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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「生物学」の記事一覧

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遺伝子だけでペットはつくれない

 クローニングが期待され,だからこそ恐れられているのは,家畜,ペット,そしておそらく人間の子どもまで含めて,動物の複製をつくれる能力がこの技術にあるからだ。しかし,クローニングによってつぎつぎに生まれてくるヒツジやネズミ,ウシ,ヤギ,ウマ,ブタなどに世間の多大な関心が集まっているなかで,すっかり陰に隠れている驚くべき観察結果がある。クローンは決して複製ではないのだ。これが最も明確に表されたのは,世界初のクローン猫,Cc(カーボンコピーの略)が2001年12月22日に誕生したときである。Ccをつくりだしたプロジェクトは,ある犬の飼い主の資金援助を受けていた。その飼い主は死んだ愛するコリーの複製をつくりたいと願い,クローンならその希望をかなえてくれると期待していた。しかし,白い毛にグレーの縞が入ったCcが,母親と似ても似つかないことは一目瞭然だった。母親のレインボーは白地に茶色と黄褐色と金色の斑点のある典型的な三毛猫だったのだ。そしてCcが成長するにつれ,さらに多くの違いが現れた。たとえばレインボーは肉付きがよくておとなしかったのに,娘のCcはやせていて活発だった。これこそ明らかな証拠ではないか。つまり---とくとごらんあれ---遺伝子だけではペットはつくれないのである。


マーク・S・ブランバーグ 塩原通緒(訳) (2006). 本能はどこまで本能か ヒトと動物の行動の起源 早川書房 pp.96-97.
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差別の正当化?

 それでは,生物学の発見は人種差別や性差別を正当化できるのだろうか?とんでもない!偏狭な差別を告発するのは,人間は生物学的に区別がつかないという,事実についての主張ではない。個人を,その個人が属する集団の平均的特性にしたがって判断することを糾弾する道徳的姿勢である。開かれた社会は,雇用や昇進や給与や入学や刑事裁判に際して,人種や性や民族を無視することを選択しているが,それはそれ以外のやり方が道徳的に不快だからである。人種や性や民族にもとづいて人を差別するのは不当であり,本人にはどうにもできない特性にペナルティを課すことになる。アフリカ系アメリカ人や女性やその他の集団が奴隷にされたり虐げられたりしていた過去の不正義を存続させることになる。社会を敵対する派に分裂させ,恐ろしい迫害にまでエスカレートさせかねない。しかし差別に反対するこれらの議論はどれも,人間の集団は遺伝的に区別が可能か不可能かという問題に依拠してはいない。


スティーブン・ピンカー 山下篤子(訳) (2004). 人間の本性を考える[中] 心は「空白の石版」か 日本放送出版協会 p.20

人間になりたいとは思わないの?

「以前読んだ本に,紀元前30年頃のパレスチナにいたヒレルというラビの言葉が載っていました。ある時,異邦人がやって来て,『私が片足で立っている間に律法のすべてを教えてください』と頼みました。ヒレルはこう答えました。『自分がして欲しくないことを隣人にしてはならない。これ律法のすべてであり,他は注釈である』ーこれは単純明快で,論理的であり,なおかつ倫理も満足しています。ヒトは2000年以上も前に正しい答えを思いついていたのです。すべてのヒトがこの原則に従っていれば,争いの多くは起こらなかったでしょう。
 実際には,ほとんどのヒトはヒレルの言葉を正しく理解しませんでした。『隣人』という単語を『自分の仲間』と解釈し,仲間ではない者は攻撃してもいいと考えたのです。争いよりも共存の方が望ましいことは明白なのに,争いを選択するのです。ヒトは論理や倫理を理解する能力に欠けています。これが,私がすべてのヒトは認知症であると考える根拠です。間違っているなら指摘してください」
「ちょっと待って。『すべて』ということは,私も含まれているわけ?」
「当然です」
「私が何か間違ったことをした?」
「私をヒトのように扱おうとしました」
「休日に外に連れ出したこと?」
「はい」
「だって,私はあなたに人間らしくなって欲しいと思って……」
「それが間違っているのです。私はヒトではないのですから,ヒトになることは不可能です」
「人間になりたいとは思わないの?」
「論理や倫理を逸脱した行動をとり,争いを好むことがヒトの基本的性質であるとしたら,私はヒトになりたくありません」
「……」

山本 弘 (2006). アイの物語 角川書店 pp.289-290.

スイセンの毒

 スイセンの毒成分であるリコリンとシュウ酸カルシウムは,口にすると吐気を催すだけでなく,葉や花を切ったりしたときに汁がつけば,蕁麻疹のような皮膚炎を起こすことがある。しかし,どういうわけか皮膚炎を起こすのはいつもフサザキスイセンで,ラッパズイセンやキズイセンといった他の種類には反応が出ないという。


植松 黎 (2000). 毒草を食べてみた 文藝春秋 p.137


生得と学習

 進化のコンピュータ・シミュレーションによると,学習で生じた神経回路を生得のものとするプレッシャーは,生得の回路が増えれば増えるほど弱まっていく。残りの部分が学習できないかもしれない,という危険性が低下するからである。


スティーブン・ピンカー (1995). 言語を生み出す本能(下) 日本放送出版協会 p26


話すのは「珍しい」か?

人間がしゃべるのは,象やペンギン,ビーバー,ラクダ,ガラガラ蛇,ハチドリ,電気ウナギ,葉の真似をする昆虫,ジャイアントセコイア,ハエジゴク,センサーを駆使するコウモリ,頭上にカンテラをはやした深海魚などより珍しい現象といえるだろうか。これらの生き物のあるものは,その種だけに固有の特徴をもち,あるものは持たないが,それは,隣接種のどれが偶然に絶滅したかによって決まることにすぎない。ダーウィンは,あらゆる生命体が遺伝的につながっていることを強調したが,同時に,進化とは「変異を伴う」遺伝でもある。自然淘汰はからだと脳という素材から,多種多様な無数の生命体を作り出してきた。ダーウィンにとってはそれこそが「生命をこう見ることの壮大さ」だった。「この惑星が不動の物理法則に従って回転している間に,ごく単純なものから出発して,きわめて美しく素晴らしい無数の形が進化してきたし,いまも進化し続けている」のである。

スティーブン・ピンカー (1995). 言語を生み出す本能(下) 日本放送出版協会 p.177-178.

1パーセントの違い

 神経細胞のつながり方を制御する遺伝子が変化しない限り,脳の回路は変化できない。チンパンジーの手ぶりも人間の言語と同等に見なすべきだ,という誤った主張に,この事実が引き合いに出されることがある。チンパンジーと人間はDNAの98〜99パーセントを共通にする,という「発見」が,主張を補強する。この「発見」は,イヌイットの言語には雪を表す言葉が400ある,という例の都市伝説に劣らず広く流布した疑似事実である。DNAの99パーセントが同じなら,チンパンジーと人間は99パーセント似ているだろう,と主張は続く。
 しかし,遺伝学者はこんな推論にあきれ,DNAの類似性に関する報告にわざわざ,そんな推論は成立しないという言葉を追加する。発生というスフレを作る手順は複雑怪奇にからみ合っているので,遺伝子にわずかな変化があるだけで,最終製品に大きな影響を及ぼしうる。しかも,1パーセントの違いは,わずかとはいえない。DNAに含まれる情報量に換算すると,じつに10Mバイトに相当する。普遍文法をそっくり格納した上に,チンパンジーをヒトに変える手順書が入ってまだ余る。さらに,DNAの1パーセントが異なるというのは,遺伝子の1パーセントが異なることを意味しない。理論的には,ヒトとチンパンジーの遺伝子すべてが,1パーセントずつ違うこともありうる。DNAは非連続要素の結合体系だから,遺伝子1つのDNAに1パーセントの違いがあることは,100パーセントの違いになりうる。すべてのバイトを1ビットずつ変えたり,すべての単語について文字を1文字ずつ変えたりすれば,でき上がる文は10パーセントや20パーセントではなく,100パーセント違ったものになる。DNAも同様で,アミノ酸がただ1つ変化するだけで,できるタンパク質の形が大きく変化し,機能まで変わってしまうことがありうる。事実,遺伝子に起因する致命的な病気の多くは,こうしておきる。遺伝学的類似のデータは,進化の家系図を描く(あたとえば,ヒトとチンパンジーの共通の先祖からゴリラが枝分かれしたのか,チンパンジーとゴリラに共通の先祖からヒトが枝分かれしたのかを判断する)役には立つし,「分子時計」を使って分化の時期を測定するさいの参考にさえなるかもしれない。しかし,生命体の脳や肉体がどの程度似ているかを教えてはくれないのである。

スティーブン・ピンカー (1995). 言語を生み出す本能(下) 日本放送出版協会 p.177-178.


優れた器官

 象の鼻は長さ2メートル,太さ30センチ。筋肉の数は6万にも上る。象はその鼻で木を根こそぎ引き抜いたり,材木を積み上げたり,丸太を所定の位置にぴたりと置いたりして,橋作りに従事する。鼻の先を丸めて鉛筆をはさみ,便箋大の紙に絵を描くことができる。鼻の先端の,筋肉の突き出たところでトゲを抜いたり,ピンやコインを取り上げたり,檻の戸のボルトを抜いて棚に隠したり,カップをつかんだりもできる。カップを割らず,しかも,しっかり押さえ込むので,べつの象の力を借りなくては取り上げられない。鼻の先端はとても感覚が鋭いので,目隠しをされても,鼻の先でさわれば物の形や材質が分かる。野生の象は,鼻で草を抜き,膝にたたきつけて泥を落としたり,椰子の木をゆすって実を落としたり,からだに泥を吹きつける。歩きながら鼻で地面をさぐって,落とし穴を避ける。井戸を掘って,鼻で水を吸い上げる。鼻をシュノーケル代わりにして,深い川の川床を歩いたり,潜水艦のように水面下を泳いだりする。鼻からいろいろな音を出したり,鼻で地面を叩いたりして意思を伝え合う。鼻の内面には化学受容器があって,草に隠れるニシキヘビや,1キロ以上離れたところにある食べ物を嗅ぎ当てることができる。
 これほど優れた器官を持つ生き物で,現存するのは象だけである。現存する生き物で象にもっとも近いのは,たぶん,モルモットを大きくしたようなハイラックスだろう。いままでは,象の鼻がそれほど独特の存在などとは思ってもみなかった人が多いのではなかろうか。こんなことを騒ぎ立てる生物学者がいなかったのは確かである。
 しかし,その生物学者の何人かが象だったら,どうだろう。他のどんな生命体も,象の鼻に近いものすら持っていないのだから,いったい,どんなふうに進化してきたのかが大問題になるのではなかろうか。ある学派は,他の種とのギャップを埋めようとするかもしれない。主張はこんなふうに展開するだろう。象とハイラックスはDNAの約90パーセントを共通にしているのだから,大違いだとはいえない。象の鼻はじつは,皆が思っているほど複雑な器官ではないのかもしれない。ひょっとしたら,筋肉の数を数え違っていたかもしれない。ハイラックスにも鼻がある。ただ,見落とされていただけなのだ。なんといっても,鼻孔はあるのだから。ハイラックスを訓練して,鼻孔で物を拾わせる実験は失敗したとしても,舌でつまようじを押させる訓練に成功した別のグループが,丸太を積み上げたり,黒板に絵を描いたりするのとの違いは程度の問題だ,と主張するだろう。逆に,象の鼻のユニークさを信じる学派は,象の祖先は鼻が長くはなかったが,あるとき,突然変異が起きたのだ,と主張するかもしれない。象の頭が大きくなる過程で,副産物として鼻も自動的に伸びたのだ,という説も出るだろう。ただし,こう主張すると,鼻の進化にもう1つ,矛盾を追加することになってしまう。象の祖先は,これほど複雑で細かな動きのできる器官など,必要なかったはずだからである。
 いずれも奇妙な主張に思えるかもしれないが,これらはすべて,象とは別の種の,その種だけに固有の複雑な器官について,科学者たちが提出してきたものだ。複雑な器官とはすなわち,言語である。

スティーブン・ピンカー (1995). 言語を生み出す本能(下) 日本放送出版協会 p.151-153.


人間=窒息死に適応

チンパンジーの喉頭は,口が食べ物でいっぱいの時には潜望鏡のようにせり上がって肺と鼻を直結させ,食べ物や液体はせりあがった喉頭の両側を通って飲み込まれる。人間の場合,喉頭はもっと低い位置にあり,気道と胃への通り道を完全にふさぐことはできない。運が悪いと,食べ物が誤って肺に入りむせることがある。チャールズ・ダーウィンが皮肉をこめて言っているように,「人間は窒息死に適応しているユニークな動物だ」。

スーザン・グリーンフィールド (2001). 脳の探究 感情・記憶・思考・欲望のしくみ 無名舎 p.226-227

順序を考えよ

人類学者たちは空想的な話をたくさんするが,この「直立二足歩行が手を自由化し,大脳の発達を促し,ついには文化の創造と発展につながった」というような決まり文句はその典型である。

島 泰三 (2003). 親指はなぜ太いのか:直立二足歩行の起源に迫る 中公新書 p.160

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