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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「生物学」の記事一覧

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イノベーター

イノベーターは,不利な条件を成功に結びつけることができた。他の種が完熟果実による元来の食生活にしがみついているあいだ,新しい種は代わりの食物を主食とした。果物がなく,生活がまったく成り立たないために立ち入ることができなかった土地に,イノベーターは新たな食物を求めて移り住んだ。競争相手によって最適な生息地に周縁に追いやられ続けた結果として,行動だけでなく体の構造が変化したことが強みとなったのだ。中世人類の類人猿について言えば,その強みがあったからこそ,熱帯アフリカの外へと広がり,アフリカとユーラシアの広大な地域を占拠していた季節性の亜熱帯林を活用することができたのである。

クライブ・フィンレイソン 上原直子(訳) (2013). そして最後にヒトが残った 白楊社 pp.36
(Finlayson, C. (2009). The Humans Who Went Extinct: Why Neanderthals Died Out and We Survived. Oxford: Oxford University Press.)
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シラコバトの移動の仕方

ヨーロッパの都市部に暮らす者であれば,シラコバトのいる風景をよく目にしているだろう。この鳥は公園や庭にすみつき,繁殖している。100年前,シラコバトはヨーロッパでは珍しい鳥だった。もともとは南アジアに生息していたが,徐々にトルコへ広がり,そこから一路北西へ向かってイギリス諸島へ,そして南はイベリア半島まで拡大した。なぜここまで広がることができたのかは誰にもわからないが,ヨーロッパの都市や郊外につきものの公園や庭を活用できるようになったハトの幸運が一因になったのは間違いないだろう。いわば,気候の代わりに人間が新しい生育環境をつくり出し,初期の樹上性類人猿よろしく,この鳥が移り住んできたのだ。
 ところで,シラコバトの群れがトルコからイギリスに渡ってくるのを目撃した人はいない。だとすれば,どうやってイギリスにやってきたのだろうか?まずシラコバトはヨーロッパ南東部のすみよい環境に身を落ち着け,1900年までにはその地に根づき順調に繁殖した。親バトが住んでいた場所が手狭になると,子どもたちは1〜2キロ先にある近くの公園に移動した。これを繰り返し,少しずつヨーロッパを横断していったのである。イギリスでは1955年に最初のつがいがノーフォークで繁殖し,1964年には個体数が1万9000羽に増加。それが今では数十万羽ほどになり,ヨーロッパ全体では700万つがいがいると推定されている。このように,シラコバトの拡散の経緯は詳しくわかっているが,その個別の原因ははっきりしていない。この例は,数万から数十万年前,さらには数百年前に起きた出来事を,点在する化石や異物に基づく乏しい知識から理解しようとするときに,良い教訓となるはずだ。
 シラコバトは「大移動」をしたわけではない。それはたんに個体数の増加が引き起こした地理的拡大であり,しかも1世紀足らずの出来事だった。100年のうちに段階的に起こった変化であれば,考古学で用いるおおまかな時間間隔をもって先史時代を眺めたとしても,私たちがそれに気づくことはまずないだろう——とびきり幸運であれば,洞窟の中で,シラコバトの骨がひとつもない地層の上に,骨だらけの地層が続いているのを見つけることがあるかもしれないが。
 この例を,のちほど本書でもじっくる考えることになる人類の拡散に当てはめてみよう。考古学的記録の示すところによると,現生人類はおよそ6万年前には北東アフリカにおり,遅くとも5万年前には東へ拡散しはじめ,最終的にオーストラリアに到着したようだ。かなりの距離だが,時間もそれなりに経過している。では人類とシラコバトは,それぞれどのくらいの速さで広がっていったのだろうか?
 シラコバトはおおよそ55年をかけて,トルコからノーフォークまでの2500キロを制覇した。1年間で45キロ進んだ計算である。一方,5万年前に私たちの先祖がいたエチオピアから,オーストラリアで最も古い現生人類の痕跡が見つかっているムンゴ湖までは,約1万5500キロの距離がある。仮に人類が4万5000年前にそこに到着したと推定すると,1年にわずか3キロあまりしか進まなかったことになる。シラコバトに比べるとぱっとしない距離だ。しかし,シラコバトが人類よりも速いペースで繁殖することを考えれば,この比較が公正さを欠いていることがわかる。シラコバトの1世代は事実上1年なので,世代ごとに45キロの割合で広がることになる。人類の1世代を20年として計算すると,1世代につき60キロとなり,シラコバトと同じ桁になる。確かに荒っぽい計算ではある。だが,これである仮説が非常にはっきりと説明できることになる——先史時代の人類の地理的拡大には,いっさい特別なことはなく,民族大移動のような形ではありえなかったということだ。

クライブ・フィンレイソン 上原直子(訳) (2013). そして最後にヒトが残った 白楊社 pp.29-31
(Finlayson, C. (2009). The Humans Who Went Extinct: Why Neanderthals Died Out and We Survived. Oxford: Oxford University Press.)

保守派と革新派

ここで主役を2つのタイプに分類してみよう——コンサバティブ(保守派)とイノベーター(革新派)だ。コンサバティブは,ご想像のとおり役柄が変わるのを好まず,現状維持のために全力を尽くす。反対にイノベーターは,何度でも繰り返し役柄をつくり変える能力をもつ。とはいえ,将来に何が待ち受けているのか知る者はいないから,意識的に姿を変えることはない。つまり,たいていは自ら望んで変化するのではなく,そうしなければ舞台から消え去るしかないから,そうするのだ。未来が今とあまり変わらない場合は,コンサバティブが成功する。反対に予期せぬ変化が続く場合は,ひと握りの幸運なイノベーターが大成功をおさめるが,残りの多くはコンサバティブとともに姿を消すことになる。
 コンサバティブとイノベーターはまったく別のところにいるわけではない。イノベーターは常にコンサバティブの両親から生まれるし,イノベーターの子どもはやがて新しいやり方に慣れてしまって,自分たちはコンサバティブになろうと努める。未来がわからないとすれば,できるだけ現状に合わせることに力を注ごうとするものだからだ。だがもちろん,背景が突如として変わったときには,そうした努力そのものがコンサバティブを滅亡へ導きかねない。

クライブ・フィンレイソン 上原直子(訳) (2013). そして最後にヒトが残った 白楊社 pp.27-28
(Finlayson, C. (2009). The Humans Who Went Extinct: Why Neanderthals Died Out and We Survived. Oxford: Oxford University Press.)

健康格差

健康格差は,たとえ喫煙や食事,運動やその他の健康に影響する行動を照らしあわせて確かめてみても,依然として大きいままである。特に衝撃的な例がマイケル・マーモット(Michael Marmot)の事務系公務員の研究である。心臓疾患による死亡率は下級官吏のほうが上級官吏よりも4倍高く,この違いは健康に関連する行動やコレステロール値,血圧,糖耐性や血糖値などの重要なリスク要因を考えにいれてもほとんど説明できないままだったのである。

リチャード・ウィルキンソン 竹内久美子(訳) (2004). 寿命を決める社会のオキテ—シリーズ「進化論の現在」— 新潮社 pp.16-17

分類できなかったら

科学者は,もし分類する能力がなかったら人類は1つの動物種として生き延びられなかっただろう,と言う。私はさらに一歩進め,その能力がなかったら1人の人間としても生き延びられないだろう,と言いたい。

レナード・ムロディナウ 水谷淳(訳) (2013). しらずしらず:あなたの9割を支配する「無意識」を科学する ダイヤモンド社 pp.235

周辺視力の弱さ

目から送られる生データに含まれているもう1つの欠陥が,「周辺視力の弱さ」によるものである。腕を伸ばして親指の爪を見つめると,視野のうち鮮明に見える範囲は,爪の内側,おそらく爪のなかに入ってしまうような領域に限られるだろう。視力が1.0以上の人でも,この中央領域より外側の視力は,分厚い眼鏡をかけている人が裸眼で見た時くらいに相当する。

レナード・ムロディナウ 水谷淳(訳) (2013). しらずしらず:あなたの9割を支配する「無意識」を科学する ダイヤモンド社 pp.62

パターンを見いだす

「人間はほかの動物よりも,パターンを見つけ出す必要に迫られている」。マサチューセッツ工科大学の神経科学者であり,人間の脳がどのように情報を処理するかを研究しているトマソ・ポッジオに聞いた話だ。「さまざまな状況のなかで物体を認識するということは,一般化するということだ。生まれたばかりの赤ちゃんは,人の顔の基本的なパターンを認識できるが,これは進化によって得たものであり,個人の力によるものではない」
 問題はこの進化の過程で得た本能により,実際にはないパターンを見てしまうことだ,とポッジオは言う。「誰もがやっていることだ。ランダムなノイズのなかにパターンを見いだすんだよ」

ネイト・シルバー 川添節子(訳) (2013). シグナル&ノイズ:天才データアナリストの「予測学」 日経BP社 pp.14

直感との決別

最も重要な点は,分岐学者が分類学を根底から揺さぶり,人間のもつ感覚との最後のつながりを論理的に断ち切ったことにある。彼らによれば,分類学とは直感的な秩序感覚を持ったヒトの視点から自然を見るのではなく,自然そのものの視点すなわち何億年にも及ぶ真の進化史の視点に立って見ることである。分岐学者は人間がもつ環世界センスと分類学との最後のつながりを後腐れなく切ってしまった。その結果,分岐学派は分類学にある種の自由を保証した。それは,人間のもつ感覚とは完全に手を切って,望むならば,直感的にどんなに奇妙であろうともお構いなしに,ある群がたどった進化史を忠実にたどる自由である。

キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.310

魚はいない?

しかし,分岐学者の帝国では事態はさらにおかしなことになる。前に説明したように,ヘニックによれば,命名に値する正当な分類群は系統樹の枝まるごとに相当する子孫すべてを含む群だけである。しかし,系統樹を見ると,ある小さな問題が浮上する。その小さな問題の存在は白黒まだらのウシが声を上げて教えてくれる。ウシは魚の中に入り込んでいる。つまり,すべての魚を含む枝を切り出したならば,ウシはその中に入っているということだ。ウシだけを除外することはできない。2回切り落としたとしても不完全な分類群になるだけだ。要するに,ヘニックの基準に従えば,魚類は真の進化的な分類群ではないということになる。魚類はある共通祖先に由来するすべての子孫から成る群ではない。ウシを含めたときに初めてその条件が満たされる。その結果として,魚類は“実在する分類群”ではない。肺魚やコイやサケが存在しないという意味ではない。分岐学者の基準であれ他学派の基準であれ,これらは確かに実在する。系統樹からある枝を1回切り落せばそれは肺魚だったりサケだったりする。しかし,分岐学者が攻撃するのは魚類全体は実在する群ではなく人為的な群であるという点だ。言い方を換えれば,肺魚やサケやコイをまとめて“魚類”という単一群とみなすためには共通祖先からのすべての子孫を含む必要がある。このとき地球上のすべてのウシは,おなじみのベッシーも1871年のシカゴ大火の原因となったオレアリー夫人のウシもひっくるめて,魚類という群に含まれることになる。
 ウシを含む必要があるというだけではない。この群を“魚類”と呼ぶためにはヒトまで含めてすべての哺乳類を含まねばならない。
 ウシが魚?ヒトも魚?魚という分類群は実在しない?そんな馬鹿なことがあるものか。しかし,ヘニックの方法論に反旗を翻すことはできない。あなたがどのような立場を取ろうが,系統樹の真実と進化史に矛盾しない進化的な分類を目指すならば,ベッシーはもちろん地球上のすべてのヒトを(あなた自身も含めて)魚類の中に含めるしかない。さもなければ,魚類という分類群は実在しない。
 結論。魚類は死んだ。かつてダーウィンが分類学は生命の系譜に基づかねばならないと述べたことの必然的な帰結がこれだ。自然の秩序の背後には巨大な生命の樹があることを,そして生命は進化することをダーウィンが指摘した瞬間から科学はこの逃れられない到達点を目指してきたのだ。ダーウィンが進むべき道を示し,ついにそのときがやってきた。分岐学者は最終的に系統樹が示す類縁関係のみに,すなわち命名されるべき枝のみに目を向けた。ヘニックの分岐学の銃は(彼自身はハエの分類学者として1976年にこの世を去ったので,実際にはその後継者たちが手を下したのだが)魚類にとどめを刺した。

キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.299-301

環世界センスの否定

分類学者の逆鱗に触れるには,同時代の分類学者の誰もがもつ環世界センスから導かれた分類が間違っていると否定すれば百発百中である。長期戦にもつれこませたいならば,分類学者が自分自身の種を分類するやり方は正しくないと言えばいい。広大な生命界の中で人間が占めるひときわ高い位置はヒトの持つ環世界センスから確実に導かれる。進化分類学者ならば誰もが地球は太陽の周りを回っていて,人は他の霊長類から進化してきたことを知っている。その一方で,彼らは,一般人と同じく心のなかではわれわれヒトは究極的には別格の存在であると知っている。にもかかわらず,科学者はあろうことか,ヘモグロビン研究によれば,ヒトは「ゴリラの変異型」だと言ってまわる。

キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.254-256

数量分類学の勝利

輝かしい勝利だった。ひたすら数字と格闘する日々の末に,大きな跳躍が待っていた。直感に導かれて分類し続けた200年ののち,分類学はやっと定量的科学へと変身できた。説明不能の決定や指示はもはや用なしになった。ソーカルとミチナーは彼らの作業手順を説明可能にした。昨今の官僚の言葉を借りれば,分類の手順を“見える化”したわけだ。実際,彼ら2人はいかにして形質を選択したか,どのようにして形質をコード化したか,どんな解析方法を用いて結論を導いたかを正確に説明した。そこにはいっさいの隠し事はなく,言葉を浪費して弁明する必要もなかった。神秘的な種でさえ,必要とあらば,純粋に数学的定義を与えることができる。ある数値レベルの差異があれば2つの対象物は別種であると規定できる。もっと高いレベルの差異があれば属の違い,さらに高ければ科の違いというふうに,差異を数値化すれば直感などまったく必要ない。こうして産まれたばかりの数量分類学には主観性の泥沼からついに脱出してその向こうへと前進する道が拓かれた。

キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.235

さらなる間違い

環世界センスに頼ることができない細菌学者はさらなる間違いを犯してしまった。彼らは,細菌のもつ特徴から手当たりしだいに特性を選び出し,好き放題に分類をしてしまった。ある群の最近を研究するたびにいくらでも新しい分類を構築できてしまうという結末にいたった。こうなっては分類そのものが勝手気ままに行えることになる。進化分類学の方法を用いて最近の系統関係を推定し,それに基づいて分類体系を構築するという手も同様に役に立たない。このアプローチは,分類学者の直感と認知に強くアピールし,生物学的によく知られている生物群でさえ適用がきわめて困難であることがわかっているのに,ましてや微生物に当てはめるのは時間の無駄である。

キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.228-229

窪みカーブ

横軸,つまりx軸は,属が含む種の数を表し,縦軸,つまりy軸は数を表す。このグラフを見れば,種をひとつしか含まない属が,400位上存在することがわかる。2種を含む属は,200より少なく,3種を含む属は,20ほどで,7種以上含む属は,ごくわずかだ。ごらんのとおり,グラフは右下がりの急なカーブを描く。
 このカーブは,その形から「窪みカーブ」と呼ばれ,特に属と種のグラフのそれは,「ウィリスの窪みカーブ」と名づけられている。このカーブについては,1世紀近くにわたって分類学者の間で議論されてきた。彼らは,自分たちがこのようなパターンで種を属に分類する理由がわからなかった。なぜ分類学者は常にこのような分類を行うのだろう。なぜ民俗分類でも同じような分類がなされるのだろう。その答えは環世界にあると,わたしは考えている。わたしたちは,ウィリスのカーブを知っていてもいなくても,まさにそのカーブが描くとおりに,種が属を満たしている様子を,環世界に見ているのだ。そして,分類学者は,他のすべての人と同じく,自らの認知に支配されており,この世界を見るには,自らの環世界を通じて見るしかないのである。

キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.165-166

二名法

あらゆる土地の人々が,二名法によって,変種の多い大集団のメンバーを区別している。人間でさえこの方法で呼ばれている。スミスは,ボブ・スミス,ジョー・スミス,サリー・スミス。リーは,リー・ウェン,リー・チア,リー・チー……。そしてリンネが定めた科学的分類において二名法は,種と,より大きな枠組みである属の組み合わせとして用いられる。すべての種は,二部からなる固有の名によって呼ばれるべきだ,とリンネは言った。前部は属を表し,後部は種を表す(ホモ・サピエンス=ホモ属のサピエンス種,というように)。これもまた,どうしても二名法でなければならないというわけではない。理屈だけ言えば,生物の情報を名前に組み込む方法は無限にある。それでも,あらゆる場所で人間は,二名法によって生物を名づけてきた。またリンネ以降,彼が聡明にも環世界のルールを見抜いて明文化したものではなく,誰もがいちばん筋が通っていると思っていた命名法を,改めて説明しただけのものなのだ。どういうわけか,わたしたちは,環世界センスによって生物の秩序を理解する方法として,二名法は最もふさわしいと感じるのだ。

キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.153-154

生物に当てはめる言葉

わたしたちが生物について語る言葉にも,共通性が見られる。わたしたち人間は,生物を見て同じように分類するだけでなく,座ってそれらについておしゃべりするときにも,同じように語るのだ。
 その非常にわかりやすい例は,どこに暮らす人も,生物の類似や相違を語るときに,いとこ,父,家族といった人間の血縁関係を表す言葉を用いることだ。わたしたちは,外見や行動や匂いが似た動植物を見ると,人間の家族間に見られる類似を連想する。そのため,幅広い言語圏や文化圏において,よく似た生物を親戚どうしのように表現している。例えば,ある種を他の種の「父」と呼んだり,似たような集団を同じ「血統」と呼んだりするのだ。マヤのツェルタル族は似ている植物を「兄弟」,あるいは「家族」と呼ぶ。英語のくだけた表現でも,ある動物をツチブタの「いとこ」と呼んだり,ある植物を「シダのファミリー・メンバー」と呼んだりする。また,科学者も,「ファミリー」という単語をリンネの階層の一段階(科)として用いており,互いに近縁な種と種を「姉妹種」と呼ぶ。生物の類似を人間の家族になぞらえるのは合理的ではあるが,どこでもそうする理由はない。しかし,世界中でそのような比喩がなされているのだ。

キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.151-152

種とは何か

だが,またしても,混乱を解消し,秩序をもたらすはずのものが,逆の結果をもたらした。マイアが種を定義しようとしたせいで,「種とは何か」という,これまで最も軽んじられていた進化にまつわる謎に多くの人が注目するようになり,その謎をめぐって数十年にわたって議論が繰り広げられることになったのだ。この問題は,やがて「種問題」と呼ばれるようになり,分類学者たちを大いに悩ませた。
 まず,定義に関していくつかの問題が浮上した。ひとつは実際的な問題である。例えば,パナマの山岳地帯の雨林とハワイの火山地帯で2匹のカブトムシを見つけたとしよう。両者はとてもよく似ているが,同じ種だろうか?マイアの定義を用いるのであれば,それらが交配できるかどうかを調べる必要がある。しかし,おおかたの生物がそうであるように,それらのカブトムシは,実験室ではあまり長生きしないだろうし,交配に適した環境を整えるのも難しい。ペトリ皿で人工授精させたとしても,野生の状態で交配するかどうかはわからない。だとすれば,同じ種といえるのだろうか?それに,博物館の分類学者はどうするだろう?四肢を広げてピンで刺された標本の交配能力を試すのは途方もなく難しいはずだ。
 もうひとつ,より大きな問題も明らかになった。それは,多くの生物は有性生殖をしないということだ。これらの生物,すなわちバクテリア,アブラムシ,ある種のトカゲ,ポプラ,オリヅルランなどは,自分とまったく同じコピー——クローンと呼んでもいい——を生産する。母トカゲのクローンである小さなメスのトカゲや,植物の親株から分離した子株が独自に育ち始めるのである。こうした生物の種を定義するうえで,それらが交配しないことをどう考えればよいのだろう。交配することなく生まれたバクテリアは,どれも新たな種だと言うのだろうか?

キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.124-125

視点のシフト

ダーウィンのおかげで進化の真実が明かされたが,それを知った後も,分類学者たちのジレンマは解決せず,分類のあいまいさも解決されなかった。進化の真実は,視点をシフトさせただけだった。分類学者は,進化の系統樹という新たな自然界の秩序に生物を位置づけるための,類似点や相違点を探し始めた。理論としては新鮮だったが,実践の面では,スタート地点,つまりリンネが出発した時点に戻ることになった。数限りない類似と相違が入り乱れ,そのうちの何が重要で何が重要でないかがまったくわからないという状況に戻ってしまったのだ。

キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.116

類似点と相違点

分類学者が抱えるジレンマの本質は,鳥や植物や昆虫といったバラエティに富む生物を分類しようとすると,たちまち無数の類似点や相違点に直面するところにあった。生物を種や属に分類するときには,多様な類似点と相違点の,どれを基準にすればいいのだろう?当然ながら,類似と相違のすべてが同等の重みをもつわけではない。分類学者は,自らの五感と,それを通じて知る自然界の秩序をよりどころとして,どの相違や類似が重要で,どれが重要でないかを見極めようとしてきた。まず,ある特徴によって——赤い色のものと,緑色のものとで分けるというように——分類してみて,それが間違っているように思えたら,今度は別の特徴によって分類する。その結果が理にかなっているように思えたら,その分け方が正しいということになる。

キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.115

手に負えない

分類学者が,世界中の鳥を属に分けようとしたとき,事態はますます手に負えなくなった。統合主義者は,すべての鳥を2600属に分けたが,超・細分主義者は,それを1万属に分けたのである。おそらく実際の鳥の世界はそのいずれかによって構成されるのだろう。しかし,鳥の分類が特に難しいわけではない。同じような対立が,生物分類のそこかしこで起きているのだ。それがまさに細分主義者と統合主義者の対立の本質であり,悲惨な状況はピークに達しつつあった。

キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.108-109

生物は不変?

ダーウィンは,分類学がある基本的な考え——生物は永遠に不変だという考えに基づいていることを,どういうわけか忘れていた。アリストテレスは種は不変だと考えた。リンネが分類したのは単なる種ではなく,神が創造した不変の種,すなわち天地創造の日から変わっていない種だった。当時,世間の人は皆,生物は不変だと考えていた。いったい誰かが,生物が進化することを知っていただろう。不変の種からなる不動の階層構造,それこそが自然界の秩序なのだ。しかしダーウィンは,その分類学の大前提を無視し,種は少しずつ変化して他のものに変わっていくという自らの洞察に導かれるまま,茫洋たる大海に舟を漕ぎ出したのである。

キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.81

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