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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「生物学」の記事一覧

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生物は貞淑か?

 じつのところ,貞淑さという価値観を裏づける例を自然界に求めようとすれば,きっと失望するにちがいない。地球に棲むほぼすべての動物は,たとえ仔を育てるためにつがいになるものでさえも,複数のセックスパートナーを求める。DNAを調べたところ,ペアをつくっている動物の仔の10パーセントから70パーセントが,つがいの相手以外との出会いから生まれていることがわかった。<ニューヨークタイムズ>の記事に引用されたワシントン大学の心理学者デヴィッド・P・バラシュの話によれば,自然界で唯一の「貞淑な」生き物は淡水魚に寄生する扁形動物だという。「雄と雌は人間でいえば青年期に出会います。そして,たがいの体を文字どおり融合させ,そのままで死ぬまで過ごします。彼らは私が知るかぎり唯一,完全なる単婚を実践していると思われます」とバラシュは語った。

ロバート・フェルドマン 古草秀子(訳) (2010). なぜ人は10分間に3回嘘をつくのか:嘘とだましの心理学 講談社 pp.126-127
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ユーラシア大陸にはは家畜化可能な動物が多かった

 ユーラシア大陸の人びとは,たまたま他の大陸の人びとよりも家畜化可能な大型の草食性哺乳類を数多く受け継いできた。このことは,やがてユーラシア大陸の人びとを人類史上いろいろな面で有利な立場にたたせることになるが,この大陸に家畜化可能な大型の草食性哺乳類が多数生息していたのは,哺乳類の地理的分布,進化,そして生態系という3つの基本的要素がそろって存在していた結果である。ユーラシア大陸は,世界の大陸のなかでもっとも面積が広く,そのぶん生態系も多様だったので,家畜化の候補となりうる動物がもっとも多く生息していた。つぎに,南北アメリカ大陸やオーストラリア大陸では,ユーラシア大陸やアフリカ大陸とは異なり,更新世の終わり頃に,家畜化の対象となりうる動物が数多く絶滅してしまった——おそらく,これらの大陸に生息していた哺乳類は,すでにかなり高度な狩猟技術を発達させていた人間集団に突然さらされるという不運に見舞われたのではないかと思われる。最後に,ユーラシア大陸には,家畜化に適した動物が,他の大陸よりも高い割合で生息していた。アフリカ大陸で群をなして暮らす大型哺乳類をはじめとする,いままで家畜化されなかった動物の特徴を詳しく調べてみると,それぞれがどうして家畜とならなかったかがわかる。トルストイは,マタイの福音書22章14節の「招かれる人は多いが,選ばれる人は少ない」という言葉も認めることだろう。


ジャレド・ダイアモンド 倉骨彰(訳) (2000). 銃・病原菌・鉄 上巻 草思社 pp.260-261

アフリカの動物はなぜ家畜化されないか

 オナガーより気性が家畜化に向いていないのが,アフリカに生息している4種類のシマウマである。彼らを荷車につなぐことができたというのが,家畜化の試みにおいてもっとも成功した例である。シマウマに荷車を引かせることは,19世紀の南アフリカで何度も試みられている。また,変わり者のウォルター・ロスチャイルド卿が,ロンドンの町をシマウマに引かせた馬車で走りまわったこともあった。しかし,シマウマは歳をとるにつれ,どうしようもなく気性が荒くなり危険になる(馬のなかに気性が荒いものがいることは否定しないが,シマウマとオナガーは,種全体がそうなのである)。シマウマにはいったん人に噛みついたら絶対に離さないという不快な習性があり,毎年シマウマに噛みつかれて怪我をする動物監視員は,トラに噛みつかれる者よりもずっと多い。また,シマウマを投げ縄で捕まえることはほとんど不可能に近い。投げ縄が飛んでくると,ひょいと頭を下げてよけてしまうのだ。ロデオ大会の投げ縄部門で優勝したカウボーイでさえ,投げ縄でシマウマを捕まえることはほとんどできないという。
 つまり,シマウマに鞍をつけることはほとんど無理なのである。そのため,南アフリカで熱心に試みられたシマウマの家畜化も,しだいに関心が薄れていった。最初は見込みがあると思われたワピチやエランドを家畜化すしようとする試みが実際にはそれほど成功しなかったのも,彼らが大型で危険な動物であり,いつ攻撃的な行動に出るのか予測がつかない動物だったことが影響している。

ジャレド・ダイアモンド 倉骨彰(訳) (2000). 銃・病原菌・鉄 上巻 草思社 p.256

馬の起源と意義

 馬は,紀元前4000年頃,黒海北部の大草原で飼いならされるのとほぼ時を同じくして,それまでの戦いのあり方を一変させている。人びとは馬を持つことによって,自分の足だけが頼りだったときよりもはるか彼方まで移動できるようになった。奇襲攻撃も可能になったし,彼方の精鋭部隊の反撃の前に引き揚げることができるようにもなった。馬は黒海周辺で最初に導入されてから,あらゆる大陸に広がっていった。そして馬は,20世紀初頭にいたるまでの6000年のあいだ,戦場における有効な武器であった。カハマルカの戦いで果たした馬の役割は,まさにこのことを如実に物語っている。第一次世界大戦まで,騎馬は陸軍の中心的な戦力であった。馬を所有していたこと,鉄製の武器や甲冑を所有していたこと,これらの利点を考慮に入れれば,金属製の武器を持たない歩兵相手の戦いにおいて,スペイン側が圧倒的な数の敵に勝ちつづけたことはさほど驚くべきことではない。

ジャレド・ダイアモンド 倉骨彰(訳) (2000). 銃・病原菌・鉄 上巻 草思社 pp.113-114

光を感じる皮膚

 さて,皮膚は紫外線を感じますが,それより長い波長の目に見える光(可視光)の影響は受けない,と考えられてきました。ところが最近,その常識をくつがえす発見があったのです。
 皮膚の角層バリアをセロハンテープを貼ってはがすことで壊します。ここに光の三原色である赤,緑,青のLEDの光をあててみたのです。すると赤い光を当てるとバリアの回復が速くなる。緑は変化なし。青だとバリアの回復が遅れたのです。その後の研究で,培養した皮膚,つまり神経も血管もない皮膚でも同じ結果が得られました。つまり皮膚は可視光の三原色のそれぞれに異なる応答を示している。一歩踏み込んだ表現をすれば,色を識別しているのです。

傳田光洋 (2007). 第三の脳:皮膚から考える命,こころ,世界 朝日出版社 pp.41-42

話せるのはスパンドレルのため

 喉の奥へ喉頭が落ち込んでいったことは,明瞭に聞こえる音声言語が進化の過程で選択されたことがもたらした直接の結果ではなかっただろう。むしろ,二足歩行の結果もたらされたものに違いない。脊柱は大後頭孔と呼ばれる穴を通じて頭蓋に入る。四つ足歩行の動物ではこの穴は頭蓋の後ろに付いている。一方,二足歩行をする人類では,大後頭孔は四つ足動物に比べて前についており,頭蓋が若干後ろに傾いている。結果として,脊柱の上でバランスを取ることができ,あごが小さくなった。さらに声道が長くなり,喉頭が下へ下がったのである。このような変化は,二足で立つ姿勢が進化の過程で徐々に洗練されてくるにつれ,少しずつ生じたものだと考えられる。完全に獲得されたのは,ホモ・エルガスターやホモ・エレクトゥスの時代で,およそ200万年前と推定される。この説明が正しければ,喉頭の降下は「スパンドレル」の一例だ。スパンドレルとは生物メカニズムにおいて構造の変化がもらたらす(偶然の)帰結である。構造の変化自体は音声言語と何の直接的関係もないが,偶然にも促進作用があったのだ。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 p.238

出アフリカは複数回あった可能性

 ホモ・サピエンスによるアフリカからの移民が何かいも行われたのはほぼ確実である。おそらくある程度連続的なものだっただろう。先に示したように,12万5千年前までには江海に沿って移民があった証拠がある。それが海に沿ってサウジアラビアへ,そしてイラクやイラン,果てにはパキスタンにまで広まった。さらに拡大は続き,パキスタンからインドの海岸線に沿って,6万7千年前には東南アジアにまで至った。移民が繰り返されるうちに,われわれの種は少なくとも6万年前までにニューギニアに,そして4万5千年前にはオーストラリアに到達した。他の移民と別れてヨーロッパにやってきた集団もあった。およそ4万年前に到達したと考えられている。この集団が最終的にはネアンデルタール人と入れ替わったのだ。また,アジアの移民たちはベーリング海峡を横切りアラスカに渡った。そしておよそ2万年前にはアメリカの西海岸に,そして1万3千年前には南アメリカに至った。また,アジアの移民の中には太平洋への冒険にこぎ出していったものもいた。そして西暦1300年頃にニュージーランドに到達した。
 しかし,最初の移民の子孫は生き残ることができなかったことを示す証拠もある。従って,世界各地に広がった現代人の祖先がアフリカから出ていったのは,初期の移民よりもずっと最近のことであろう。世界中のさまざまな地域から集められた53人の現代人についてミトコンドリアDNAの解析を行ったところ,アフリカとアフリカ以外に住む人々に共通する祖先はおよそ5万2千年前のホモ・サピエンスであることがわかった。ただし,アフリカの人々に限ればその系統を,およそ17万年前ぐらいまでさかのぼることができる。これはおよそ5万年前にアフリカから出発したホモ・サピエンスの集団があり,それが最終的には移民先で出会った先住のホミニンたちと入れ替わってしまったことを示唆する。先住のホミニンたちは,いわば絶滅が運命づけられていた。そのなかにはもっと昔に移民したヨーロッパのネアンデルタール人や東南アジアのホモ・エレクトゥス——そして初期の移民としてアフリカを出ていったホモ・サピエンスもいたであろう。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.228-229

水中進化説について

 二足歩行が水中の歩行,および泳ぐことによって起こった適応だというアイデアは,私にはなかなか良いものに思える。体毛がない,皮下脂肪が厚い,体長の割りに足が長い,鼻が下を向いているなど,他の霊長類にない人間の解剖学的特徴も水中環境で生きていたというアイデアに合致するようだ。これらの特徴は地面の上だけで生きていたというアイデアにはあまり一致しない。一方で,二足歩行はさまざまな災いも呼んできた。静脈瘤,痔,腰痛,そして膝や背骨の痛みである。たぶん,昔のように砂浜のそばで生活した方が,私達はよっぽど幸せになれるだろう。
 だが,すべての証拠が水中説を支持しているわけではない。アウストラロピテクス・アファレンシスは3つの場所で発見された。3つの場所はそれぞれ異なる地域に属する。タンザニアのラエトリ,エチオピアのハダー,チャドのバー・エル・ガザルである。最後の2つは湖や川の近くだが,ラエトリは水源の近くではないようだ。このように初期ホミニンが非常に広い範囲で見つかっていることを考えると,私たちはまるで落ち着きがなく,よく移動したようだ。しかも,変化に富んだ環境をさまざまに行き来できるくらい多才だったと考えられる。そして200万年前頃になると,たくさんのホミニンがアフリカを出て,さらにバラエティーに富んだ環境に暮らすようになった。さまざまな状況に適応できる能力は,祖先から引き継いだ本当に素晴らしい財産である。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.124-125

音を模倣する生物

 鳥類とは対照的に,人間と海中のほ乳類を除き,ほぼすべての哺乳類は音の模倣ができない。その見込すらないと言っていいだろう。テレンス・ディーコンはボストン水族館に行ったときの出来事について語っている。彼は「おい,おい,おい,さっさと出てけよ!」という大声を聞いて驚いた。それはフーバーという名の話すオットセイだった(残念だがもう亡くなった)。他のオットセイが人の声を真似しないことを考えると,フーバーはかなり変わったオットセイだったのだろう。イルカもまたたいへん真似が上手で,ほかのイルカの鳴き声をあっという間に覚えて真似てしまう。さらに人間の声を真似るのもとても上手いらしい。イルカはとても社会的な動物で,鳴き声の模倣をどうやらグループ内のイルカを見分けたり,親類かどうかを確認するために使っているようである。逆に,霊長類は基本的に視覚的な動物で,顔の知覚的認知に大変優れている。それに特化した機能を持っていると言ってよい。この能力があるからこそ空港で,それこそ何百もの顔の中から友達を見つけることができるのだ。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 p.42

オウムのアレックス

 模倣を越えた能力を持つオウムが少なくとも1羽はいる。アレックスと名付けられたこのオウムはイレーネ・ペパーバーグが育てたものだ。アレックスは100を超える事物や行為を表す単語を使用でき,簡単な命令文を話すこともできる。さらに場所や形,彼が見たものの数について答えることもできる。これはアレックスが単語を複雑なかたちでつなぎ合わせる能力があることを示している。アレックスは確かにすごい。しかし,彼が発する音声に文法あるいはそれに類するものは一切含まれていなかった。再帰,時制,句の挿入など,真の言語に存在するあらゆる生成性がなかった。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.41-42

人間の場合には

 健康な相手や,子どもの世話をできる相手がほしいという気持ちはとても自然なことだと思うが,私たちの仮説を人間の配偶者選択に適用するのは危険だ。ひとつには,ニワシドリやヤケイ,グッピーとはちがって,人間は性行為の後も,少なくともしばらくは男性は女性のそばにいて,子どもを養うということがある。だから,なぜメス(女性)が特定のオス(男性)をわざわざ選ぶのかという問いは,人間においては,オスがメスに精子しか与えない生物ほどは問題にならない。女性が1回だけのデートで,男性のひげの発育状態を真剣に調べて,彼がマラリアに対する抵抗力があるとか,ぜんそくのような咳をするといったことを見極める必要はない。もっと長い付き合いの中で,よい生活をしているかどうかや,冗談に笑ってくれるかどうかを,彼の健康状態とともに知ることができるのだ。また,少なくとも表面上は一夫一婦制の社会となっているので,男性も同じように女性のことを調べられる。だが,いずれの場合でも,すぐれた遺伝子をもっているというのは単なる一要素にすぎない。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 pp.197-198
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

鳥の・・・

 鳥にペニスがないことを進化の観点からどのように説明すべきか,科学者たちはこれまでずっと頭を悩ませ続け,さまざまな仮説を提示してきたが,いまだに決定的な答えは見つかっていない。謎が解明されない一因として,そもそもペニスをもつ鳥類はごくわずかなので,その一般的なメリットを予測して検証するのが難しいことがある。とはいえ,仮説の中にも興味深いものがいくつかある。たとえば,精液を入れる場所と,消化器官から排出される排泄物が出る場所が同じということは,微生物に感染する機会を減らす意味ですばやく事を運んだほうがいいので,長い歳月のあいだに鳥のペニスは消えてしまったという説がある。この説を唱えたのは,ふたりの鳥類学者,ニュージーランドのカンタベリー大学のジム・ブリスキーとカナダのクイーンズ大学のボブ・モンゴメリーだ。だが,野鳥の性感染症についてほとんど何もわかっていない現状では,これ以上詳しく検証することは不可能だと,ふたりは述べている。ニワトリが性感染症にかかるのは確かだから,野鳥はかからないと考えるのは不自然ではあるものの,単に詳しい情報がない。私には,いくつかある仮説の中では,彼らの説がいちばん説得力がある。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 p.137
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

「昔の生活」って・・・

 うわべだけ見ると,この太古の食生活を勧めるダイエット法は,人間が進化してきた環境と現在の環境に不一致があると主張するダーウィン医学の賛成派に支持されそうな気がする。S・ボイド・イートンとスタンリー・イートンによると,石器時代から受け継がれた人間の遺伝子は今,「宇宙時代の暮らしの現実と戦っている」という。この結果,現代の人間は,糖尿病や動脈血栓,肥満といった,文明の発達にともなって出てきた「ぜいたく病」に苦しむようになった。だが,細かく見ていくと,ダーウィン支持者は全員が全員同じというわけではない。彼らでさえも,細部をおろそかにすれば,思いもよらない落とし穴にはまるのだ。人間が今とは異なる環境で進化してきたからといって,単純に過去のやり方にしたがえば現代病にかからなくなるというわけではない。
 私がまず疑問に思うのは,この「石器時代」とはいつのことなのか,そして,遊牧民のような狩猟採集生活から,農業中心の定住生活に移行したことが,病気とどのように関係しているのかということだ。石器時代というと,学術的には250万年前からおよそ1万年前の旧石器時代のことを指すが,この期間はあまりにも長く,人間の生活もそのときそのときでちがっている。ライオンなどの肉食動物が食べ残した腐肉を食べる生活から,自発的に狩りや野生植物を採集する生活に移行したのは,おそらく約5万5000年前のことだ。農業や畜産は1万年ほど前,世界の何ヵ所かでほぼ同時期に始まったと考えられている。
 となると,私たちの遺伝子はどれくらい前にできたのか。進化は,場合によっては数世代という短い期間に起こることもあるが,全般的に人間の遺伝子は,農業の出現以降,それほど変わっていないと言っていいだろう。だからといって,現代人が石器時代(あるいは旧石器時代)の遺伝子をもっていると,単純に言うことはできない。私たちの遺伝子のほとんどは,実際にはそれよりもずっと古く,多くは,ショウジョウバエやイソギンチャクのような似ても似つかない生き物と共通のものだ。人間とチンパンジーの遺伝子は98%同じだとよく言われるが,このことは状況によってはあまり意味をもたない。人間は狩猟採集民として過ごした期間のほうが,農民やコンピュータアナリストとして過ごした期間よりもはるかに長いのは確かだが,こうした相対的な時間がどれほど重要なのかは,よくわからないからだ。つまり,旧石器時代のあった更新世に生まれた遺伝子にばかり注目するのは,やや自分勝手な見方だということだ。「魚の時代」と呼ばれる3億5000万年前のデボン紀には,脊椎動物の祖先である魚が他の魚の体液を吸って生きていたが,そうした時代にも目を向けたほうがいい。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 pp.42-43
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

理想化された虚構

 病気に嫌悪感を抱くのは,まちがっているわけではない。私たちの祖先は,病気を引き起こす寄生者に対して,深い恐怖を私たちにしみ込ませてきたからだ。だが一方で,寄生者は何千もの世代にわたって私たちとうまく共存してきてもいる。だから,体にダニや寄生虫がいるからといって,その生き物が異常で不自然だと考えるのは正しくない。生き物というものは,もともと傷があり,寄生虫をもち,何かにかまれたり刺されたりするものだ。破れた葉っぱがついた茎は,内臓に障害のある動物やつやのない羽毛のように,無傷のものよりもずっと自然な姿なのだ。傷のない動物や人などというのは,エッフェル塔の下に旅行者がひとりだけ立っている広告のように,理想化された虚構のものでしかない。こうした姿は,人の頭の中だけにあるもので,現実に存在するものではない。寄生虫が引き起こす病気は,私たちは本来どうあるべきで,どう暮らすべきかを示してくれる必要不可欠なものなのだ。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 p.18
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

クモの糸の特性

 絹の強さが高度の抗張力をもつ鋼線に匹敵すると言う話は,たいてい誰でも聞いたことがあるだろう。それはそれで本当だが,クモの網の絹糸の何たるかについて誤解を招くおそれがある。高抗張力の鋼線は,壊れるまでの伸展性が1パーセント以下,ということは非常に硬い。吊り橋のケーブルにこれが利用される理由はそこにある—SUV車に乗って橋を渡るときに安定した走りが得られるのは,その剛性のおかげだ。オニグモの枠糸や縦糸の絹の強度,つまりある一定の断面が支えられる最大荷重は鋼線に匹敵するかもしれないが,機能を失うまでの枠糸の最大伸長は実質27パーセントで,縦糸では40パーセントにもなる。この素材で吊った吊り橋を渡るとすると,虚栄心ではなく冒険心でSUVを買い求めて,弾むような乗り心地を楽しまなければならない。「弾むような」と言ったのは,この絹糸に弾力性があるからだ。SUVが橋を降りて重力が取り除かれると,想像上の絹糸のサスペンションは元の長さに戻る。

マイク・ハンセル 長野敬・赤松眞紀(訳) (2009). 建築する動物たち:ビーバーの水上邸宅からシロアリの超高層ビルまで 青土社 pp.203-204
(Hansell, M. (2007). Built by Animals: The Natural History of Animal Architecture. Oxford: Oxford University Press.)

動物の建築は創発的な特性

 もう1つ別の結論も非常に重要である。私たちは,シロアリが廊下をつくる意図を持っていたとか,あるいは働きアリが廊下という何らかの概念を持っていたとか主張する必要はない。廊下は局部的な刺激に対して各個体の集団が示す「創発的(エマージェント)な特性」だ。意外に見えるかもしれないが,そんなわけでもない。読者がこの本を持っている手というものを考えてみよう。あなたが胎児で,手が単純なひれのようなものだったころに,それを構成していた細胞は将来手をつくることを「理解」していただろうか。全部の細胞に何らかの先天的な規則が具わっていて,何か多少とも局所的な刺激,鋳型,勾配などに反応する。それぞれの細胞は分裂,移動,文化,あるいは死ぬことによって反応し,そうやって手が出現(創発)してくる。

マイク・ハンセル 長野敬・赤松眞紀(訳) (2009). 建築する動物たち:ビーバーの水上邸宅からシロアリの超高層ビルまで 青土社 p.140
(Hansell, M. (2007). Built by Animals: The Natural History of Animal Architecture. Oxford: Oxford University Press.)

リーダーシップのない組織

 社会性昆虫の巣づくりにおける組織系統の実態がわかってきた。それは私たちのものとは全く違い,リーダーシップが存在しない。「責任者」と言える個体とか個体群はいないのだ。階層的な構造や管理部門もない。完成しなければならない一連の活動があれば,コロニーの他のメンバーあるいは巣自体から受けた非常に単純な合図を通して活動を始めたり停止したりする。ここで問題になるのは,そのような労働力がどうやって構造物を造ることができるのかということだ。

マイク・ハンセル 長野敬・赤松眞紀(訳) (2009). 建築する動物たち:ビーバーの水上邸宅からシロアリの超高層ビルまで 青土社 p.134
(Hansell, M. (2007). Built by Animals: The Natural History of Animal Architecture. Oxford: Oxford University Press.)

宇宙人の外見は?

 テレビのSF番組,『スタートレック』によって確立され,それ以来受け入れられてきた愉快な特性の一つは宇宙人の外見だろう。彼らがいかに奇妙で見慣れぬ文化から,宇宙のどこからやって来ようと,頭の鱗やこぶの数や色がどうであろうと,彼らには2つの目,2本の腕があり,2本の足で歩き回る。誰か平凡な俳優に奇妙な頭をつけるのがエキゾチックな生物を作るいちばん安上がりな方法だというスタジオ側の言い分もよくわかるが,私はこれが現実であって,宇宙のどこかに変わった都市があり,通りには,こぶや鱗がなければ私たちのように見えなくはない通勤者たちが溢れていると思いたい。これには生物学的正当性がある。主張したいのは,どのような問題に対しても解決策はわずかな数しかなくて,私たち人体のデザインには,良い解決策がすでにいくつか取り込まれているということだ。

マイク・ハンセル 長野敬・赤松眞紀(訳) (2009). 建築する動物たち:ビーバーの水上邸宅からシロアリの超高層ビルまで 青土社 pp.83-84
(Hansell, M. (2007). Built by Animals: The Natural History of Animal Architecture. Oxford: Oxford University Press.)

現在は大量絶滅期のただ中にある

 さて次には,私たち人間が作った新しい生息場所に動物を引き寄せる話だ。生息環境を変える支配的な種は私たち人間である。建築活動によって世界をこれほど変えてきた種は他に例がない。私たち以前にやってきたつくり手が生息環境にもたらした影響や生物多様性は,私たちがもたらす影響について何か教えてくれるだろうか。私たちは生物多様性を増すのとはほど遠く,多様性を事実上減少させる過程にあるというのが第一印象だ。地球上の生命の歴史は,大量絶滅を5回経験してきたと考えられている。比較的短期間に,通常は数百万年のうちに,多様な生物種の10パーセントから40パーセントが消滅する事態だ。最後に起きたのは約6500万年前の恐竜の絶滅だった。現在私たちは第6回の大量絶滅のただなかにあり,それは私たちが原因になっているという考えが,生物学者の間で高まっていて,私もそれに同意する。「突入しかねないので大いに気をつけるべし」でなく,大量絶滅の「ただなかに」いる点に注意しよう。この事態は,ホモ・サピエンスがアフリカから移住を始めて(約10万年前とされるが,議論の余地もある)以後,ほんの7,800年前にマオリ族がニュージーランドに定着して地球の包囲が完了したときに始まった。
 私たちが絶滅に関与していることを示す累積する証拠としては,人間がヨーロッパとアメリカ大陸に到着して間もなく大型哺乳類が絶滅するようになったことがある。大型哺乳類は,人間が導入するまでニュージーランドに定着することがなかった。それらの代わりとして草を食ったり捕食したりする役割はモア—飛ぶことができない鳥の仲間で,人間を見下ろす3メートルの高さにもなる—のような巨大な鳥が果たしていた。人間が到着して間もなく,おそらく12種類いたと思われるモアが絶滅した。それとともにその他数種類の鳥も同じ運命をたどり,その中にはハーストイーグルという過去最大のワシも含まれていた。翼長が推定2.6メートルのこの鳥は,おそらくモアを捕食していたと思われる。だから私たちが自分をビーバーと比較する場合,生息環境を破壊する能力は私たちの方がはるかに大きい。それにもかかわらず私たちは間違いなく新しい生息地もつくり出し,それがいくらかの種に生活空間を与えることになっている。
 クモがテレビを見ているあなたの前を横切ったり,夜中に風呂場の白い壁面にぶら下がる影がくっきり浮かび上がったりするのを見て,あなたは驚き,自分の個人空間にそれが侵入したことに慌てるかもしれない。しかしこのクモはほぼ確実に,家の屋根とか壁の窪み,床下などの居場所から偶然あなたの空間にさまよい出たのだ。それがそこで何をしているのか考えてみたことがあるだろうか。クモはあなたの家の食物連鎖の頂点にいる捕食者だ。そしてパンくずや皮膚の落屑,家の湿った場所に生える菌類などを食べる小さな昆虫とかダニに至るまでの完全な生態系がその「下に」ある。

マイク・ハンセル 長野敬・赤松眞紀(訳) (2009). 建築する動物たち:ビーバーの水上邸宅からシロアリの超高層ビルまで 青土社 pp.65-66.
(Hansell, M. (2007). Built by Animals: The Natural History of Animal Architecture. Oxford: Oxford University Press.)

生物多様性の減少・促進の判断も難しい

 つくり手が生息環境を複雑化するにつれて生物多様性が促進される証拠は有力だが,動物のつくり手が生息場所を破壊し,種の多様性を減少させることは考えられないだろうか。私たちが注目してきた草原や海底堆積物の場合とは異なり,すでに高度の多様性が見られる場所では,そのような可能性も高い。そうした例の一つを,ビーバーが住む森林と川に見ることができる。ビーバーが生物多様性を減少させるという確かな証拠もいくらかある。ビーバーは落葉樹や広葉樹を食べるが,食い尽くしてしまって針葉樹が犠牲になることもある。ビーバーが川やダムをせき止めて魚の産卵場所を破壊したり移動水路を妨害したりすることもある。しかし他方では多様性を促進させるような変化ももたらす。彼らが木を切り倒すことによって花を咲かせる植物が繁茂する空き地がつくり出され,新たな種類の鳥を引き寄せる昆虫がやって来ることもある。ダムに溜まった静水はプランクトン様の甲殻類やカの幼虫の生息地になる。その結果として,プランクトンを食べるコガモのようなカモ類が利益を得る事もある。冬になると,カの成虫はビーバーの小屋の中に避難して,小屋の主の血を吸うことができる。ビーバーによる生態系工学の正味の影響は,おそらく生物多様性を促進しているのだろう。

マイク・ハンセル 長野敬・赤松眞紀(訳) (2009). 建築する動物たち:ビーバーの水上邸宅からシロアリの超高層ビルまで 青土社 p.54
(Hansell, M. (2007). Built by Animals: The Natural History of Animal Architecture. Oxford: Oxford University Press.)

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