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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「生物学」の記事一覧

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何を賞賛しているのだろう

ほかにも1つ,理屈に合った手順を示している摂食行動の例がある。北米アメリカカケスという鳥の行動だ。多くのカラス科の鳥のようにこの鳥も餌を隠しておいて,あとで食べる。この種の鳥は群で行動するから,餌を隠すとき群の仲間が見ていると,盗まれる危険がある。野外観察によると,そのような盗みはしばしば起こり,檻の中の実験例では,別の鳥が餌を隠すところを観察していた鳥は,かなり上手にそれを探し当てることがわかった。この種の泥棒行為に対抗するために,最初に獲物を隠すところを見られたと知っている鳥は,その後で近くに鳥がいないとき,それを別の場所に移す。この行動自体も非常に興味深いものだが,一般に若くて未熟な鳥は隠し場所を移す行動をとらない。しかし別の鳥が隠すのを見て,そこから一回盗んだ経験をした後には,その行動をとるようになる。泥棒をしてみてから,自分も盗まれる可能性を認識するようになるらしいのだ。このレベルの高度な認識は,シロアリが築きあげるどんなものよりも素晴らしいと言えるのではないかと思うが,それでも私たちはシロアリの塚の構造に驚嘆する。私たちはいったい何を賞賛しているのだろうか。動物のつくり手たちが行動を長続きする記録として残してくれることは確かに科学者にとって好都合ではあるが,行動の重要性を評価する場合には,そのような記録を残さない動物の行動と公平に比較するように気をつけなければならない。

マイク・ハンセル 長野敬・赤松眞紀(訳) (2009). 建築する動物たち:ビーバーの水上邸宅からシロアリの超高層ビルまで 青土社 p.22
(Hansell, M. (2007). Built by Animals: The Natural History of Animal Architecture. Oxford: Oxford University Press.)
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擬人化は判断を誤らせる

 動物に対する理性的な判断を妨げる第二の障害がある。それは動物行動の分野で科学者を悩ませる問題,すなわち《擬人観》だ。これは正当な根拠がないまま人間の目的,考え,感情を他の動物に当てはめる傾向をいう。学生のころ,私は擬人観が科学に背くものだと警告された。1972年にあの明敏で多彩な科学者,チャールズ・ダーウィンが著書『人および動物の表情について』を出版した。T.W.ウッズによる数々の巧みなエッチングの中には「失望して不機嫌なチンパンジー」と注釈のついたものがあった。その後間もなく,動物行動学分野では科学者はそのようなことを述べながら同時に科学で信頼を保っていくことができない状態となり,その状態はその後100年間の大半続いた。20世紀始めの科学者は,いわゆる心理学的内観(「考えることについて考える」とでも言える)の研究方法によって引き起こされた心身関係をめぐる実りのない論争で手足を縛られていたのだ。当時まだ日の浅い動物行動学の科学者は,実験によるアプローチと客観性を重視していたので,この方法を拒絶した。チンパンジーが「失望する」か否かのデータを集めることは非現実的で,データのない憶測は無意味だった。
 正直に言えば,私はどちらかと言えば擬人観が好きだ。だが決して説明としてではなく,アイディア源あるいは研究方針に刺激を与える仮説としてである。

マイク・ハンセル 長野敬・赤松眞紀(訳) (2009). 建築する動物たち:ビーバーの水上邸宅からシロアリの超高層ビルまで 青土社 pp.18-19
(Hansell, M. (2007). Built by Animals: The Natural History of Animal Architecture. Oxford: Oxford University Press.)

遺伝的プログラムの自由度

 偉大な生物学者フランソワ・ジャコブが次のようにうまく言っている。「生きている有機体がすべてそうであるように,人類も遺伝的にプログラムされているが,それは学習のためのプログラムだ。より複雑な有機体であれば,遺伝的プログラムの拘束力は小さくなっているが,それは行動がさまざまな角度から詳細に規定されておらず,有機体に選択の機会があるという意味だ。遺伝的プログラムの自由度は進化につれて増大し,人間性において頂点に達するのだ」と。

カトリーヌ・ヴィダル/ドロテ・ブノワ=ブロウェズ 大谷和之(訳) (2007). 脳と性と能力 集英社 p.157

同性愛の生物由来は根拠なし

 現在までのところ,同性愛は生物学的原因に由来するもので,ホルモンや脳や遺伝子の問題だと主張する説に,科学的なものは1つもない。ホルモンや脳や遺伝子の問題だと主張する研究者たちがいた。彼らの研究結果は完璧に否定されたにもかかわらず,メディアでの成功が大きかったものだから,以来,この説は人々の頭にこびりついている……。
 この同性愛についての研究には科学的な正確性がまったくなかったものの,論文は「ネイチャー」誌と「サイエンス」誌で発表された。両誌はゆだねられた論文を選考する際に厳しい選択基準を使うことで有名だが,残念ながら数年前から徐々に,メディアへの強い影響があるような論文が相手だと,この種の例外が稀ではなくなっている。90年代初頭にこの研究が発表されたとき,アメリカのイデオロギー的背景はとくにうってつけだった。同性愛者のための活動団体は,違いを正当化するため,マイノリティとしての権利を主張するため,生物学的論拠を使った。しかし,その論拠は両刃の剣だった。保守派にとっては,同性愛を正当化するこの研究は伝統的価値観を脅かすものだ。おまけに,いわゆる同性愛遺伝子が1993年に発表されたことで,同性愛嫌いの人々は同性愛を生物学的異常呼ばわりし,危険性のある胎児を中絶して排除すべきだと主張できるようになった。悪い遺伝子は撲滅すべきだという,DNA構造の共同発見者であるノーベル賞受賞者ジェームズ・ワトソンの主張そのままである!

カトリーヌ・ヴィダル/ドロテ・ブノワ=ブロウェズ 大谷和之(訳) (2007). 脳と性と能力 集英社 pp.78-79

性を決める決定因はあるのか

 性染色体ではない染色体(常染色体)上にある別の遺伝子が,性的な分化に寄与しているという事実も発見された。この報告は私たちに表現の見直しを余儀なくさせる。「性染色体だけではなく常染色体にもある数個の遺伝子が協力しあい,どれかが主導的役割を果たすこともないまま,性決定がなされるとする学説は,徐々に受け入れられつつある」とエヴリン・ベルとジョエル・ヴィールは書いた。今日では,生物学的性を形成するのは,胎児のときから思春期の体を再編する時期,そして生涯にわたってずっと,多くの遺伝子を参加させる長いプロセスとしてみなされている。有性の存在を形成するために働く一連の要因であっても,どれもが一つだけでは決定的ではないのだ。結局のところ,人は男性的・女性的第二次性徴をさまざまな割合で持ち,この特徴は一生涯変化しつづける。一方の端に<非常に女性的>があり,もう一方の端に<非常に男性的>がある指標のなかで,各人が自分なりの男らしさと女らしさの比率を有するのだ。

カトリーヌ・ヴィダル/ドロテ・ブノワ=ブロウェズ 大谷和之(訳) (2007). 脳と性と能力 集英社 pp.67-68

性染色体の異常

 実際のところ,性染色体の異常を示す人々が見つかることは稀ではない。フランスではおよそ40万人がXXXXX,XXXX,XXY,YYX,X,Y,YYといった型の染色体を有していると見積もられている。肉体的外観とは反対の遺伝的性は,異例ではない。女性に典型的な性染色体(XX)を有する男性の数は,およそ1万人と推定されている。数はもっと少ないが,XYを有する女性も存在する。「非定型の性染色体を持つ人々(XYの女性やXXの男性)の発見は,しばしば不妊の原因を探す診察の折に偶然なされるものであり,その場合でも生殖器のレベルでは性別があいまいなわけではない」と,ヴィルジュイフにあるギュスターヴ・ルシ研究所の生物学者ジョエル・ヴィールは明言している。「このことから,彼らの数はおそらく少なく見積もられている」。

カトリーヌ・ヴィダル/ドロテ・ブノワ=ブロウェズ 大谷和之(訳) (2007). 脳と性と能力 集英社 pp.66-67

fMRIの使い方

 機能的MRI(fMRI)は,被験者が暗算をしたり,言葉を読んだり,顔を見分けたりするときに神経細胞の活動がどのような変化を見せるのか,算定できる。直接的に神経細胞の電気活動(神経インパルス)を測定できるものではない。測定は,ある領域の神経細胞が活発化するときに引きつづいて起こる,酸素化血液の集中を対象とする(検出されるのは,酸素を吸着したヘモグロビン分子の磁化だ)。活動中の脳野の画像は,実のところ,局所的な血流量の画像である。よって,神経細胞の機能の状態を直接的に反映するものではなく,結果として,画像の解釈は慎重におこなわなければならない。fMRIのもう一つの限界は,時間要因だ。信号の記録とデータ収集の手順は,最低でも数分を要する。神経の活動は千分の一秒単位だから,はるかに長い。つまり,fMRIは脳の働きをリアルタイムで表示できないのだ。それにもかかわらず,コンピュータのディスプレイ上で実験者が被験者の活動中の脳をリアルタイムで見ていると思われがちだ。これはありえない。最終的に,数値化されたデータが得られるのは,何時間もかけて情報処理し,脳の領域を再現するために色コードを割り当てたあとなのだから。

カトリーヌ・ヴィダル/ドロテ・ブノワ=ブロウェズ 大谷和之(訳) (2007). 脳と性と能力 集英社 p.52

カテゴリ内の変動の方が大きい

 とはいえ,驚くことに,相違はだれの目にも明らかというわけではない。MRIを使った千件あまりの研究のうち,性別による違いを指摘したのはおよそ十件だけであり,それでさえ,同性のバイオリン奏者の脳と数学専攻の学生の脳との違いや,運動選手の脳とチェスのチャンピオンの脳との違いと比べてさほど大きくない。というのも,成長期の脳は環境,家族,社会,文化などからの影響をすべてとりこむものなのだ。その結果,私たち1人1人は脳を活動させて思考をまとめる自分なりのやり方を持つ。実際,同性間には実に幅広い多様性が見られるので,たいていの場合に男女の間の相違よりも目立つくらいだ。

カトリーヌ・ヴィダル/ドロテ・ブノワ=ブロウェズ 大谷和之(訳) (2007). 脳と性と能力 集英社 p.21

脳についての小史

 頭蓋骨の中にしまいこまれている脳は,16世紀に初期の解剖がおこなわれるようになるまで知りえないものであった。長い間,魅惑の対象として想像上の特質をまとわされてきた。古代から現代に至るまで,時代ごとにそのときのヴィジョンがそこに投影された。灌漑装置や光学器械,最近になるとコンピュータというふうに,脳はその時代の機械になぞらえられてきた。紀元前4世紀頃には哲学者アリストテレスが,「水で満たされている脳は,血液を冷やす役目しかなく,心臓が魂の座である」と主張していた。2世紀になると,ギリシャの医者ガレノスは羊と子牛で実験をおこない,脳につながった脊髄が「感覚と動作に不可欠」だと記した。アラビアの哲学者であり医者だったアビセンナは西暦1000年,この奇妙な脳みその塊が腸を連想させるとして,「上にある腹」と言い切っている。1540年にベルギーの解剖学者ヴェサリウスが始めて以降,レオナルド・ダ・ヴィンチが言うところの「ゼラチン質のカリフラワー」は解剖して調べられるようになったが,試行する器官は謎に包まれたままだ。19世紀になると,脳の形状や構造が研究され,脳の重さが測定され,事故の犠牲者の場合は脳損傷部分が探し当てられ,精神病患者の場合は機能を見きわめるための手がかりだけが得られた。そのころから,なぜ能力が人によって違うのかを説明する学説がこしらえられるようになる。骨相学や頭骨計測法が,明白なイデオロギー上の偏見を支えるようになった。脳の大きさによって,黒人と白人,労働者と経営者,男と女の違いの正当さが説明された。そうなると,女性の地位は覆しようのない生物学的解釈にぶつかってしまう。<か弱い性>とも呼ばれる女性の小さな脳は,知的に劣っていることの証明だという解釈だ。

カトリーヌ・ヴィダル/ドロテ・ブノワ=ブロウェズ 大谷和之(訳) (2007). 脳と性と能力 集英社 pp.19-20

自然世界の弱い結びつき

 種間の相互作用は,食うか食われるかの関係を通して,あるいは同じ餌や棲息地をめぐる競争を通して生じる。もし,ある捕食者が他の1種だけしか食べないのなら,その捕食者にはひたすらこの種を食べる以外に選択の余地はない。このケースでは,2種間の相互作用は強いものになるだろう。反対に,もしも捕食者が他の15の種を餌にしているのなら,どの種もときどき食べるということになる。この場合,捕食者と餌である15種とのあいだの相互作用は相対的に弱いものになるだろう。さてここで,近年の気候の変化をはじめとする偶然の要因によって,捕食者の唯一の餌であった種の個体数が著しく減ったと想定してみよう。捕食者にとって食べ物を見つけるのは難しくなるが,それでも他に取るすべはない。どんなに数が減ろうとも,その唯一の餌を探しつづけなければならず,結果として,餌としている種をますます絶滅へと追いやることになる。こうなると,捕食者の個体数も著しく減少してしまうかもしれない。このような2種間の強い結びつきは,両者の個体数に危険な変動が生じる可能性を生み出している。
 まったく対照的に,弱い結びつきなら,このような窮地におちいることはない,とマケンらは論じている。たとえば15の種を被食者としている捕食者を考えてみよう。理由はともかく,もし被食者のうちの1種の個体数が非常に少なくなれば,捕食者がごく自然にとる対応は,その被食者の数をさらに減少させることではなく,それ以外の14種に目を向けることだろう。結局のところ,他の14種は相対的に数が多いのだから,この14種は以前より捕まえやすくなる。注目する相手を変えることで,捕食者はひきつづき餌にありつけるし,絶滅の危機に瀕していた被食者のほうは個体数を回復することができるだろう。このように,種間の弱い結びつきは,危険な変動を防ぐ働きをしている。弱い結びつきは,生物群集における自然の安全弁になっているのだ。

マーク・ブキャナン 阪本芳久(訳) (2005). 複雑な世界,単純な法則:ネットワーク科学の最前線 草思社 pp.237-238
(Buchanan, M. (2002). Nexus: Small Worlds and the Groundbreaking Science of Networks. New York: W. W. Norton & Company.)

絶滅は進化の必然

 激烈な出来事は,概して激烈な原因を暗示しているのだろうか?あらゆる劇的な絶滅には,同様に劇的な原因があるのだろうか?我々は前の方の章で,こういった先入観が最近覆されつつあるということを,地震や森林火災を例にとって見てきた。大量絶滅に関するこの驚くほど単純な傾向から考えると,科学者たちがこれらの「きわだった」出来事を特別のものと考えてきたのは,大きな誤りだったようだ。時間軸に沿ってデータを並べ,いつ絶滅が起こり,その規模はどれほどだったのかを見てみると,大きな山がきわだって見え,何か「明らかに」特別なことが起こったと思えてしまうのも確かである。しかし同じ記録を違った形で表わせば,実際は大規模な出来事は何も特別なものでないことが分かる。べき乗則による見方をすると,大量絶滅は進化の仕組みのなかで例外的な出来事ではないことに気づく。大量絶滅は,はるかかなたから振り下ろされた神の拳の跡などではなく,進化のもっともありふれた原理にもとづく必然の産物だったのである。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 pp.188-189

絶滅の原因はありきたりなもの

 2億5000万年前のペルム紀の絶滅のときは,歴史上もっとも急激に世界的に気温が下がった。そのときには,他にもいくつか不吉なことが起こっていた。1つは,海面が著しく下がったことだ。海面が下がると,海は大陸から離れ,広大な大陸棚が地上に姿を現わす。大陸棚には膨大な量の有機物が含まれており,それが大気と化学反応を起こして大量の酸素を消費する。リーズ大学の古生物学者ポール・ウィグノールは,この化学反応によって酸素濃度が現在の半分にまで減少したと概算した。彼はこう結論づけている。
 「ペルム紀=三畳紀の大量絶滅は,窒息死の物語であったようだ」
 現段階では,どの影響がもっとも大きかったのか,あるいはそれは他の大量絶滅にも当てはまることなのかについて,完全な意見の一致には至っていない。古生物学者の中には,その時期,劇的な火山活動が起こり,大気中に膨大な塵が吐き出されたと指摘する者もいる。またある古生物学者は,大量絶滅の前に起こった世界的な旱魃の影響を指摘している。これまでに提案されてきた原因をすべて並べていくと,何ページにもわたってしまい,どの説が事実と結びつくのか分からなくなってしまうだろう。いずれにせよ,6500万年前や,2億1000万年前や,2億5000万年前に,地球に何か異常なことが起こったのはほぼ確実である。それは,気温や海面の上昇あるいは下降か,火山の爆発か,太陽からの紫外線の放射の増加か,あるいはその他のものかの,いずれかである。これらたくさんの可能性が検討されているのも当然なことである。古生物学者デイヴィッド・ラウプは,首をかしげている。「ひょっとしたら,絶滅の原因として可能性があるとされる物語の一覧表は,我々個人個人を脅かしている物事の一覧表と,単に同じものではないだろうか?」

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 pp.181-182

進化過程の本質は「凍結した偶然」

 ジェームズ・ワトソンとともにDNAの構造を見出したフランシス・クリックはかつて,「凍結した偶然」の発生が進化過程の本質であると指摘した。偶然発生する遺伝的変異はほとんどの場合,生物の生存能や生殖能を奪い,そのため突然変異した系統はたいてい絶滅へと進む。しかし稀に,適応性を上げるような突然変異が発生し,それが定着して集団へ広がっていくこともある。ひとたびこのようなことが起こると,その偶然の出来事はその場で凍結し,その生物種のさらなる進化は必然的に新たな出発点から始まることになる。このように,進化とは累積的なものである。あらゆる凍結した偶然は,過去に凍結した一連の偶然のうえに付け加わり,時間の流れに従って先へ進む曲がりくねった道筋を構築する。この道筋は歴史に深くかかわっており,凍結した偶然はまさに歴史の不確実さを具現化したものである。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 p.96

フィードバック機構があれば制御できる

 そうだね,心拍数を調節したり,あるいは胃酸を出したり,汗をかいたり,そういう内蔵を支配する神経系のことを自律神経系と言うね。血圧もそのひとつだね。
 「自律」というのは「意思とは無関係に独立して作動している」って意味。つまり「意識的にはコントロールできない」という意味だよね。でも,本当はそうではなくて,自律神経系には意識的なフィードバック機構が備わっていない,だからコントロールできないだけのことだ。
 では,計測器をつかった人工フィードバック装置さえあれば,血圧は制御可能。この意味では,もはや自律神経系は「自律」ではない。きっと血圧だけでなくて,胃酸の分泌も,発汗の量も,気管支の太さも,コントロールできるようになるだろうね。

池谷裕二 (2009). 単純な脳,複雑な脳:または,自分を使い回しながら進化した脳をめぐる4つの講義 朝日出版社 p.374

「バスカーヴィル家の犬効果」とは

 とりわけ興味深い自然のノシーボ実験はシャーロック・ホームズの小説にちなんで「バスカーヴィル家の犬効果」と呼ばれているもので,この小説では,チャールズ・バスカーヴィルはストレスによって誘発された心臓発作で死ぬ。この研究は,特定の言語的な偶然の一致に注目したものである。広東語,北京語,日本語では,「四」と「死」はほとんど同じ発音である。その結果,多くの中国人,日本人は4という数字をきわめて不吉だと信じている。デイヴィッド・フィリップスとその共同研究者たちは,1973年から1998年のあいだの日別の死亡率を,20万人以上の中国人,日本人,アメリカ人について調べた。各月の日ごとの慢性心臓病による死亡数を比較すると,4日は他の日に比べて死亡率が13%も高いことを見いだした----これは統計的に有為な数値である。
 カリフォルニアでは,膨大な数のアジア人口が集中したことで迷信的なおそれが広まりやすくなったのか,影響はさらに大きかった。4日の慢性心臓病による死亡率は他の日の平均よりも27%も高いのだ。コーカサス人種系のアメリカ人では,このような心筋梗塞による死亡率のピークが4日に見られることはない。フィリップスらは,4日のピークの原因となるさまざまなもの,すなわち食事,運動,アルコール摂取量,あるいは瞑想の養生法の変動に関連するものを排除してもピークが残ることから,心筋梗塞による死亡率の増大は心理的ストレスによるものだと結論した。

ロバート・アーリック 垂水雄二・阪本芳久(訳) (2007). 怪しい科学の見抜きかた:嘘か本当か気になって仕方ない8つの仮説 草思社 Pp.312-313

ノシーボ効果

 ノシーボ(すなわち反プラシーボ)効果は,プラシーボ効果ほど広くは知られていないが,「邪悪な双子」と呼ぶことができる。プラシーボ効果は,患者は何らかの処置の結果として症状が改善することを予想し,のちに実際に改善される。ノシーボ効果については,患者はよくない結果になることを予想し,のちに実際に悪くなるのだ(「病いは気から」)。ノシーボは通常,医師がサディスティックでない限り,意図的に施されることはないが,配慮の態度を欠いた医師や,あるいは心配しているふりさえできない一部の医師が与えるメッセージのなかにノシーボ効果が内在していることがある。プラシーボ効果に関するデータの多くは,プラシーボを対照群として用いる臨床試験で蓄積されている。ノシーボにはそのような使い道がないので,それに関するデータは非常にわずかであろうと予想される。実際に,「ノシーボ」というキーワードで,メドライン・データベース[医療関連文献のデータベース]を検索するとたった33件しかヒットしない。これに対して「プラシーボ」をキーワードにした場合には7万件以上ヒットするのである(ただし,この比較はあまり額面通りに受け取るべきではない。なぜなら,負のプラシーボ効果について書いている研究者のなかに,「ノシーボ」という言葉を使わない人がいるかもしれないからだ)。

ロバート・アーリック 垂水雄二・阪本芳久(訳) (2007). 怪しい科学の見抜きかた:嘘か本当か気になって仕方ない8つの仮説 草思社 Pp.311-312

プラシーボ効果はイボによく効く

 プラシーボはイボの治療にきわめて有効であることが示されている。しかし,イボは明らかに主観的な疾患ではなく,ウイルスによって引き起こされるものである。オーストラリアの医師F・E・アンダーソンによれば,あらゆる病気のなかでイボの民間療法がもっとも多いが,それがプラシーボによく反応するものだとすれば,驚くにはあたらない。イボの民間療法のなかでも奇妙なものには,ほかの誰かにイボを「売って」もっていってもらう,ブタの脂肪でこする(なんとフランシス・ベーコン(!)によって示された),あるいはひそかに私生児の父親にこすりつける,といったものがある。イボは大人よりも子どもにはるかに頻繁に見られ,12〜16歳にその出現のピークがある。それは全身のどこにでもできるが,もっとも多いのは手である。
 イボの3分の2は2年ほどで自然に消失するが,その理由はわかっていない。治療は皮膚に適用されるさまざまな局所薬剤が用いられ,外科的手術もおこなわれる。ある程度の成功を収めてきたイボを消すテクニックの1つに,催眠暗示があるが,これをプラシーボ処理の一種とみなす人がいるかもしれない。催眠術を用いる方法を批判する人のなかには,催眠のあとでの自然治癒の可能性を排除できないと示唆する人もいるが,しかし同じことは,他のいかなる治療法についても言える。いくつかの研究で報告されているところでは,催眠療法によるイボの治癒率は手術によるものに匹敵する。ある古典的な研究には,体の両側にイボをもつ患者たちが参加している。英国の医師A・H・C・シンクレア=ギーベンは,体の片側にあるイボ----より重症な側のイボ----を処置するのに催眠暗示を用いた。催眠治療してから5〜15週後に,処置された側のイボは消えたが,反対側のイボは10人の患者中,9人で残っていた。この結果を,自然治癒の可能性ありというのは非常にむずかしい。色をつけたただの水を患部に塗ると言う,興味深く,しかも有効なイボのプラシーボ処置の例もある。もちろん,患者にはその処置がプラシーボだとは教えられておらず,処置は信頼を与える形でなされなければならない。

ロバート・アーリック 垂水雄二・阪本芳久(訳) (2007). 怪しい科学の見抜きかた:嘘か本当か気になって仕方ない8つの仮説 草思社 Pp.290-291

プラシーボ効果を有効にする要因

 プラシーボの有効性は,プラシーボの性質や患者の性質,およびその他多くの要因にも依存している。たとえば,次にあげるような状況の下で,プラシーボがもっとも有効であることがわかっている。

・思いやりがあり,熱心で,親切で,その治療法を信じている医師
・楽天的で,医師と治療法を信じ,1つの治療法に固執することができる患者
・信頼性があり,患者とその症状に適したプラシーボ
・うつ病,不安,およびとりわけ慢性疼痛のように,軽微で,主観的で,時間とともに変化するような症状

 慢性疼痛の痛みには心理学的な次元が重要であることは,医学の領域では広く知られている。医師が慢性疼痛の患者に「どんなことをしでかして,そんな罰を受けているんですか」と質問したという古いジョークがある。プラシーボ効果の大きさは患者のある種の特性に依存しており,それ以外のものには関係ないようだ。研究によれば,たとえば知能や患者の性格型には依存しないことが示されている。むしろ,プラシーボの有効性は,それが使われる設定と,その人物の個人的,文化的な環境がはるかに大きく依存するように思われる。

ロバート・アーリック 垂水雄二・阪本芳久(訳) (2007). 怪しい科学の見抜きかた:嘘か本当か気になって仕方ない8つの仮説 草思社 Pp.281-282

宇宙人に会えない理由

 大多数の天文学者は,宇宙人の来訪と政府による隠蔽という考えをまったくばかげたものとみなしているが,宇宙のどこかに他の文明が存在する可能性は,はるかに抵抗なく受け入れている。故カール・セーガンと同じように,われわれの銀河系だけでも100万ないしはそれを上回る数の知的文明が存在するかもしれないと楽観的に考える科学者もいる。その一方,故エンリコ・フェルミと同様に,もっと慎重な科学者もいる。フェルミはずばり問う。「存在すると言うのなら,どこにいるのか?」フェルミは,進歩した文明のなかには,いつかは恒星間飛行をマスターするものがあるのは確実だろうから,宇宙人にお目にかかったことがないということは,次のいずれかを意味すると推論した。

1. 知性をもつ宇宙人はいない。
2. 恒星間飛行は不可能である。
3. どの地球外文明も,宇宙飛行は骨折り損だとの判断を下した。
4. 知的文明は,恒星間飛行が可能になる時代を迎えられるほど長くは存続できない。

ロバート・アーリック 垂水雄二・阪本芳久(訳) (2007). 怪しい科学の見抜きかた:嘘か本当か気になって仕方ない8つの仮説 草思社 p.236

フェニルケトン尿症

 アミノ酸の一種である「フェニルアラニン」は,人体を構成している多くの種類の蛋白質の成分である。「フェニルケトン尿症」は「フェニルアラニン」の代謝能力が欠けているために起こる。たいていの人は「フェニルアラニン」を「チロシン」という別のアミノ酸に転換するための酵素を体内に蓄えている。ところがこの酵素が適切に働かずに,その結果「フェニルアラニン」が(尿にまで大量に溶け出すほど)体内に過剰蓄積し,脳細胞その他の生体組織に損傷を及ぼす場合がある。それが「フェニルケトン尿症」である。
 「フェニルアラニン」の過剰蓄積による組織の損傷を防ぐには,「フェニルケトン尿症」の赤ん坊や子供の食事を注意深く制限して,うかつに各種の蛋白質を摂取しないように気をつけ,正常な代謝や成長が維持できるように「チロシン」その他のアミノ酸を補給する必要がある。この食事療法は身体の成長が止まる時期まで続けなくてはならないが,それ以降はふつうの食事をしてもかまわない。
 こうした食事療法を正しく実行すれば「フェニルケトン尿症」の子供でも健康な大人になれるのだが,最近になって予期せぬ事態が出てくるようになった。「フェニルケトン尿症」の女児は,食事療法のおかげで健康な大人に育つようになり,その結果,最近では妊娠の話も聞かれるようになった。彼女たち自身は「フェニルアラニン」の血中濃度が高くても,もう大人だから健康に重大な影響が出ることはない。しかし今度は,彼女らが身籠っている胎児に悪影響が及ぶ恐れが出てきたのだ。こうした事情で,女性患者の場合は出産が済むまで“フェニルアラニン制限食”を続けるように忠告されるようになった。


ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.281-282

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