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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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劣等な人々の永続への不安

 劣等人間が世代を超えて永続することに対する不安は,「彼らが持っている何かが彼らの子孫も確実に劣等人間にする」という仮説に基づいている。1870年の時点では,まだ「遺伝子」の存在は知られていなかった。しかし当時のエリート階級の人々の多くは,大多数の人々は救い難い遺伝的形質を持っていると信じていたことに間違いはない。今日でこそ「劣等」という差別的用語を使う失礼な人はいないだろうが,こうした考え方自体は,現在もなお根強く生きている。社会の大多数の遺伝子と言うとき,それは彼らのIQや教育困難性,福祉依存傾向,犯罪傾向などの個人的特性がその時代に固定しており,社会的条件が新しくなっても変化することはないという考えを意味している。


 私は当時使われていた言葉をあえてそのまま使うことにする。すなわち大多数の人間は「劣等」である。「除去すべき人」と言い換えてもよい。端的に言えば,「おまえたちはおまえたちのような子孫を作ってしまうだろうから,我々はおまえたちの遺伝子を除去したいのだ」ということである。言い方はどうあれ,ここには私たち人類の心と人間性は凍結されているという仮定がある。しかし,この過程は間違いであることを歴史が証明している。かつて私は,一人親になってしまう黒人女性の割合は,自立できる黒人男性配偶者の割合が変化するのに応じて変化するだろうと述べたことがある。自立可能な男性が多ければ,より多くの黒人女性が夫を見つける。一方,自立可能な男性がわずかしかいなければ,黒人女性のわずかしか夫を見つけることができず,彼女たちの多くが,一人親(シングルマザー)になるのである(Flynn, 2008)。


 私は「今日の劣等人間は明日の劣等人間」という考え方を否定する。もし,ある社会に一定の割合でIQの低い人々がいれば,彼らはIQの低さのために「劣等人間」の烙印を押されるだろう。そして,世代を経るごとにIQが低下すれば,その社会の「劣等人間」の割合は増加することになる。逆に,もし世代を経るごとに下層階級の人々が「劣等人間」でなくなれば,つまり,もし彼らが永久に「劣等人間」でないのであれば,IQの低い人々,すなわち望ましくない個人的特性を持つ人々の割合が次第に減少することになる。本書の趣旨は,社会が近代化するのに伴って,時代とともに,人々の精神や能力がどのように変容してきたのかを跡づけることに外ならない。



(Flynn, J. R. (2013). Intelligence and Human Progress: The Story of What was Hidden in our Genes. New York: Elsevier.)


ジェームズ・ロバート・フリン 無藤 隆・白川佳子・森 敏昭(訳) (2016). 知能と人類の進歩:遺伝子に秘められた人類の可能性 新曜社 pp.54-55


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