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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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プライバシーと公共性

 プライバシーは固定化した構成概念ではない。それは何かの情報あるいは環境に自ずと備わっている特質ではない。それは人々が印象や情報の流れや文脈を管理することにより社会的状況をコントロールしようとするのに用いられるプロセスなのだ。皮肉屋はしばしばプライバシーを必要とするのは何か隠すものがある人間だけだと言う。しかし,その考え方は論点を紛らわしくさせるだけだ。プライバシーは個人の成長に必要不可欠であり,価値あるものだ。大人になりつつあるティーンエイジャーは,自分が重要な存在であると感じたいものだ。プライバシーは,社会の中で周縁化された,もしくは比較的恵まれていない者たちにとって,特に大きな意味がある。プライバシーを守ろうとするティーンエイジャーの努力はしばしば彼らに力を及ぼす存在によって弱体化されているが,彼らは決してプライバシーを放棄してはいない。それどころか,ティーンはこれまで無力な人々が脈々と用いてきた戦略を現代化し,利用して,常にプライバシーを守るための新しい方法を試みている。コンテンツへのアクセスをコントロールすることでプライバシーを見出す代わりに,多くのティーンは意味へのアクセスをコントロールしている。


 プライバシーと公共性は相反する概念と考えるのは簡単であるし,多くのテクノロジーは,利用者がプライベートでいるか公的でいるかどちらかを選ぶ前提で組み立てられている。しかし現実には,プライバシーも公共性もどちらもあいまいなものだ。多くのティーンは,公共空間を前にプライバシーを退けるのではなく,ネット上のパブリックの中でプライバシーを守る新しい方法を探っている。このようにプライバシーを守るために革新的な戦略を開発することで,ティーンはしばしば力を手にする。プライバシーはただ主体に依存しているわけではない。プライバシーを守ることができるということは,ひとつの主体性の表現なのだ。



ダナ・ボイド 野中モモ(訳) (2014). つながりっぱなしの日常を生きる:ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの 草思社 pp.122-123


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