男性のイニシアチブで行われ,女性から要求することは難しかった。
 ただし,前近代の社会の中で,この状況をどう判定するかは議論のあるところである。結婚は,非常にお金のかかることだったため,複数の妻をもつ男性は全体の5パーセント程度と少数だった。むしろ,妻にとっての脅威は夫が所有する奴隷身分の女性の存在であったといわれるが,女性の奴隷は,富裕層のステイタス・シンボルとなるほど「高価」な存在であることから,それをもつ者も富裕層に限られた。なお,奴隷女性から生まれた子供と,妻から生まれた子供は,法的にまったく区別されなかった。これは,妻の立場からは不利なことだったといえよう。

林佳世子 (2008). オスマン帝国500年の平和 講談社 pp.245-246
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