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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「生物学」の記事一覧

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魚の脳局在

 大脳新皮質によって可能なことが,より単純な脳によっては行えないとする推測が,いかに誤解を招くものかを示す1つの例がある。脳機能の局在性は,人間の脳の左右それぞれの側で,異なった情報が処理されていることをいう。脳に部分的なダメージを受けた脳卒中患者の症例から,また脳の活動を測定する一連の研究から,言語やそれに関連する情報が主として脳の左側で処理されているのに対し,資格情報に基づく思考や顔の認知が通常は脳の右側で処理されていることが知られている。脳の両半球の機能はそれぞれ異なり,これらの活動のちがいは大脳新皮質の内部で生じている。
 大脳新皮質の欠如のために魚は痛みを感じる能力をもたないという論理を用いるなら,魚には脳機能の局在性もありえないと主張できるはずだ。ところがそれはまちがいだと判明している。魚の脳は,2つの側のそれぞれにおいて,異なった種類の情報を分けて処理しているのだ。
 イタリアのトリエステ大学のジョルジョ・バロティガーラと,パドヴァ大学のアンジェロ・ビザッツァは,多くの共同研究者とともに,いくつかの魚の種が視覚情報を分極化して処理する事実を突き止めた。
 ある種の魚は,群れの仲間をみるときには左目を,また捕食動物や新規な物体など,警戒を要するものをみる際には右目を用いようとする。そして情報処理は,脳の2つの領域に分担させると効率が向上する。なぜなら,脳のそれぞれの側が異なる種類の情報を同時に処理できるからだ。これは文字通り並行処理だといえる。腹をすかせた捕食動物が岩陰にひそんでいるような危険な環境のなかで暮らさなければならないのなら,少なくとも2つの情報を同時に処理する能力は不可欠になるはずだ。したがってそれは重要な能力だが,それに大脳新皮質が必要だというわけではない。

ヴィクトリア・ブレイスウェイト 高橋 洋(訳) (2012). 魚は痛みを感じるか? 紀伊國屋書店 pp.31-33
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こういう研究を受け入れよ

 この研究は,ヘビが前進する際のくねり方やとぐろの巻き方での左右差を調べたものである。このヘビはアメリカ南東部に多く生息する種類で,たいていの時間はトグロを巻いて過ごしているらしい。ルースは30匹のヘビを対象に餌を求めて前進する際のくねり方やトグロの巻き方を1日に2回観察している。その結果,個体別に統計的に優位な左右差を示したのは3匹でいずれも時計回りを示した。左右差どちらの傾向が強いかを基準に傾向を見ると,時計回りの傾向を示したヘビが19匹で時計回りとは反対の傾向を示した個体は11匹であったという。退化した手足があるという説に従えば,右手のほうが強く,時計回りのヘビが多い傾向を示したことになり,とくに時計回りを好むヘビは成長した雄のヘビに多く,若いヘビは反時計回りの傾向を示すというものであった。雄と雌で反対の傾向がうかがえるのは交尾と関係があるのかもしれない。
 この研究はヘビのレベルで個体によって運動行為に左右差が明確に存在することを指摘している点で興味深いのだが,私の関心は別なところにある。ルースの研究では1813試行が観察されている。ヘビを被験体に行動実験をするには空腹動因を誘発せねばならない。つまり,腹を空かせておいて実験をしやすくせねばならない。ヘビの行動は温度や日照時間に影響されるのでそれらを一定に保ちつつ,空腹にするために1週間の断食をさせ,給餌の際の行動,すなわち餌であるネズミに向かって進む歩み方(表現は微妙だが)を観察しているのだ。実験に用いたヘビの数と試行数から概算して約60試行を行うことになる(実際には37試行から88試行とばらついている)。したがって半年以上が実験期間となる。つまり,半年もの時間をかけてヘビのくねり方を観察したことになる。せっかちな私に,とてもできる実験ではないし,たいがいの人にとってもこの種の根気はあるまい。
 私はこのような研究者も偉いと思うが,このような研究者を内包できる大学は立派だと思う。そして,そのような大学を育む国はたいした文明国だといいたくなる。これこそ文化的な社会,または文明社会であるはずの現代社会に存在する真の大学の姿であろうという思いを,強くもつからである。この件研究の結果は,関心のない人からは,「それがどうかしましたか」とか「暇な人もいるものだ」という答えが返ってきそうである。この研究成果が必ずしもすぐになにか金銭的な効果をもたらすものではない。しかし,現代人の好奇心を満たす効果はあり,本書の読者のようにお金を払って好奇心を満たそうという経済行動につながるので,長期的には金銭的な関わりも生まれないわけではない。
 昨今の日本の大学に見られる,特許などの経済効果に直接的に繋がらない研究の軽視を体感する者としては,文化的でこころ豊かな知識の学府を構成する研究者も内包できる環境を保ち続けることの重要性を,ルースが行ったヘビのこの研究を読んで痛感した次第である。

八田武志 (2008). 左対右:きき手大研究 化学同人 pp.226-227

カートン入りのガン

 1953年12月15日は運命の日だった。その数カ月前,ニューヨーク市のスローン・ケタリング研究所の研究者たちが,マウスの皮膚にタバコのタールを塗るとガンが発生して死に至ることを実証していた。この研究は報道機関から大変な注目を浴びた。『ニューヨーク・タイムズ』と『ライフ』誌が取り上げたし,当時世界で最も広く読まれていた『リーダーズ・ダイジェスト』誌も「カートン入りのガン」という記事を掲載した。ジャーナリストや編集者はたぶん,研究論文の締めくくりに書かれた劇的な文章に動かされたのだろう。「関連する臨床データが喫煙とさまざまな種類のガンを関係づけていることを考えると,このような研究は急務だと思われる。それは発ガン物質に関するわれわれの知識を広げるだけでなく,ガン予防の実際的な側面を推進することにもつながるだろう」
 こうした発見が意外だったはずはない。ドイツの研究者たちは1930年代に,タバコの煙が肺ガンを引き起こすことを明らかにしていたし,ナチスの政府は禁煙キャンペーンを大々的に展開した。アドルフ・ヒトラーは自分のいる場所での喫煙を禁止した。しかし,ドイツの科学者の研究にはナチスへの連想がつきまとったことから,戦後は実際に抑圧されはしないまでもいくぶん無視された。こうした研究が最発見され,独立に確認されるまで,しばらく時間がかかった。しかしそれがいまや,ナチスではない米国の研究者たちがこの問題を「急務」と呼び,報道機関がニュースを流すようになっていた。「カートン入りのガン」はタバコ業界にとって,耐え難いスローガンだった。

ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(上) 楽工社 pp.40-41

協力拒否の理由

 ナショナル・ジオグラフィック協会のジェノグラフィック・プロジェクトは,DNA分析で明らかになった移住パターンに基づいて世界の人々を分類しようとしているが,現在障害にぶちあたっている。DNAから得られる証拠が,人々の人生に深い意味を与える物語と矛盾する場合があるのだ。たとえば,各種の先住民族たちは,自分たちが時の始めからある場所に住んでいたという信念から意味を引き出している。だからかれらの到来時期を確定して,かれらが実は遺伝的には混血であり,まったく気にもかけていないような人々と遺伝子を共有しているという報せは,ひどい幻滅をもたらしかねない。北米の主要部族のほとんどはこのプロジェクトへの参加を断ったし,世界の他の部分でも先住民たちが大きく抵抗している。

ジョージ・A・アカロフ/ロバート・J・シラー 山形浩生(訳) (2009). アニマルスピリット 東洋経済新報社 pp.77

指紋と遺伝

 ゴルトンもまた,精神病院の医師の協力を得て,「最悪の白痴者たち(the worst idiots)」から多数の指紋を採取したが,「それらのいずれにも特筆すべき違いは見られなかった」。人種による違いについても,ゴルトンは「大きな期待」を抱いていたが,その期待は裏切られることになる。彼はウェールズ人,ユダヤ人,黒人,バスク人などから指紋を採取して慎重に調査したものの,「それらのいずれかに特有のパターンは見られない」と言わざるを得なかった。遺伝の研究に関しても目覚ましい成果を上げるには至らず,それが結局ゴルトンを指紋から遠ざけることになったのは,すでに見たとおりである。双子の間ですら(模様に似た特徴は見られるにせよ)異なると言われる指紋は,「万人不動」であるからこそ価値を持つのであり,このような指紋を遺伝の研究,すなわち親と子の間の共通の特性を見出そうとする研究に用いるのは,そもそも矛盾することだった。サイモン・A・コールの指摘するように,「すべての指紋は唯一無二なので,ある指紋が他の指紋からの遺伝であると判断するのは,容易なことではなかった」のである。やがて指紋の科学的研究は身元確認の分野に特化し,生物学においても遺伝はもっぱら遺伝子の問題となり始めたために,指紋を用いた遺伝や種差の研究は,コールによれば1920年代までにはマイナーなものとなっていく。古畑種基(1891-1975)を中心に20世紀半ばまで指紋による遺伝研究が続けられた日本は,例外的な例だと言えるのかもしれない。

橋本一径 (2010). 指紋論:心霊主義から生体認証まで 青土社 pp.165-166

人類の大きさ

 我々の大きさは,いろいろな意味で興味深い。人類が進化していくうちに,だんだん大きくなったらしい。大きく見れば,天文学的領域と原子より小さい世界とのちょうど真中にいることがわかる。地球上で考えると,地球にいる生物の大きさの範囲内ではごく平凡な位置になるものの,二足歩行するものとしては最大であるという点が目立っている。その大きさは,我々がたどってきた社会的・技術的発達のパターンにとっても重大だったらしい。我々がこの大きさだからこそ,個体における分子結合を切るだけの力が出せる。つまり石を砕いたり彫ったり,燧石のような硬い素材を研いだりすることができる。金属を曲げて加工できる。十分な運動エネルギーで石を投げ,棒をふりまわし,他の動物だけでなく,同類を殺すこともできる。こうした能力は,我々がずっと小さかったら当然なかったものであるが,我々が進化する上では重大な役割を演じているものである。それによって初期のテクノロジーが発達できた。しかしそれによってすぐ命を奪えるような力を振るえる危険な好戦的種にもなった。急速な進歩を可能にしたが,進歩をすべて終わらせる手段をももたらしてしまった。

ジョン・D・バロウ 松浦俊輔(訳) (2000). 科学にわからないことがある理由 青土社 pp.206-208
(Barrow, J. D. (1998). Impossibility: The limits of science and the science of limits. Oxford: Oxford University Press.)

完璧ではない

 我々の心と体が有している能力はもともと,今はもうない環境によって課せられる問題に対する答えだったという点を,きちんと認識することが重要である。その過去の環境との適応関係には今も残っているものがあるが,多くはもうない。それらが最適である必要はないということを認識するのも大切である。分別があってしかるべき科学者も含め,多くの人々が,生物の有する適応の驚異的な緻密さに心を奪われ,それが完璧な適応であると思い込んできた。しかしこれは真相からは遠い。人間の眼は見事な光学的装置ではあるが,ありうるものの中で最善とは言えない。蜜蜂は材料を有効に利用して蜂の巣を作るが,数学者はもっと効率的なものがありうることを知っている。別に驚くことではない。環境条件に完璧に適応するとなると,無理なほど高価につくかもしれない。資源をじゃんじゃん使って完璧な適応に投入すれば,別の部門ではより不完全な適応で甘んじなければならない。あたりまえに乗る車のために,100年はもつきわめて高価な点火プラグを買うことにどんな意味があるだろう。まったく意味はない。点火プラグ以外の部分は100年に遠く及ばないうちに故障してしまうだろう。

ジョン・D・バロウ 松浦俊輔(訳) (2000). 科学にわからないことがある理由 青土社 pp.155-156
(Barrow, J. D. (1998). Impossibility: The limits of science and the science of limits. Oxford: Oxford University Press.)

進歩

 進化は,生物界が完成品だという考え方を廃止したということがわかる。それによって進歩(あるいは退歩)という考え方や,世界は将来どんなふうになるかという思弁に道が開かれる。こうした考え方は,生命科学者にとってはあたりまえになる。自然界の数理的法則を研究する物理学者は,その法則が不変だという性格を強調する。20世紀になる前は,そうした法則が最もうまく応用できたのは月や惑星の運動だった。天文学の世界で見られる変化は,生物界で見られるものよりも遅く,単純で,予測しやすい。20世紀になってようやく,天文学は星や銀河の起源や進化についての根本的に新しい理論とつきあうようになり,宇宙が拡大することも発見される。

ジョン・D・バロウ 松浦俊輔(訳) (2000). 科学にわからないことがある理由 青土社 pp.76
(Barrow, J. D. (1998). Impossibility: The limits of science and the science of limits. Oxford: Oxford University Press.)

身体の欠陥

 進化が生んだもう1つのよく知られたクルージは,男性の体の少々プライベートな部位に見受けられる。精巣(睾丸)から尿道へ至る輸精管が,必要とされるよりずっと長いのである。まず体の前側に延び,ぐるりと旋回して180度方向転換し,ペニスへ戻ってくる。節約を旨とするデザイナーであれば,材料を切り詰める(または輸送効率を上げる)ために精巣を直接ペニスにつなげるはずだ。そうすれば管の長さは短くてすむ。ところが,進化は既存の構造にものを継ぎ足していくので,全体としてちぐはぐな体になってしまった。ある科学者によれば,「[人間の]体は欠陥だらけだ……鼻孔の上には無用の突起があり,大三臼歯(親知らず)があるおかげで虫歯になりやすく,足はうずき……背骨はすぐに悲鳴を上げ,毛に覆われていない柔肌は切り傷,咬み傷,多くの場合は日焼けにさらされている。走るのは苦手で,人間より小さいチンパンジーのおよそ3分の1の強靭さしかない」
 こうした,ヒトに固有な周知の欠陥に加え,広く動物と共有する,数十にも及ぶ欠陥がある。たとえば,DNA鎖がほどけてDNAが複製される複雑な過程がある(このDNA鎖の振る舞いが1個の細胞が2個になる過程のカギを握る)。このときDNAポリメラーゼの一方の分子は実に無駄なくその仕事を成し遂げるが,他方はまともな技術者なら頭を抱えそうな,行ったり来たりを繰り返すぎくしゃくとした仕事ぶりを見せる。
 自然がクルージをつくるのは,その所産が完璧かエレガントかを自然は気にも留めないからである。有用でさえあれば,それは生き残って数を増やす。役に立たなければ,死に絶える。よい結果を生む遺伝子は繁殖し,それができない遺伝子は滅びる。ただそれだけのことなのである。問題は美ではなく適合性なのだ。

ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.14-15

ユダヤ人

 ユダヤ人の卓越した知能は衝撃的である。先ほど述べたように,アシュケナージ系ユダヤ人科学者の数は並はずれて多い。著名な科学者の中でアシュケナージ系ユダヤ人が占める割合は,合衆国とヨーロッパで彼らの人口比率を考慮した予想よりも10倍も高いことになる。過去2世代において,彼らはすべての科学関連のノーベル賞の4分の1以上を獲得したが,彼らの数は世界人口の600分の1にも満たないのである。彼らは米国人口の3パーセント未満にしかすぎないのに,その期間のアメリカ人に授与された科学関連のノーベル賞の27パーセント,そしてチューリング賞(毎年,計算機学会[ACM]によって与えられる賞)の25パーセントを彼らが獲得している。また,20世紀の世界チェスチャンピオンの半数はアシュケナージ系ユダヤ人である。アメリカのユダヤ人は他の領域でも多くの第一人者を輩出している。たとえば,ビジネスにおいては,最高経営責任者の約5分の1,学問ではアイビーリーグの学生の約22パーセントを彼らが占めている。こうした統計は広範な分野における知能の高さを示しているが,私たちは科学と数学の業績を判断の基準とする。科学や数学における評価のほうが,ほかの分野の評価よりも客観的だと考えられるからだ。科学と数学での重要な発見の定義については,人々の意見は一致しているが,芸術や文学における業績を評価する,それと類似した客観的基準はない。たとえば,フロイト派の理論は,心理学における画期的な成果なのか,それとも「ペット・ロック」(1970年代にアメリカで,ペットに見立てた石が売り出されたところ,大ヒットした)と同じ,ばかげた一時的流行なのか?私たちにはその答えはわからないが(とはいえ,強い疑いをもっているが),答えを見つけるための客観的な方法はない。

グレゴリー・コクラン,ヘンリー・ハーペンディング 古川奈々子(訳) (2010). 一万年の進化爆発:文明が進化を加速した 日経BP社 pp.234-235

王の遺伝子

 いったん支配階級ができあがると,支配階級の生殖における優位性が発動した。これがもっとも根本的な階級闘争,すなわち生存競争である,しかし,これは歴史家にほとんど見過ごされてきたし,そういった意味では,当事者たちも気づいていなかった。これはさまざまな形を取りうる。たったひとりの男性の系統がとてつもなく有利になる場合もある——王になるのはすばらしいことだ!アイルランドの男性人口の8パーセントで驚くほど共通性のある型のY染色体が見つかっている。そのY染色体は,アイルランドとの密接なつながりが知られているスコットランド地域と,アイルランドから国外へ出た移住者のあいだでもかなりよく見られる。世界中で,200万〜300万人の男性がこの染色体をもっており,そしてどうやらこの染色体は九虜人のニール(西暦400年頃のアイルランドの王)の直系男性の印であるようだ。1609年までの1200年間,彼の子孫はアイルランドで権力を維持し続けた。
 もっとも壮観な例は,ジンギスカンである。約800年前に,ジンギスカンと彼の子孫は北京からダマスカスまでの土地をすべて征服した。ジンギスカンは楽しみ方を知っていた。たとえば,彼の至高の喜びとはこうだ。「敵を壊滅させるには,彼らをわれの前に引き立て,彼らの財産を没収し,愛する者の悲しみを目の当たりにさせ,彼らの妻と娘を抱くがよい!」なかでも最後の項目がとくに気に入っていたようすで,彼と息子たち,およびその子孫(ゴールデン・ファミリー)は,数百年間アジアの大部分を支配し,全土でハーレムをつくった。そうすることで彼らは,あらゆる遺伝学的影響のなかで最大のインパクトを与えた。今日,中央アジアの約1600万人の男性が彼の直系であることが,独特のY染色体をもっていることによって示されている。たったひとりの男性が違いをもたらすことはありうるのである。

グレゴリー・コクラン,ヘンリー・ハーペンディング 古川奈々子(訳) (2010). 一万年の進化爆発:文明が進化を加速した 日経BP社 pp.133-134

人種差別主義的?

 ネアンデルタール人が現生人類に競争の上で劣っていたという考え方に対して,まことにばかばかしい批判がなされることがある。いわく,そのような考え方は人種差別主義的である,と。なぜか,50万年前に現生人類と分かれた集団(現生人類とは異なる種であると一般に考えられている)が,なんらかの生物学的弱点をもっていたと主張することは言語道断というわけだ。私たち現生人類が現代まで生き延び,ネアンデルタール人は生き残れなかったにもかかわらず,である。さらに言えば,私たちがもついくつかの遺伝子は旧人類に由来するものだという考えは人種差別的だと言う人がいる一方で,人がネアンデルタール人の遺伝子を受け継いでいないという考え方は人種差別主義的だと論じる人もいるのである。

グレゴリー・コクラン,ヘンリー・ハーペンディング 古川奈々子(訳) (2010). 一万年の進化爆発:文明が進化を加速した 日経BP社 pp.39

遺伝的差異間の相関

 わかったことは,こうした遺伝的な差異のあいだの相関関係が重要であるということである。もしも集団間の遺伝的な差異が,特定の方向に向かいがちであるなら,つまり,ある傾向が有利になる流れがあるなら,そうした差異が合わさって,大きな効果を生むこともありえる。たとえば,イヌでは,成長に影響する遺伝子が確かにたくさんある。そうした遺伝子の変異体の中には,成長を促進するものもあれば,逆に成長を妨げるものもある。グレートデーンとチワワの両方で,成長を促進する遺伝子変異も成長を妨げる遺伝子変異も見つかるとしても,傾向は異なっているに違いない。成長を促す変異は,グレートデーンに多く見られるはずだ。中にはある遺伝子の成長阻害変異をもつグレートデーンもいるかもしれないし,逆に成長促進変異をもつチワワもいるだろうが,グレートデーンでは,多くの遺伝子の効果の総和は,ほぼ間違いなく成長促進方向に向いていると言って差し支えないだろう。というのも,私たち知る限りでは,グレートデーンの成犬よりも大きいチワワの成犬は一匹もいないからだ。同じように,ハワイ州のヒロよりもニューメキシコ州のアルバカーキのほうが降水量の多い日はあるだろう。しかし,一年を通して見た場合,ヒロのほうが,雨が多いことはほぼ確実である。そしてこれは,気象記録が残っている範囲では,毎年のことだ。

グレゴリー・コクラン,ヘンリー・ハーペンディング 古川奈々子(訳) (2010). 一万年の進化爆発:文明が進化を加速した 日経BP社 pp.25

浅い変化

 いわゆる進化的に浅い変化というものがある。ほとんどが,機能の喪失,あるいは機能の強調と再方向づけに関係するものだ。この種の変化で,エラやソナーが出現することはないだろうが,驚くべきことが起こることもある。イヌは全部がひとつの種にくくられるが,すでに見てきたように,他のいかなる哺乳動物よりも形態学的に品種間の差が大きく,また,学習能力など,多くの一風変わった能力を発達させてきた。イヌは品種によって,学習の速度と能力に著しい違いがある。新しい命令を学ぶのに必要な反復の回数は,品種によって10倍以上の開きがある。平均的なボーダーコリーは,5回の反復で新しい命令を学び,95%の確率で正しく反応することができるのに対し,バセットハウンドは,80〜100回繰り返し学習させても,正しい反応が得られるのは25%程度である。

グレゴリー・コクラン,ヘンリー・ハーペンディング 古川奈々子(訳) (2010). 一万年の進化爆発:文明が進化を加速した 日経BP社 pp.20

瞬きする間

 スティーヴン・J・グールドは,5万年や10万年は「まばたきする間」でしかなく,「進化的差異」が生じるには短かすぎるという立場をとっているが,それは正しくない。自然選択がもっと短い時間に大きな変化をもたらした例はいくらでもある。しかも,ものすごく短い時間内に起こることもしばしばあるのである。飼い犬からトウモロコシの粒に至るまで,最近の進化がもたらした産物はたくさんある。

グレゴリー・コクラン,ヘンリー・ハーペンディング 古川奈々子(訳) (2010). 一万年の進化爆発:文明が進化を加速した 日経BP社 pp.12

貧弱な時代

 「我々は,動物学的に言えば,極めて貧弱な時代に生きている」と,ダーウィンとともに生物進化のメカニズム解明に貢献したウォーレスは述べている。現在のアメリカ大陸の動物相(ある地域に生息している動物の種類)はアフリカに比べて貧弱だが,過去にはそうでなかった。クローヴィス人たちは,現在でもいるバイソン,オジロジカ,トナカイ,イワヤギ,オオカミなどのほか,ゾウ(マンモスとマストドン),ウマ,ラクダ(キャメロプス),剣歯ネコ(スミロドンなど),クマ(アークトドゥスなど)などがいる環境に暮らしていた。そして南アメリカにも,ゾウ(マストドン),ウマなどのほか,オオナマケモノ(ミロドンやメガテリウムなど),巨大アルマジロ(グリプトドンなど)などがいた。ところが北アメリカでクローヴィス文化が終焉を迎えた1万3000年前,そして中央・南アメリカでもおそらく同じころに,こうした大型哺乳動物たちが,姿を消してしまうのである(ただし一部の動物たちは1万年前ごろまで生き残っていた)。北アメリカでは,実に31属の大型草食動物が絶滅したとされている。

海部陽介 (2005). 人類がたどってきた道:“文化の多様化”の起源を探る 日本放送出版協会 pp.268

ボトルネック効果

 一方,アメリカ先住民の一部の特徴には,他の集団と異なっていて独特なものがある。例えば彼らの顔つきは,全般的にアジア人と似ているとはいえ,同一ではない。こうした独自性が生じた背景には,以下のようなものが考えられる。まず,彼らは長期間にわたってほかの世界と交流をもたなかったために,わずかながらも独自の方向への進化が生じただろう。こうした通常の変化に加え,移住の際にボトル・ネック効果が働くと,変化はもっと劇的なものになりうる。例えば,南アメリカの先住民は,圧倒的にO型の血液型が多く,A型やB型はごく少ない。これは,彼らが移住していく過程で一時的に集団サイズが小さくなり(これをボトル・ネックつまり瓶のくびと表現している),そのときたまたまO型の遺伝子をもつ個体が多かったために,後の子孫たちもほとんどO型になったと説明される。このように集団サイズが小さくなると,偶然に変異の偏りが生じやすくなり,集団の様相は大きく変化しうる。

海部陽介 (2005). 人類がたどってきた道:“文化の多様化”の起源を探る 日本放送出版協会 pp.257-258

人類がやったようだ

 オーストラリアが有袋類の国であることはすでに述べたとおりだが,実は,5万年以上前のこの土地の光景は,現在と同じではなかった。このころオーストラリアには,もっと多様な野生動物がおり,その多くは現生の種よりも大型であった。有袋類としては,体長3メートルを超える草食動物のディプロトドン,体高が2メートルにもなるジャイアント・カンガルー,体長1.6メートルという大型のウォンバットなどが徘徊し,ほかにも体長5〜7メートルにもなる超巨大トカゲや,体重100キログラムに達する飛べない鳥もいた。ところがこうした動物たちは,氷期が終わる以前に絶滅し,姿を消してしまった。専門家の推計では,100キログラムを超えていた19種のすべて,そして38いた10〜100キログラムの種のうち22が,このときまでに絶滅したという。
 大絶滅の原因としては,環境変動と人間の関与という2つの可能性があり,双方の見解の支持者の間で激しい論争がなされてきた。環境変動説では,例えば2万1000年前頃の最終氷期の最寒冷期へ向けて降雨量が減り,乾燥化が進んだことが大型動物に不利に働いたと説明している。人の関与の中で最も直接的かつ影響が大きいのは,もちろん狩猟活動であろう。一方,アボリジニが行っていた野焼きが,絶滅の部分的な原因になった可能性も問われている。しばらく前まで,動物の絶滅と人の渡来のどちらの年代もあいまいであったため,環境か人間かの論争は膠着状態にあった。しかし最近の研究で,絶滅の年代と背景が少しずつはっきりしてきている。
 1999年,アメリカとオーストラリアの研究グループが,興味深い論文を発表した。オーストラリア南東部で出土した前述の巨鳥の卵の殻700点以上を年代測定したところ,この鳥が10万年以上前から存在し,約5万年前(測定誤差はプラスマイナス5000年ほど)に絶滅したことがわかったのである。続いてオーストラリアを中心とする別の研究グループが,ニューギニアを含むサフル各地に散らばる28地点において,絶滅動物化石の年代を調査するという大規模な研究の結果を,2001年の『サイエンス』誌に報告した。これによれば,絶滅の年代は約4万6000年前(測定誤差はプラスマイナス5000年ほど)で,多数の大型動物たちはこのころ,急激に消え去ったらしい。
 これらの研究成果は,サフルにおける大型動物の絶滅の背景に,ヒトの活動があったことを強く疑わせるものである。絶滅の年代が5万〜4万6000年前だったのであれば,2万1000年前ごろにピークを迎えた寒冷化が原因という考え方は,もはや成り立たない。新しく報告された絶滅年代は測定誤差が大きいので,仮にサピエンスの渡来が4万5000〜4万年前であったとしても,絶滅年代を下方修正すればシナリオは成り立つ。サフルの動物たちは,それまでホモ・サピエンスという動物を全く知らなかった。突然現れた侵入者に対して警戒心をもたなかったことが,この動物たちにとって命取りになったのであろう。

海部陽介 (2005). 人類がたどってきた道:“文化の多様化”の起源を探る 日本放送出版協会 pp.198-200

アボリジニ

 アボリジニについてのイメージや宣伝文句には,的外れのものが少なくない。旧石器時代の生活を今でも続ける人々,砂漠に暮らす先住民,現存する人類最古の文化……,どれもオーストラリアの先史文化のダイナミズムを見誤っている。
 アボリジニは,5万年ほど前にオーストラリアへやってきたと考えられている。そして土器を作らず,農耕や牧畜をはじめることなく,ごく最近まで狩猟採集生活を続けていた(一部集団は今でも意図してそうした暮らしを続けている)。しかし後で述べるように,この間,彼らの文化が不変であったわけではない。アボリジニの祖先たちは半砂漠環境へもチャレンジし,文化的適応を果たした。しかしすべてのアボリジニが,好んで乾燥地帯に暮らしていたのではない。彼らはもともとオーストラリア全土に広がっていたが,1788年にイギリスがシドニーに入植して以来,過ごしやすい土地を追われたのだ。アメリカ先住民などの例と同じで,現在の彼らの分布は本来のものではない。

海部陽介 (2005). 人類がたどってきた道:“文化の多様化”の起源を探る 日本放送出版協会 pp.190-191

優れているかどうか

 世界のどの集団にも多かれ少なかれユニークな身体特徴があり,身体の進化が最も進んでいるのはどの集団とはっきり言えるわけではないが,いくつか指摘できることもある。これまで述べてきたように,北方モンゴロイドの身体的特徴の特殊化が南方モンゴロイドに対して際立っており,しかもこれが寒冷地への適応として比較的最近生じたことに異論はない。
 しかしこのように理解した上で,北方モンゴロイドが南方モンゴロイドより進化した分だけ“優れている”と考えることはできない。進化を進歩と捉える誤解は,ダーウィンが進化理論を発表した直後から現在まで絶えないが,生物進化の実例を見ていけばそれが単純な誤りであることは誰にでもわかる。

海部陽介 (2005). 人類がたどってきた道:“文化の多様化”の起源を探る 日本放送出版協会 pp.182

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