忍者ブログ

I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「生物学」の記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

奴隷制度と高血圧説とその批判

 最近,チャールズ・R・ドルー大学(ロサンジェルス)高血圧症研究センターに所属する2人の研究者----トーマス・ウィルソンとクラレンス・グリム----が,『高血圧』(Hypertention)という学術専門誌に「奴隷制度と現代の黒人たちに見られる血圧の較差の生物史----ひとつの仮説」と題する興味ぶかい論文を発表した。これは「アフリカ系アメリカ人」が生粋の「アフリカ人」や「ヨーロッパ系アメリカ人」よりも高血圧症に罹りやすい“理由”を遺伝学的に説明した珍奇な“理論”だ。この説によれば,そもそもアフリカから奴隷としてアメリカ大陸に輸送された人たちの中に「塩類を体内に蓄積させる特殊な体質」の人々が混ざっていたという。つまりこの「特殊体質」を発現させる“遺伝子”を備えた者たちが奴隷たちのなかに含まれていた。彼らは“奴隷船”に押しこまれてアフリカから何か月もかけて米国に送りこまれた。船の中は炎熱地獄。それに船酔いによる嘔吐や,感染症とか栄養失調による下痢で,水分の喪失は著しい。水分とともに体内の塩分やミネラルなども容赦なく奪われてしまう。こうした過酷な環境の中で,奴隷たちは衰弱し次々と死んでいった。米国に“荷揚げ”されたのちも,売られた先の奴隷農場で酷使され,使い捨てにされたのだった。こうした過酷な環境では「塩を体内に溜めこんでおける特異体質」の奴隷のほうが,そうした能力をもたない“正常”な者たちよりも有利であったにちがいない。つまり“奴隷の境遇”という過酷な環境が「淘汰圧」として働き,「塩を体内に溜めこむ傾向」を遺伝的に備えた奴隷の子孫たちが,より多く生き残った。しかし塩っからい食事を存分にとることができ,反面,汗をかくような労働をする機会が減った現在では,こうした“奴隷の子孫”であるアメリカの黒人たちが「塩を溜めこむ特異体質」をもてあまして,高血圧症やこれに関連した各種の病気で苦しむようになった……。ウィルソンとグリムの遺伝学風“おとぎばなし”の骨子は,おおむねこのようなシナリオだった。
 これはイカガワしい理論だと言わざるをえない。ウィルソンとグリムは,高血圧症などの罹患率が「アフリカ現地人」と「アフリカ系アメリカ人」で顕著に違っている実態を説明するために進化論をもちだしてきた。つまり奴隷船輸送と奴隷労働によって“淘汰”が進み,その結果として「アフリカ現地人」から派生した亜種が「アフリカ系アメリカ人」だという解釈である。しかし仮りに「淘汰圧」が働いたとしても,奴隷制度がじまったのは始まったのはほんの300年前ぐらいのものである。“病気”として広範かつ顕著に認められるような遺伝的形質が定着するには,それよりはるかに長い歴史の中で,代々にわたって「淘汰圧」を受け続けていなければ理屈に合わない。形質人類学者のファティマー・ジャクソンは,ウィルソンとグリムが珍説を唱えたのと同じ号に「塩分・高血圧症・ヒトの遺伝的変異性についての進化論的考察」と題する論文を載せ,アメリカで行なわれた奴隷制はさまざまなストレスを通じて奴隷集団を“淘汰”したばかりでなく人種間結婚によってそれまで地理的に隔離されていた人口集団どうしの“交雑”を促すことになったのだから,「アフリカ系アメリカ人」集団の遺伝的多様性を広げることに貢献したのであって(高血圧症に罹りやすい形質ばかりが残っていくような)遺伝的画一化が起きたとは考えにくい,と主張して批判的な論陣を張った。これらを総合して考えると,米国で黒人の高血圧症の罹患率が白人よりも高い現実は,次のように解釈するのが理にかなっているだろう。----つまり依然として続いている人種差別主義とそれによって生じた社会経済的な逆境が,黒人に慢性的なストレスを与えて血圧を上げる心理的な原因を作っており,しかも現代アメリカに特徴的な塩っからいジャンクフードを日常的に食べているせいで,結果的に高血圧症やそれに関連する病気の罹患率を押し上げている,と。

ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.221-223
PR

優生学者の関心事

 ハックスレー博士は,たった一人で極論を叫んでいたのではない。20世紀の前半には大西洋をはさんだ両大陸で----つまり英国と大陸ヨーロッパ諸国だけでなく米国でも----「優生学会」が次々と結成され,各地で「優生学博覧会」が盛んに開催された。こうした「博覧会」は,一般大衆に“遺伝的欠陥の恐ろしさ”を教えこむとともに,上流階級には「子づくりに励まなければ“子だくさんの貧乏人”階級に圧倒されて,やがて上流階級は消滅の憂き目に遭う」という“階級的自殺”の危機感を植えつけるために実施されたのである。
 ヨーロッパの優生学者にとって,最大の関心事は“上流階級の防衛”であった。が,米国の優生学者の最大の関心事は“白色人種の防衛”であった。たとえば,米国工兵隊の隊長で知能指数検査の声高な推進者だったルイス・ターマンは,1924年に教育関係の雑誌に寄せた随想の中で,そうした人種的不安をはっきりとこう語っていた----
 「私たちの社会で,最も才能あふれた子供たちを生み出している家系は,繁殖力が決定的に衰えつつあるように見えます。(中略)現在の出生率がこのまま続いていけば,ハーヴァード大学の卒業生1000人が生み出す子孫は200年後にはわずか56人に減っているのに対し,南イタリアから入りこんできた移民1000人は10万人にも増えている勘定になるのです。」


ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 p.67

優生学の支援

 第二次世界大戦まで,英国や米国では有名な生物学者や社会科学者の大多数が,優生学を支援したり,積極的に支援しないまでも,異議を唱えることなく優生学の隆盛を黙認していた。1941年といえば,すでにドイツではナチス政府が優生学の教えにもとづいて障害者・精神病者・異民族の絶滅政策を本格的に実施していた時期である。ところがこの年に,近未来の遺伝管理者会の危険性を警告した『素晴らしき新世界』(1932年)を著した作家オルダス・ハックスレーの兄で,英国の有名な生物学者であるジュリアン・ハックスレーが,「優生学の死活的重要性」と題する論文を,一般向けの評論雑誌に発表しているのである。この論文は,次のように,優生学を手放しで礼賛する宣言で始まっている----「優生学は,多くの革新的な思想がこれまで歩んできたのとまったく同じ王道を,歩みつつある。優生学は,もはや“一時的な酔狂”とは見なされなくなった。いまや優生学は真面目に考察すべき学問に育っている。優生学が緊急に実施すべき政策課題と見なされるようになる日が,遠からず訪れるはずである」。この論文の終わり近くで,彼は堂々とこう宣言していた----「精神的欠陥者たちが子供を持てないような政策を実施することこそ」社会の務めである,と……。彼は「精神的欠陥者」を次のように“定義”した----「自活すなわち他者の援助なしの生活ができないほどに,ひどい精神薄弱をこうむった人間」。この“定義”からうかがい知れるように,ハックスレー博士のような人物でさえ,「優生学」を語るだんになると遺伝学的形質と経済学的功利性をぶざまに混同していたわけである。しかしこうした理論的混乱は,「優生学」の分野ではありふれたことだった。
 そんなハックスレーでも,さすがに「人種の“退化的変質(デジェネレーション)”は劣等人種との結婚によって生じるのだから,劣等人種に結婚禁止を課したり,断種不妊化手術をほどこして施設に収容しておくべきだ」とまでは提言できなかった。だが彼は「精神的欠陥」を,まるで学問的に立証された“事実”のような口ぶりで,遺伝的結果だと断言していたのである。なるほど,生活環境が満ち足りた中流および上流階級の子供に「精神遅滞」が現れたとなれば,たいていは遺伝病を疑っても無理のないことであろう。しかし貧困階級の場合には,遺伝的原因を疑う以前に,子供の精神発達の足を引っぱる数多の環境要因----栄養不足,妊婦の過酷な生活,鉛中毒,学校教育制度の不備など----をまず疑うのが,合理的な筋道というものだ。


ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.65-66

DNA=料理全書

 私たちの細胞に収まっているDNAは,ふだん本棚に収まっている“料理全書”のようなものだ。私たちはややこしい料理を作るときに本棚から料理全書を引っ張り出して,必要な箇所に目を通す。しかし皆が寝静まった真夜中に料理全書にひょっこり手足が生えてこっそりと本棚を抜け出し独力で料理を作るなどということは,おとぎばなしならともかく,現実世界では絶対起こらない。それに,料理の種類や作るかどうかを決めるのは私たちなのであって,料理全書がそうした“決定”をするわけではない。料理全書に載っている“調理指示書(レシピ)”を使うかどうか,使うとすればどう使うか,その料理を他とどのような順番でどう組み合わせるか,たとえば食事の最後をスープにするかケーキにするか,料理の味付けをどうするか等々,料理全書を参照するにしても決めなければならない段取りはいろいろあるわけだが,それらはすべて,料理をする人が,手元にある食材という物質的制限のなかであれこれと考えて判断することだ。DNAなり遺伝子の生態----つまり“生体内での利用のされ方”----を,料理全書と調理作業の関係に見立てるのは,我ながら気のきいた比喩だと思う。なぜならこうした類似点のほかに,DNAなり遺伝子が関与した遺伝と発生のプロセスも,調理作業も,ともに“状況にうまく適応し融通がきく”ことが決定的に重要な要素になっているからだ。腕のいい調理師はレシピを基本にすえながらも,それにとらわれず自由自在に料理を作ることができる。レシピが指定している食材や調理器具が手元になくても,職人の判断力と腕のよさでそうした不足を補ってレシピどおりの立派な料理を作ることができるわけだ。


ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.57-58

複雑さを認識せよ

 なるほど世間のさまざまな出来事を“遺伝学”で講釈しつくすことができれば,それは確かに魅力的であろう。なぜなら,これまでは子供に何か問題があれば,すべて“親のせい”にするのが世の常だったのだから。親たちは,子供のしつけ方が少しでも寛容だと「放任しすぎである」,逆にちょっとでも厳しいと「キビシすぎる」,子供との距離のとり方が少しでも疎遠だと「冷淡すぎる」,緊密だと「密着しすぎる」と,どう振る舞っても世間から悪く言われてきた。だから,子供の問題で自分が責められるくらいなら子供自身の“遺伝子”に原因があるのだと考えたくなっても無理はなかろう。だが人間社会のトラブルの元凶を“遺伝子”のせいにする理由づけは,じつは親たちをこれまでの非難から解き放った途端に,あらたな非難の標的へと追い込んでしまうのだ。
 遺伝子が私たちヒトの生物学的な機能のすべてに関与していることは間違いのない事実であろう。だが----単なる動物としてのヒトではなく----“人間”という社会的存在としての私たちの“在りよう”を決めているのは遺伝子ではない。遺伝子が人間の精神的・身体的・社会的成長に影響を及ぼしているのは間違いないだろう。だが人間は,一人ひとりに独自の,他の人々とのかかわりのなかで経験していく,膨大な社会的環境要因の影響を受けながら,全人的な成長をとげていく生き物なのである。
 であればいったい,私たちが社会生活を送るうえで,遺伝子は実際のところどのような役割を担っているのだろうか?
 その答えは出ていないし,今後,すっきりとした“御名答”が出ることも到底望めない。ヒトどころか,熟した果物に湧く豆粒より小さなハエでさえ,“生命機械(オーガニズム)”として見れば途方もなく複雑な構造をしており,それゆえ生命活動の全貌はこれまた途方もなく複雑なのである。
 かくしてヒトは,生物学的に途方もなく複雑な個体を,途方もなく複雑に働かせながら,個体間の相互作用----つまり「社会生活」----を行なっている。この相互作用は,単純な化学反応のように予測することは不可能である。私たちが日常経験しているのは,かくも複雑な有機体同士の相互作用なのだ。このように複雑きわまる世間一般の人間模様については,遺伝学も分子生物学も,ごく限られた範囲のことしか解明しえない。こうした専門科学が私たちに語って聞かせられるのは,ヒトの遺伝子についての知識にすぎないのであるから。


ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.54-55

DNAにつきまとう社会通念

 DNA分子は,実在する物体である。だから当然,物体にふさわしい構造を有している。Dナの物理的構造がどのようなものかは,生物学の教科書を見れば明らかである。ところが,この「DNA」なり「遺伝子」といったものを,どのように理解するかという段になると,「健康」と「不健康」,「正常」と「異常」,「可能性」と「宿命」といった事柄についての社会通念が----つまり支配的なイデオロギーが----拭いがたくつきまとうことになる。学術的概念がこうしたイデオロギー的偏向を伴いがちだということを,科学者たちが了解しているならば,それはそれで対処のしようがあろう。ところが残念ながら,学者を育てる教育課程では,科学と社会の密接なつながりを無視して済ませる傾向が強い。「科学は,ふだん当たり前だと思っていることに“どうしてそうなるのか?”と疑問をいだき,その答えを探すことから始まる。とりあえずの答えが出たら,それをさらに問いつめ,その答えをさらに探しつづける。これが科学の発展なのだ」----学生たちは,“科学”がそういうものだと教わり,これを真に受ける。大部分の科学者は,これを信じて疑わない。だから,科学と社会が互いに影響を及ぼし合っていることなど,彼らの眼中にはないし,たとえそれに気がついても,科学----つまり自分たちの営み----こそが一般社会に感化を与えているのだ,と考えたがる。科学者といえども社会的先入観に導かれ,社会通念に即した発想をする,ということを,自分ではなかなか認めたがらないのだ。


ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 p.49

「今」生きているというのはいかに運が良いか

 もちろん人類の先行きに不安の影はある。たとえば,肥満は多くの研究者が考えていたように有害であることが判明しており,豊かな国で肥満率が上昇し続けたら,そのことによって進展が大きく損なわれる可能性がある。しかし,このような潜在的な問題は相対的にとらえる必要がある。「十分食べられないことを心配するのをやめて,はじめて食べすぎを心配し始めることができる。そして,人類の歴史の大部分,我々は十分食べられないことを心配していた」とフォーゲルは皮肉たっぷりに述べている。どのような難題に直面するにしても,先進国に暮らしている者は,これまで生きてきた人間の中で最も安全で,最も裕福な人間であることが,議論の余地なく本当であるのに変わりはない。依然として死を免れることはできないし,死ぬ原因になる多くのことが存在する。ときには心配するべきである。ときには恐がりさえするべきである。しかし,「今」生きていられていかに非常に運がいいかを常に思い出すべきである。

ダン・ガードナー 田淵健太(訳) (2009). リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理 早川書房 pp.443-444
(Gardner, D. (2008). Risk: The Science and Politics of Fear. Toronto: McClelland & Stewart Inc.)

脳だけが強み

 こう言ったからといって,脳を貶めているわけではなく,まったくその逆である。人間の脳は素晴らしい。人類が成し遂げてきたあらゆること----生存と繁殖から,人間を月に送ったことや宇宙だけでなく脳そのものさえもその秘密を解き明かしていることまで----に対して脳に賞賛を送らなくてはならない。なぜなら,本当のことを言えば,私たち人間は,自然界の中では,校庭にいる,やせこけた眼鏡をかけたおたくに過ぎないからだ。私たちの視覚と嗅覚,聴覚が,捕らえて食べたいと思っている動物のものほど優れていたことは一度もなかった。私たちの腕や足,歯は,えさを求めて私たちと争い,昼ごはんだと思ってときどき私たちを見つめる捕食者の筋肉や牙に比べればいつも貧弱だった。
 脳が私たちの唯一の強みだった。脳だけが私たちを自然界の失敗作になることから守ってくれた。脳に非常に大きく依存したため,頭の鈍いものは生存競争に敗れ,頭の切れる者に取って代わられた。脳は新たな能力を開発した。そしてますます大きくなった。ヒト科の初期の先祖の時代と現代人が初めて登場した時代のあいだに,脳の容量は4倍になった。
 巨大な脳は深刻な問題をもたらすにもかかわらず,この極端な変化は生じた。巨大な脳は収納するのに非常に大きな頭蓋骨を必要としたため,出産時に女性の骨盤腔を通るとき,母親と赤ん坊の命を危険に曝した。巨大な脳のせいで頭が非常に重くなり,チンパンジーやその他の霊長類に比べて,人は首の骨を折るリスクがずっと大きくなった。巨大な脳は,体全体に供給されるエネルギーの5分の1をも吸い上げた。しかし,これらの難点は深刻なものであったが,内蔵のスーパーコンピューターを持っていることによって人間が得る利益の方が勝っていた。そのため,巨大な脳が選択され,人類は生き残った。


ダン・ガードナー 田淵健太(訳) (2009). リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理 早川書房 pp.36-37.
(Gardner, D. (2008). Risk: The Science and Politics of Fear. Toronto: McClelland & Stewart Inc.)

レム睡眠の進化

 外部からの刺激を遮断した状態で新たな情報を処理するためにレム睡眠が生まれたと,ウィンソンは考えている。実際,レム睡眠パターンがみられる動物の前頭葉は,爬虫類やハリモグラのような原始的な哺乳類と比べて,より優れた知覚・認知能力を発揮できる。解剖学的に見ても,ハリモグラの渦巻き状の前頭葉皮質は脳全体に対する相対的な大きさで言えば,人間も含めた他の哺乳類よりもはるかに大きく,覚醒時に新しい情報を処理する作業が大きな負担になることを物語っている。レム睡眠は,オフライン状態で新たな体験を記憶に書き込むための自然の独創的な発明なのである。レム睡眠が生まれていなかったら,ネコやサルからわれわれ人間まで,多様な哺乳類の高度な認知能力は生まれていなかっただろう。なぜなら,オンライン状態で情報を処理するには,ハリモグラ並みの前頭葉皮質,人間で言えば頭蓋の容量をはみだすほど大きな前頭葉皮質が必要になるからだ。ウィンソンが言うように,人間がハリモグラのような脳を持ったら,「頭が重くなりすぎて,自力では支えられなくなっていた」だろう。

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 pp.115-116

さまざまなプラセボ

 「プラセボ」は,「わたしが喜ばせよう」という意味のラテン語からきている。14世紀には,葬式で死者のために泣き,涙を流す役に雇われた泣き屋を指すことばとして使われた。1785年には『新医学辞典』に登場し,瑣末な医療行為のひとつに加えられた。
 医学文献に記録が残っているごく初期のプラセボ効果の例は,1794年のものだ。イタリアのジェルビという医者がおかしな発見をした。ある虫の分泌液を痛む歯に塗ったところ,痛みが1年間消えたのだ。ジェルビはこの虫の分泌液を使って何百人もの患者を治療し,患者の反応について詳細な記録を残した。患者の68パーセントは,ジェルビと同じように痛みが1年間消えたと報告した。ジェルビと虫の分泌液について一部始終はわからないが,この分泌液と歯痛が治ったこととになんの関係もないだろうことは想像がつく。肝心なのは,ジェルビは自分が患者を救っていると信じ,患者の大半もそう信じたことだ。
 もちろん,ジェルビの虫の分泌液が市場に出た唯一のプラセボだったわけではない。近年になるまで,ほとんどすべての薬はプラセボだった。ヒキガエルの目玉,コウモリの羽,干したキツネの肺,水銀,鉱水,コカイン,電流などは,いずれもさまざまな病気に効く薬とうたわれた。リンカーンが狙撃されてフォード劇場の向かいの民家で死にかけていたとき,主治医は「ミイラ薬」を少し傷口に塗ったと言われている。エジプトのミイラを粉にひいたものは,てんかん,膿瘍,発疹,骨折,麻痺,偏頭痛,潰瘍など多くの病気を治すと信じられていた。1908年になってもなお,「純正のエジプトのミイラ」はE・メルク社のカタログで注文できた。そして,おそらく現在もどこかで使われている。


ダン・アリエリー 熊谷淳子(訳) (2008). 予想どおりに不合理:行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 Pp.238-239

キャトル・ミューティレーション=捕食 の可能性

 ミューティレーションが獣によるものなのか,宇宙人のメスによるものなのかについて,もし実験で確かめることができれば,それ以上議論の余地はなくなるだろう。そうした実験は実際,2度行なわれており,キャトル・ミューティレーションの宇宙人生成説に対する最大の反証になっている。
 その1つはキャトル・ミューティレーションを実際に起こしてみる野外実験で,1979年9月,ワシントン州アルカンザスの保安官局に所属する2人の警察官の手によって実施されている。
 実験の手順は,自然死した子牛をそのまま放置しておき,その死体の行く末を30時間にわたって,じっと観察し続けるという根気のいるものだった。
 そして,キャトル・ミューティレーションは警官たちの見ている目の前で実際に発生したのである。
 観察されるうちに,子牛の死体からは舌が消え,片目がくり出され,そして肛門は丸く穴を開けられ,血はほとんど残っていない状態となった。つまり子牛は,最後にはまさにキャトル・ミューティレーションされた動物そのものの状態と化したのだった。
 観察を続けていた警官によると,子牛をミューティレーションして去っていったのは「アオバエとスカンクとハゲタカだった」という。
 一例だけでは反論にならない,と思う人もいるかもしれないが,それは違う。こういった問題ではたとえ一例にせよ,自然な条件下でキャトル・ミューティレーションが発生すると示せた意義は非常に大きい。というのは,捕食という実例が一例でもあれば,他のミューティレーションについても,単なる捕食である可能性を否定できなくなってしまうからだ。
 単なる捕食ではないと主張するのならば,捕食ではないという主張を何らかの形で証明せねばならない。捕食によって起こされたのではないということを証明しないかぎり,宇宙人などというものを言い出す余地がなくなるからだ。

皆神龍太郎 (2008). UFO学入門:伝説と真相 楽工社 Pp.144-145.

4種類の可塑性

 研究の末,グラフマンは,可塑性には4種類あるとした。
 1番目は「マップの拡大」。前述したように,日々の活動の結果として脳の境界領域で多く見られる。
 2番目は「感覚の再配置」だ。ある感覚が閉ざされたとき,たとえば視覚に障害が生じたときなどに起こる。視覚野で通常の情報入力がなくなると,触覚などの感覚があらたに情報を受けとるようになる。
 3番目は,「補償のマスカレード」。これは,ある作業をこなすのに,脳にはいくつかの方法があるという性質を利用したものだ。ある場所から別の場所へ行くために,視覚的な目じるしを使う人がいる。一方,「方向感覚がいい」人は,しっかりした空間認識能力をもっているのでそれに頼る必要がない。だが,このような人が脳に損傷を受けて空間認識の感覚を失った場合は,視覚的な目印を使う方法に頼ればいい。神経可塑性が認知されるまで,補償のマスカレードは----補償あるいは「代替戦略」ともいわれていて,文字を読むことができない人に音声テープを代わりにあたえるように----学習障害のある子どもの発達を助けるのに用いられてきた。
 4番目は「鏡映領域の引き継ぎ」というものだ。片方の半球のある機能が失われると,もう一方の半球の,同じような位置にある場所が,失われた機能をできるだけ引きつごうとして変化する。

ノーマン・ドイジ 竹迫仁子(訳) (2008). 脳は奇跡を起こす 講談社インターナショナル p.310

脳の罠

 マーゼニックは,「脳の罠」について言及している。ふたつの脳マップが,本来離れているべきなのに,融合しているケースである。前述したように,サルの指を縫いあわせて,同時にしか動けないようにしたら,指の脳マップは融合した。これは,ニューロンがいっしょに発火したために,ひとつにつながったからだ。だが,日常生活でも脳マップの融合は起きる。楽器を演奏するときに,2本の指をしょっちゅういっしょに動かしていたら,この2本の指のマップが融合することがある。演奏家が1本の指だけを動かそうとしても,もう1本もいっしょに動いてしまうのだ。2本の指のマップが「脱分化」したのである。1本の指だけを懸命に動かそうとすればするほど2本とも動いてしまい,合併したマップを強化する結果になる。脳の罠から抜け出そうともがけばもがくほど,はまりこに,「局所的ジストニア(筋失調症)」という状態を作りだす。日本人にも,同じような脳の罠が見られる。日本人は英語のRとLの区別ができない。ふたつの音は脳マップで区別されていないからだ。そして正しく発音しようとすればするほどまちがって,発音をひどくしてしまう。

ノーマン・ドイジ 竹迫仁子(訳) (2008). 脳は奇跡を起こす 講談社インターナショナル p.152.

神経調整物質について

 神経調整物質は,神経伝達物質とは異なる。神経伝達物質は,ニューロンを興奮させたり,抑制させるために,シナプスに放出される。だが,神経調整物質は,シナプスの結合全体の有効性を促進させたり減少させたりして,持続する変化をもたらす。フリーマンの説では,恋に落ちると,脳の神経調整物質であるオキシトシンが放出され,現存するニューロンの結合を溶かして,その後の大規模な変化が起こるようにする。
 オキシトシンは,絆の神経調整物質と呼ばれることもある。哺乳類の絆を深めるからだ。恋人同士が結ばれて,愛を交わすときに分泌される(人間では,性行為でオーガズムを得ているときには男女に分泌される)。そしてカップルが親となり,子どもをはぐくんでいるときにも分泌される。女性の場合は,分娩時と母乳をあたえるときに放出されている。またfMRIでスキャンすると,母親が子どもの写真を見ているときには,オキシトシンの豊富な場所が活発になっている。哺乳類のオスが父親になると,オキシトシンと密接に関係する神経伝達物質,バソプレシンが放出される。親になるのは責任重大で,自分には到底できないと思っている若者は,オキシトシンがどんなに脳を変化させるのかわかっていないのだ。そのときがくれば,状況に対処できるものなのである。

ノーマン・ドイジ 竹迫仁子(訳) (2008). 脳は奇跡を起こす 講談社インターナショナル Pp.148-149.

脳マップの作られ方

 脳マップは,体の各部位に対応するように秩序だって編成されている。たとえば,わたしたちの中指は,人さし指と薬指の中間に位置している。これは脳マップも同様である。中指の脳マップは,人さし指のマップと薬指のマップの中間に位置するのだ。規則正しく配列されているほうが機能的だ。よくいっしょに働く脳の部分が,脳マップ上で近接していれば,信号も脳内ではるばる遠くまで送られずにすむ。
 マーゼニックが疑問に思っていたのは,この秩序がどのようにして脳マップに生じるのか,ということだった。マーゼニックたちは,この疑問に対する独創的な答えを見つけている。体の位置に相対して規則正しい脳マップになるのは,日常の動きが,決まった順序でくり返し行われるからだというのだ。リンゴや野球のボールほどの大きさのものを拾いあげるとき,たいていの人はまず親指と人さし指でつかむ。それから,残りの指が1本ずつ順にそれを包むように閉じる。親指と人さし指は,同時に触れることが多いために,脳に信号を送るのもほぼ同時。それで,親指のマップと人さし指のマップは,脳内の近い位置に形成されやすくなる(いっしょに発火するニューロンは,いっしょにつながる)。つぎに物に触れるのは中指だ。だから,中指の脳マップが,親指,人さし指に続いて形成される傾向がある。物をつかむというごく一般的な一連の行為(親指が最初に触れ,つぎが人さし指,中指が三番め)は何千回もくり返されるため,脳マップにもそう反映される。別々の時間に到達する信号は,離れた脳マップを形成する。たとえば親指と小指は,これにあてはまる。別個に発火するニューロンは,別個につながるからだ。
 すべてではないが,多くの脳マップは,時間的に近いもの同士が空間的にグループ化されている。すでに見てきたように,聴覚マップはピアノのようになっている。低い音が片方の端に,そして高い音がもう片方の端,という具合だ。どうしてこんなに秩序だっているのか不思議に思うだろう。低い周波数の音は,もともといっしょに聞こえてくる傾向がある。低い声の人の話を聞くときには,その周波数がほとんど低い。だから,低い音がグループ化されるのである。

ノーマン・ドイジ 竹迫仁子(訳) (2008). 脳は奇跡を起こす 講談社インターナショナル Pp.92-93.

脳の局在論を疑う

 バキリタは,1960年代前半,ドイツにいるときに,局在論に疑問をいだくようになった。当時,彼は研究チームの一員として,ネコの脳の視覚野(視覚皮質ともいう)から発せられる電気を電極で計測していた。当然ながら,ネコにある像を見せれば,視覚野の電極が反応して,その像を処理していることを示すと推測された。実際,これは推測どおりだった。だが,偶然ネコの脚に触れたときにも,同じ視覚野から電気が計測された。つまり,触覚もそこで処理されているのだ。さらに,音が聞こえたときにも,視覚野が活発になることがわかった。
 バキリタは,局在論者たちの「ひとつの機能,ひとつの場所」は正しいはずがないと考えはじめた。ネコの脳の「視覚野」は,少なくともべつのふたつの情報,触覚と音を処理した。脳の大部分は「複数の種類の知覚をする」----つまり感覚野は,ふたつ以上の信号を処理できると考えるほうが自然だった。


ノーマン・ドイジ 竹迫仁子(訳) (2008). 脳は奇跡を起こす 講談社インターナショナル Pp.31-32

脳のアナロジー

 17世紀,「魂と肉体」といった神秘主義的な概念に代わって登場したのが,「機械のような脳」という考え方であり,神経科学の分野はその考え方に触発され,それ以後発展してきた。ガリレオ(1564-1642)は,「惑星は機械的な力によって動かされている非生命的物体である」という考えを示したが,その発見に感動した科学者たちは,すべての自然は物理の法則にしたがって,大きな宇宙時計のように機能していると考えるようになった。そして,身体の臓器をはじめとして,生命のある個体までも,すべて機械であるかのように説明しようとした。
 これより昔は,わたしたちは自然のすべてを巨大な生命体としてとらえていた。これはギリシャ人の考え方で,2000年ほど続いていた。もちろん,この頃は,臓器を生命のない機械などと考えたりはしなかった。もっとも,「機械的生物学」も,最初に広まったときには輝かしい独自の成果をもたらした。ガリレオが講義をした場所,イタリアのパドゥアで解剖学を学んでいたウィリアム・ハーヴェイ(1578-1657)が,血液が体内をどのように循環するかを発見し,心臓がポンプのように機能することを示したのだ。ポンプというのは,いうまでもなく単純な機械である。
 ほどなく科学者のあいだには,科学的な説明をしようと思ったら,機械的にする----つまり,運動の機械的な法則にしたがうことが必要だ,という風潮が広まった。ハーヴェイに続いて,フランスの哲学者ルネ・デカルト(1596-1650)が,脳と神経系もポンプのように機能しているという説を唱えた。デカルトの説では,わたしたちの神経はまさにチューブのようなもので,四肢と脳,脳と四肢を結んでいるというのである。デカルトはまた,反射がどう作用するかを初めて理論づけた。皮膚に触れられると,神経チューブ内の液体のような物質が脳に流れていき,機械的に「反射して」神経をもどってきて,筋肉を動かすというのだ。ずいぶん乱暴に聞こえるが,実際はそれほどちがっているわけではない。じきに科学者たちは,デカルトの原始的な説明図をもっと洗練されたものにし,液体ではなく電流が神経を通っていると主張しはじめた。
 脳が複雑な機械であるというデカルトの図式から発展して,現代のわたしたちは,脳はコンピュータであり,機能は局在化されたものと考えるようになった。機械と同様に,脳も部品を組み立てたものであるとみなすようになったのだ。それぞれの部品の収まる位置は決まっているし,ひとつの部品はひとつの機能しか担わない。つまり,ある部品が壊れたら,その代わりはない。結局のところ,機械が新しい部品を生み出すことはないのである。


ノーマン・ドイジ 竹迫仁子(訳) (2008). 脳は奇跡を起こす 講談社インターナショナル Pp.25-26.


トウモロコシの黒穂病は美味しい?

 ところで,アステカ文明のことを書いた16世紀の書物の中にある黒穂病にかかったトウモロコシの絵は,間違いなくこの菌に侵された植物の最も古い姿である。おそらくインカやマヤも含めて,アステカ人たちは黒穂病のことをよく知っていて,多分喜んで食べていたのだろう。
 今日,この膨れた代物は,ウィットラコチェというメキシコ料理の珍味になっている。インターネットでトウモロコシの黒穂病料理というのをひいてみると,これを使ったクリームスープや菌がたっぷり入ったトウモロコシのクレープなど,いろんなおいしそうな料理が出てくる。いかに保証つきでも,私は菌が作った癌細胞を味わってみたいと望んだこともないし,できることなら料理も願い下げにしたい。
 メキシコのある地方の農民は,わざとトウモロコシを病気にかからせているともいう。もし,ウィットラコチェに興味がある人なら,朝食のシリアルに混ざっているトウモロコシに黒穂病菌の胞子が混じっていても,ちょっとしたおまけに思えるかもしれない。
 私たちが朝食に食べているコーンフレークにも胞子が入っていると思うかもしれないが,とんでもない。アメリカ合衆国連邦政府のガイドラインには,一級品のトウモロコシの品質は黒穂病菌などによる病害や虫害などで傷んでいるものを2パーセント以上含まないものと規定されているのだ。
 ところで,外国の読者には,アメリカのコーンフレークはコムギよりも,むしろトウモロコシから作られていると,はっきりいっていたほうがいいかもしれない。アメリカ以外の国では,コーンという用語は他のイネ科植物の穀物にも使われている。たとえば,イギリスでは,コーンというのはトウモロコシよりも,むしろコムギを指すことばになっている。実際,私自身大人になってから,コーンフレークがコムギとは何の関係もないことを知って驚いたほどである。

 ニコラス・マネー 小川真(訳) (2008). チョコレートを滅ぼしたカビ・キノコの話:植物病理学入門 築地書館 Pp.171-172

植物栽培3つの掟

 どこで,どんな作物を栽培する際にも必ず問題になる,菌学上の3つの考え方,もしくは原則についえ話しておく必要がある。
 第1は,「菌は単一栽培された作物に引き寄せられやすい」ということである。大量に栽培される作物は,抵抗するか,攻撃されるか,いずれにせよ遺伝的に全く同じ性質を持っているので,農場は菌にとっておいしい餌があふれる海になりかねない。
 第2は,「自然分布の外で栽培されると,作物はよく育つ」ということである。ただし,栽培植物に病原菌がついていることがなく,原産地で有害だった菌の侵入を完全に防ぐことができれば,の話だが……。あまりいいたとえ話ではないかもしれないが,遊園地の動物園にウサギを運ぶ仕事を請け負ったボランティアグループが,ウサギを入れた檻をトラックに積むとき,隅にいた狐を追い出すのを忘れるようなもの,とでもいえばいいだろうか。
 第3は,農家に忠告してもしなくてもいいようなことだが,「自然分布域の外で育った作物は,新しい場所にいるあらゆる種類の病害虫に襲われる危険性が高い」ということである。

ニコラス・マネー 小川真(訳) (2008). チョコレートを滅ぼしたカビ・キノコの話:植物病理学入門 築地書館 Pp.146-147.

ブラジルのコーヒー栽培

 コーヒーノキがブラジルへ持ち込まれたのは18世紀のことである。セイロンの農園が絶滅してからは,ブラジルが世界最大の栽培国になり,以後その地位を保ち続けている。菌学上の話題に絞ったこの本で,ブラジルのコーヒー栽培の詳しい歴史を紹介するのはあまり意味がないように思えるが,ここでちょっと触れておこう。
 そのいきさつはセイロンの場合に似ている。手付かずだった原生林が煙とともに消え(今も大西洋に面した熱帯雨林が危機に瀕しているが),100万人を超える奴隷が酷使され,コーヒー王たちが荒稼ぎしたという話が残っている。ヨーロッパ人たちはここでもまた,農業開発のために自分たち以外の人種と生き残っていた生物に対して,生来の無神経さを遺憾なく発揮したのである。しかし,ブラジルのコーヒー栽培の歴史は,セイロンの悲劇の繰り返しではなかった。ブラジルは移入植物に対して厳しい検疫制度を設け,さび病菌が入るのを長い間阻んできた。驚くべきことだが,1970年に至るまで,ブラジルのコーヒーノキは葉さび病にかかっていなかったのである。

ニコラス・マネー 小川真(訳) (2008). チョコレートを滅ぼしたカビ・キノコの話:植物病理学入門 築地書館 p.93

bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

Copyright ©  -- I'm Standing on the Shoulders of Giants. --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]