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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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勝者と敗者の見方

 たとえば次のようなことを考えてみてください。
 いまここに同じ能力をもち,同じような生育環境のAさんとBさんの2人がいます。Aさんは人生において成功している,いわゆる「勝ち組」です。彼は自分が人一倍の努力をしたので,それが報われていまの成功があると考えています。これに対してBさんのほうは,努力しようにも家庭環境に恵まれず,運にも恵まれなかったと言っています。2人の間には現在,経済的な豊かさにおいて,おおいに差がついてしまっています。
 このときAさんは,「自分のいまの地位は自分の努力によるものだ。そしてBさんがうまくいっていないのは努力が足りないからだ」と考えています。これは自由競争社会のイメージです。他方,Bさんのほうは「自分の人生がうまくいっていないのは社会のせいだ。Aさんが「勝ち組」なのは,単に運がよかっただけだ」と考えています。
 このようにわたしたちは,自分が成功すれば努力が見を結んだのだと考えがちで,自分が失敗すれば社会に問題があるからだと考えがちです。しかし同時に,他人の成功は社会的な追い風によるもので,他人の失敗はその人の自己責任だと考える傾向もあります。
 実際は,「勝ち組」でも「負け組」でも,生まれて,育って,社会生活を営むという人生のあゆみにおける成功や失敗には,個人に帰するべき事情と,社会に帰するべき事情が混在しています。ですから,できることなら個人の努力の成果は削らずに,社会の仕組みの不備だけを選び出して調整すべきなのです。
 ところが,結果として生じた経済的な格差を調整する方法をとったのでは,個人に帰するべき努力の成果と,社会に帰するべき不平等を区別なく均してしまうことになるのです。するとAさんのような「勝ち組」にとっては,自分が努力して勝ち取ってきたものまで不当に削られて,努力をしていない(とみなされる)人に分け与えるということになります。他方Bさんにような人は,努力が十分であったかどうかは省みず,社会保障を受けるのは当然だと考えます。

吉川 徹 (2009). 学歴分断社会 筑摩書房 pp.69-71
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