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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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魚はいない?

しかし,分岐学者の帝国では事態はさらにおかしなことになる。前に説明したように,ヘニックによれば,命名に値する正当な分類群は系統樹の枝まるごとに相当する子孫すべてを含む群だけである。しかし,系統樹を見ると,ある小さな問題が浮上する。その小さな問題の存在は白黒まだらのウシが声を上げて教えてくれる。ウシは魚の中に入り込んでいる。つまり,すべての魚を含む枝を切り出したならば,ウシはその中に入っているということだ。ウシだけを除外することはできない。2回切り落としたとしても不完全な分類群になるだけだ。要するに,ヘニックの基準に従えば,魚類は真の進化的な分類群ではないということになる。魚類はある共通祖先に由来するすべての子孫から成る群ではない。ウシを含めたときに初めてその条件が満たされる。その結果として,魚類は“実在する分類群”ではない。肺魚やコイやサケが存在しないという意味ではない。分岐学者の基準であれ他学派の基準であれ,これらは確かに実在する。系統樹からある枝を1回切り落せばそれは肺魚だったりサケだったりする。しかし,分岐学者が攻撃するのは魚類全体は実在する群ではなく人為的な群であるという点だ。言い方を換えれば,肺魚やサケやコイをまとめて“魚類”という単一群とみなすためには共通祖先からのすべての子孫を含む必要がある。このとき地球上のすべてのウシは,おなじみのベッシーも1871年のシカゴ大火の原因となったオレアリー夫人のウシもひっくるめて,魚類という群に含まれることになる。
 ウシを含む必要があるというだけではない。この群を“魚類”と呼ぶためにはヒトまで含めてすべての哺乳類を含まねばならない。
 ウシが魚?ヒトも魚?魚という分類群は実在しない?そんな馬鹿なことがあるものか。しかし,ヘニックの方法論に反旗を翻すことはできない。あなたがどのような立場を取ろうが,系統樹の真実と進化史に矛盾しない進化的な分類を目指すならば,ベッシーはもちろん地球上のすべてのヒトを(あなた自身も含めて)魚類の中に含めるしかない。さもなければ,魚類という分類群は実在しない。
 結論。魚類は死んだ。かつてダーウィンが分類学は生命の系譜に基づかねばならないと述べたことの必然的な帰結がこれだ。自然の秩序の背後には巨大な生命の樹があることを,そして生命は進化することをダーウィンが指摘した瞬間から科学はこの逃れられない到達点を目指してきたのだ。ダーウィンが進むべき道を示し,ついにそのときがやってきた。分岐学者は最終的に系統樹が示す類縁関係のみに,すなわち命名されるべき枝のみに目を向けた。ヘニックの分岐学の銃は(彼自身はハエの分類学者として1976年にこの世を去ったので,実際にはその後継者たちが手を下したのだが)魚類にとどめを刺した。

キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.299-301
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