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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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似た人々が集まる

新上流階級が一般のアメリカ人から離脱していった背景には,きわめて単純な人間の衝動が働いている。人は誰でも自分を理解してくれる人,話の合う人と一緒にいたい。そのために,飛び抜けて頭のいい人間が,同じく飛び抜けて頭のいい人間と出会う機会が生じるや否や,認知能力による分離メカニズムが動き出すのである。
 人より飛び抜けて頭のいい人間は,子供のころからそうした出会いの機会を夢見ている。なぜなら,認知能力はほかの能力とは違い,子供を孤独にするからである。たとえば,運動能力に秀でたティーンエイジャーなら花形のクォーターバックになれるし,たとえ性格が内気で,友達づきあいが下手でも,周囲のほうから友達になりたいと寄ってくる。あるいは対人能力に秀でたティーンエイジャーなら,まさにそれだけで人気者になれる。そもそも対人能力とはそういう能力のことなのだから。しかし,数学の成績は抜群だが対人能力は普通という男子生徒の場合には,変わり者とみなされるだけである。得意な数学の話をしたくても,相手になってくれるクラスメートはせいぜい1人か2人,運が悪ければ1人もいないだろう。言語能力は抜群だが対人能力は普通という女子生徒も同じである。T.S.エリオットの詩に心を奪われて,どんなにすばらしいかを説明しようとしても,理解してくれるクラスメートはまずいないだろう。ウィットに富む表現も理解してもらえないし,それどころかわけのわからない言葉を使うからと嫌われてしまうだろう。『灰の水曜日』[エリオットの詩作品]について話をしようと思っても,まずぽかんとした顔で見られ,それから冷たくされるのが落ちで,そのことを彼女自身もよくわかっている。

チャールズ・マレー 橘 明美(訳) (2013). 階級「断絶」社会アメリカ:新上流と新下流の出現 草思社 pp.86-87
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